Ida Cox
(本名:Ida Prather又はJulia Powers、Jane Smith、Velma Bradley、Kate Lewis)


1896年2月25日 - 1967年11月10日
故郷: Knoxville, Tennessee

Ida Coxは1920年代の完全な古典的ブルースアーティストと言える。
Idaは説得力のあるブルースを伝え、そのことが彼女を、Bessie SmithやMa Raineyと同じように、20年代において特に人気のある女性歌手にしたのだ。
彼女は、写真でも分かる粋な外見、贅沢な衣装、ビジネス的な抜け目の無さを伴って、20年代のアメリカのブルース・ウーマンの自由な精神の象徴となった。
そして、彼女自身のために多くの曲を書き、しばしばステージのショーのプロデュースも行なった。
そして、自身のツアー・カンパニーの経営までこなし、"Raisin' Cain"の異名をとった。

1896年、Idaは本名、Ida PratherとしてGeorgia州Toccoaで生まれた。
当時の他の人々と同じように、彼女もまた若い頃、家を出て喜劇女優として、そして歌手として、南部のテント・ショーで働き、寄席芸人団のドサまわりをした。
彼女は1923年にParamountと契約して歌い、録音するまで、時々、ピアニストのJelly Roll Mortonと生活していた。

ParamountはIdaに、(彼女の歌唱方法は、ブルースと同じくらい寄席芸人からの影響も受けていたのだが)
あくまでも"ブルース"の無冠の女王であるように彼女に要求した。
1929年を通じて、彼女はレーベルのために70〜80曲を録音した、そして、BroadwayやSilvertoneといった他のレーベルでも(Kate Lewis、Velma Bradley、Julia Powers、Jane Smithといった変名を使って)女性受けを狙った楽曲を録音した。
Idaは屈辱的な人種的、社会的地位に晒されている黒人女性をダイレクトに歌ったようだ。
しかし、それは、彼女達の生活の中において、人々からの尊厳や尊敬を求めるものでもあった。

Idaの苦痛に耐えようとする最たる曲"Wild Women Don't Have the Blues,"では、性的な自由を暗示している。
それ以外のIdaの2つの古典的名作・・・失業問題をテーマにした
"Pink Slip Blues,"と死刑制度に関する"Last Mile Blues,"は女性の視点から見た社会問題を明確に浮き彫りにした。

多くのブルース・ファンは彼女のことを、彼女が歌った数々の墓地をテーマについての曲で思い出すだろう。
"Graveyard Dream Blues,"、"New Graveyard Dream Blues,"、"Coffin Blues,"、"Bone Orchard Blues,"、"Cemetery Blues"がそれである。
1930年代も、Idaはライヴとレコーディングを続けた。
彼女は、Carnegie Hallで1939年に行なわれたJohn Hammond主催の "Spirituals to Swing" concertにも出演した。
同年、IdaはCharlie Christian、J.C. Higgenbottom、Lionel Hampton、Hot Lips Page、Fletcher Hendersonといったジャズ・ミュージシャンとも、Vocalionレーベル、Okehレーベルでレコーディングした。
その後、1960年代初期には、Tennessee州Knoxvilleで引退する前にColeman Hawkinsとレコーディングをした。
彼女は癌のため、1967年に亡くなった。