Edith Wilson
(本名:Edith Goodall)


1896年9月2日 - 1981年3月30日
故郷: Louisville, Kentucky

1920年代の他の女性歌手達と同じように、Edith Wilsonは、ブルース・ソングを、主にキャバレーやショーの曲で構成されているレパートリーに組み込んだ。
彼女には、Bessie SmithやIda Coxといったブルースの古典を生み出したアーティストほどの感情の深みは無かったが、ブルースをアメリカやヨーロッパの白人に紹介する役割に貢献した。
彼女や彼女のような他のブルース風味のキャバレーのパフォーマー達が出てきたことは、戦前のポップ・ミュージック・シーンの白人のマーケットにブルースという明確なジャンルを打ち出すことに貢献した。

Edith Goodallは、1896年、Kentucky州Louisvilleの中流階級の黒人家庭に生まれた。
ショー・ビジネス界でのキャリアを積むことを決心し、ピアニストのDanny Wilsonと結婚した後、彼女は、1921年にColumbia Recordsと契約するまで、ChicagoやWashington, D.C.、New Yorkで演奏した。
Johnny DunnやOriginal Jazz Houndsをバックに、Wilsonは、"Nervous Blues,"、"Vampin' Liza Jane"を始めとする曲を録音した。
その殆どは、Perry Bradfordによって書かれ、アレンジされた。
彼女の興味は、レコーディングよりも、コメディや演劇といったパフォーマンスに移行していき、徐々にそういった仕事は彼女にとって欠くことの出来ないものとなっていった。
"The Plantation Revue"、"Creole Follies"、"Hot Chocolates"といったショーで主演を務めることで、Wilsonは、白人や金持ちの黒人オーディエンスといった支持者を増やしていった。

彼女のColumbia Recordsとの契約は、1920年代半ばに終了したが、Wilsonは、1930年にレコーディング・キャリアを正式に終わらせるまで、他のレーベルでさらに数曲を録音した。
1930年代、40年代を通して、彼女はビッグ・バンドと共に劇場やキャバレーでの公演を続け、レビューに出演し、数本の映画にも出た。
彼女の最もよく知られたパフォーマンスは、ラジオにおけるものだ。
Wilsonは、ショー"Amos and Andy"で、Kingfishの法律上の母を演じ、まもなく、Quaker Oats CompanyのAunt Jemimaの声を務めるようになった。

Wilsonは、引退する1963年までパフォーマンスを続けた。
しかし、1972年のEubie Blakeとのレコーディングの成功でカムバックし、頻繁にフォークやブルースのフェスティバルに出演するようになった。
そして、1976年には、Delmark labelからアルバムをリリースした。
晩年の彼女のよく知られたステージは、1980年のNewport Jazz Festivalでのものだ。
翌年、彼女は亡くなった。