Freddie King (Kingの名を持つ他のブルース・ギタリスト達とは何の関係も無い)は、モダン・ブルース・ギターの重鎮の1人だ。
Otis RushやBuddy Guy、Magic Samと共に、Kingは、60年代初期におけるChicagoのモダン・ブルース・ムーヴメントの先頭に立ち、60年代後半におけるブルース・ロック・ブームの土台作りに一役買った。
Eric Claptonを始めとするブルース・ロックの巨人達への彼の影響は、煽情的で、挑戦的なソロやブルースとロックの結びついた音楽で特徴づけられる伝説を守る手助けともなった。
Freddie Kingは、Texasで生まれ育ったが、ミュージシャンとしての彼は、Chicagoで成長した。
彼のギター・スタイルは、田舎と都会の影響が混ざり合ったものだった。
子供の頃から、Kingは、Blind Lemon JeffersonやLightnin' Hopkins、Arthur "Big Boy"
Crudupといった伝説的なカントリー・ブルース・ギタリストを聴いて育った。
1950年に、彼と彼の家族がChicagoに移ると、Kingは、Muddy Waters、Jimmy Rogers、Eddie Taylorといったミシシッピ・デルタのルーツ・ブルースマン達のような、刺すような都会のホットなギター・ワークが鳴り響くクラブに入り浸るようになった。
彼は、1950年代に明らかに、El-Bee labelで録音を行い、Chessでもいくつかのレコーディングをした記録があるが、Kingは、1960年にFederal
Recordsと契約するまで取り立てて注目を引くようにはならなかった。(Federal Recordsは、シンシナティを本拠とするKing
Record labelの子会社だ)
ピアニストやKing RecordsのA&RマンのSonny Thompsonの指導で、Kingの60年代初期のセッションは、Bill
Mylesの古典的作品"Have You Ever Loved a Woman." (Eric Claptonが、Derek and the
Dominos在籍時にカヴァーした)のような強力な演奏と同じように、"Lonesome Whistle Blues"や"I'm Tore
Down"といった優れた楽曲を生み出すこととなった。
1994年、Claptonは、彼独自のヴァージョンでの"I'm Tore Down"をFreddyのオリジナル・ヴァージョンに似た注目すべきヴァージョンで演奏した。
Kingは、60年代初期に、多数のインストゥルメンタル・ソングを録音した。
そのうちの1つ、"Hide Away,"は、1961年のビルボードチャートで29位にランクし、かつてレコーディングされた曲の中で、最も有名なブルースのインストゥルメンタル・ソングになった。
有名なシカゴ・ブルース・クラブ"Mel's Hideaway Lounge"に由来する、かの曲は、Kingのギターの才能やブルースやロック、リズム&ブルースを下地としたキャッチ−なテーマの創作力を示す好例となっている。
60年代初期のビュンと鳴るギター・インストゥメンタルの人気のお陰で、Kingは、ブルースからR&B、ロック調のブルースへと、自由に移行することが出来た。
そして、"Bossa Nova Watusi Twist,"、"Monkey Donkey,"、"Surf Monkey."といった曲が生まれたのである。
KingのFederal/Kingとの契約は、1968年に終了した。
Kingの最も生産的な時期は終わったが、60年代後半に、Clapton、Mick Taylor、Peter Greenといったイギリスのブルース・ロック・ギタリスト達がKingの曲をカヴァーし、彼等のギター・スタイルにKingのスタイルを取り入れたことでの、復活を楽しんだ。
このことが、Kingを新たに認識させ、新たなブルース・ロック・ファンを生み出し、加えて1968年には、新たにAtlantic Recordsの子会社、Cotillionとレコーディング契約を結ぶこととなった。
2年後、Kingは、Shelter Recordsに移籍した。
彼の最後のレコーディング契約は、1974年のRSO Recordsとのものだ。
この頃から、Kingは、ブルースよりも、ファンクやロックを志向したが、ギター・ワークは依然として粋でしなやかなものだった。
1976年、Kingは、出血性の潰瘍と心臓麻痺の為、わずか42歳で亡くなった。
|