Gus Cannon and the Jug Stompers
(本名:Charles Berry)


1883年9月12日 - 1979年10月15日
故郷: Red Banks, Mississippi

1928年、バンジョー奏者のGus Cannonは、Jug Stompersを結成した。
それは、GusがWill "Son" ShadeのMemphis Jug Bandを聴いた後のことだと伝えられている。
Victorレコードが彼に「こういう感じのグループを作らないか」と持ちかけたからだという。
その1年前のChicagoで、Cannonはすでに、Blind Blakeと共に6曲を、Paramount Recordsレーベルで録音し、このレコードで"Banjo Joe"というニックネームを使っていた。

Cannonは、Mississippi州Clarksdaleに住んでいた。
当時、そこでは、デルタ・サウンドが形作られている最中であった。
Gusは1916年にはMemphisに移り、そこで、ポップ、フォーク、古い吟遊詩人の歌といった音楽と同じように、初期のブルースに影響を受けた。
医薬品宣伝販売ショーで働くかたわらで、彼は独特のバンジョー・スタイルを作り上げていったのだ。
時おり彼は、ボトルネック・ブルース・ギタリストがやるように、バンジョーをひざの上に置いてナイフを上下に滑らせたものだ。
1920年代後半にMemphisで流行していた、ジョッキ(瓶)のひびを演奏に利用するために、Gusは首のまわりにそれを巻きつけ、吹きながらバンジョーを演奏出来るようにした。(写真参照)

Jug StompersがVictorレーベルでレコーディングした曲はNoah Lewisのハーモニカ、ギタリストのAshley Thompson、Hosea Woods、Elijah Averyの革新的な演奏が織り込まれていた。
ジャグ・バンドの音楽はMemphisやLouisville、その他の中南米の都市では人気があったが、1930年代初頭になると、Jug Stompersがレコーディング出来る機会は減っていった。
Cannonは1930年代半ばにJug Stompersのメンバーと別れ、その後はMemphisのW.C. Handy Parkのソロ・アーティストとして活動した。

Cannonのレコーディング・キャリアは1956年にFolkwaysレーベルで録音したことで復活する。
1960年代、彼はフォークやブルースのフェスティバルで演奏し、たまに、Memphisのブルースマン仲間であるFurry Lewisと共に演奏した。
彼は2本のドキュメンタリー映画にも出演した。
"The Blues and The Devil's Music"、"A History of the Blues"である。
そして、LewisとBukka Whiteと共に1969年、Delphiレーベルでレコーディングし、Gusの曲"Walk Right In,"は60年代のフォーク・ポップ・グループ"the Rooftop Singers"が歌い、1963年のポップ・チャート1位に輝いた。

Gusは1979年、96歳で亡くなった。