Pat Hareは、独特の歪みひねったトーンとリッピング・スタイルを持つギター・プレイで、参加した多くのレコードに、他のプレイヤーでは出すことの出来ない独特の緊張感とテンションを与えたブルース・ギタリストだ。
彼は、1948年に、Howlin' Wolfの最初のバンド・メンバーの1人として、メンフィス・ブルース・シーンに登場した。
1952年には、Sam Phillipsに注目される存在となり、Samは、HareをSun Recordsのセッション・ギタリストとして雇った。
それから2年間、彼は、Sun Recordsに在籍した。
Hareは、Junior Parker、James Cotton、その他、Memphisのブルース・マン達と共に働いた、と、同時にソロ曲も何曲か録音した。
そのうちの1つ"I'm Gonna Murder My Baby,"は、Hare自身の暴力的な一面が表現されている、そして、およそ10年後に彼のキャリアを終わらせることになる行動を予知している。
Hareは、1954年に、MemphisとSun RecordsをJunior Parkerと共に離れ、Houstonに落ち着いた。
Parkerや、Bobby "Blue" BlandやBig Mama Thorntonが在籍したR&B-heavy Blues Consolidated
packageとのツアーを終えた後、Hareは、Chicagoに移住し、Muddy Watersのバンドに加入する。
Hareの生々しいギター・サウンドは、Watersのバンドに、はっきりと尖った粗い鋭さで貢献している。
しかし、Chicagoにいる間、Hareの飲酒問題は深刻になり、1960年、Watersが彼とともに伝説のNewport Jazz Festivalに出演した後に、Hareは首になった。
1963年、彼はMojo Bufordと共に演るためにMinneapolisに行ったが、すぐに、彼のガールフレンドと警官の殺人罪で逮捕されてしまう。
彼は、1964年に有罪となり、終身刑で監獄行きとなった。
彼は1980年に亡くなった。
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