Otis Spann


1930
年3月21日 - 1970年4月25日
故郷: Jackson, Mississippi


伝説のMuddy Waters Bandのピアニストとして知られるOtis Spannは、1960年代のソロ・アーティストとしても知られている。
彼のトラディッショナルなブギウギ・ベースの形態とスロー・ブルース・コードの構造は、彼のピアノ・スタイルに感情的な深みを与えている。
バンド形態で、Spannは、理想的な伴奏者であった。
彼は、全身を使った、しかし控えめに、リズム・セクションに溶け込むことが出来、力強いソロを演奏することも出来た。
Spannは、説得力のあるヴォーカリストでもあった。
彼のぼんやりとした声は、何年にも渡って酷使されたかの如き気だるさがあったが、それが、ブルーな味わいを醸し出し、歌を感情の高みへとやった。

Spannは、大部分を独学している。
Mississippiにある彼の聖職者である父の教会でピアノを演奏していた後、Spannは、しばらくの間、セミプロのサッカー選手やプロボクサーをやりながら酒場での演奏やハウス・パーティーでの演奏に時間を費やした。
彼は、1946年に軍に入隊した。
1951年に除隊されると、Chicagoに行き、街のブルース・クラブで演奏しだした。
そして、1953年には、Muddy Waters bandに加入した。
すぐに、Spannのピアノは、Watersのロック・ブルースのサウンドに欠くことの出来ない存在となり、バンドの大黒柱となった。
Watersとのレコーディングに加え、Spannは、Howlin' Wolf、Little Walterや、その他のChessのアーティスト達ともレコーディングを行ない、レーベルの一流のハウス・ピアニストとなった。

Spannは、 Watersと共に演奏し、レコーディングしていたが、1960年にギタリストのRobert Lockwood, Jrと共に"Otis Spann Is the Blues"のレコーディングをしたことで、彼のソロとしてのキャリアを開始した。
Spannは、Waters Bandとして今では伝説の1960年のNewport Jazz Festivalに出演した。
その様子が収められているライヴ・アルバム"Muddy Waters at Newport"には、Spannが歌った"Goodbye Newport Blues,"も収録されている。
Spannのデビュー・アルバムの成功は、彼の1960年代における積極的な活動を可能にした。
彼はTestament、Fontana、Prestige、Storyville、Decca、Blue Horizon,、Vanguard等を含む、多くのレーベルでレコードを作った。
彼は、しばしばWaters Bandを使って録音した(The Blues of Otis Spann)
また、そのメンバー何人かを使って録音することもあった(The Blues Never Die and Otis Spann s Chicago Blues)
Spannは60年代、広範囲に渡ってツアーも行なった。Waters Bandと一緒の時も、単独の時もあったが、ヨーロッパには何度も行き、多くの有名なアメリカのブルース・フェスティバルで演奏した。
1970年、彼のキャリアの絶頂時に、Spannは、癌と診断され同年40歳で亡くなった。
彼は、1980年にブルースの殿堂入りした。