Papa Charlie Jackson


1890年 - 1938年
故郷: New Orleans, Louisiana

Papa Charlie Jacksonは、レコードを作った最初のカントリー・ブルース・アーティストの1人であり、最初に重要な商業的成功を収めるに到った人物でもある。
1924年、彼は、"Papa's Lawdy Blues"と"Airy Man Blues"を、Paramountレーベルで録音し、これが、1920年のMamie Smithからのブルース・レコーディングにおける女性アーティスト優位に終わりを告げた。
ギターやピアノの伴奏をつける、他のブルース・マンと違い、Jacksonは、6弦バンジョーをより重視し、ギターのように掻き鳴らし、ピッキングした。
彼の猥褻でユーモアのある曲はまもなくホクム・ブルースの名で知られるようになるブルースの原型である。

Jacksonの人生に関しては、彼がNew Orleans出身で、1900年代初頭に南部で、旅芸人や寄席演芸ショーのようなことをして働いていたこと以外はよく分かっていない。
1919年か1920年頃、彼は、時々Chicagoに住み、Maxwell Streetでチップ目当てに演奏していたらしい。
彼は、Big Bill Broonzyにギターの弾き方を教えたという。
1924年、彼は、Paramount Recordのスカウトによって見出され、Wisconsin州のGraftonでレコーディング・セッションをした。
彼の最初のレコードは十分に売れた。とりわけ、地方のレコード購入層からは、他の曲を最もリクエストされるアーティストとなった。
Jacksonは、合計で60曲以上を録音したと言われている。
彼は、Ma Rainey、 Ida Cox、Blind Blakeといった面々とも共演した。
Jacksonは、1930年代もChicagoの道端やクラブ、ハウス・パーティーで歌いつづけ、1938年頃に亡くなったと言われている。


※Blue Flame Cafeに寄せられた読者のお声によると・・・
Jacksonは、6弦バンジョーなんか弾いてないよ!!
彼が弾いてたのは、バンジョー・ギター!!
だそうです。