Dr. JohnはNew Orleansの精神そして音楽の化身だ。
彼は、1950年代からクレセント・シティ・ブルース、R&B、ファンク、ジャズ、ロック、ポップを彼の音楽に取り込み、今でもNew Orleansという都市の、まさに魅力的な大使と言える存在だ。
何年間にも渡って、Dr. Johnは多くのアーティストが作った作品を何百もプレイし、アレンジャー、プロデュ−サー、サイドマン、タレントスカウトとして活動している。
彼は何百もの曲を書き、全ての有名なジャズやブルースのフェスティバルに国内、国外を問わずに出演している。
早く言えば、Dr. JohnはNew Orleansのそのものであり、New Orleansの第二次世界大戦後の音楽的遺産を形作っている人物なのだ。
New Orleansで生まれ育ったMac Rebennack (彼は1968年まで自分のことをDr. Johnと呼んでいなかった)子供の頃から音楽に囲まれて育った。
彼の父は特にブラック・ミュージックを専門とするレコード店を経営しており、クラブ・サウンドのシステムを直し、しばしば息子と仕事について話していた。
開けっぴろげだった父親の店を通じて、若いMacはジャズ、ブルース、初期のR&Bといった音楽を吸収した。
14歳の頃には彼はピアノとギターを演奏出来るようになり、Cosimo Matassaのレコーディング・スタジオでのレコーディング・セッションで働くようになった。
そこで彼はJames BookerやProfessor Longhair、Allen ToussaintといったNew Orleansの著名人達と親しくなった。
1950年代中期になると、彼はNew Orleansの音楽製造機の歯車のような存在になった。
Ace Recordsは彼をソングライターとして雇い、彼はプロデュ−サーとして、レパートリーを持ったアーティストとしてRic and Ronレコード、Specialty、Minitといった様々なレーベルで働いた。
彼はChessやMercuryでも仕事をし、白人にも関わらず、AFO (All for One)ブラック・ミュージック組合(レーベル)の設立メンバーの1人となった。
1961年に酒場の喧嘩で彼は、敵から逃げようとした時に発射した弾丸で右手の薬指の先端を失った。
その怪我が治療されたが、感覚は麻痺してしまった。
このため、彼はギターの弾き方を変えることを余儀なくされたので、ベースを学ぶようになった。
幸運にもこの怪我はピアノの演奏には影響を与えなかったので、それ以後、彼の主に演奏する楽器はピアノとなった。
1960年代中頃には、Dr.Johnは、New Orleansに現れたミュージシャン達と仕事をする機械に恵まれる。
西海岸に仕事を求めてやってきた多くの優れたアーティスト達と演奏するようになったのだ。
彼は、スタジオ・ミュージシャンとなり、しばしばロック&ロールのプロデュ−サーのPhil Spectorと仕事をするようになる。
1968年には、自身のソロ・キャリアをスタートする。
Sonny & Cherがくれた時間を使い、彼はスタジオでデビュー・アルバム"Gris Gris"を録音した。
そのアルバムは同年、Atco Recordsからリリースされた。
名前をDr. John Creaux the Night Tripperに改め(後年、Dr. Johnに省略される)、サイケでヴードゥー調の人格を作り上げた。
ワイルドなゲイ祭りの衣装に被り物をつけて、伝統的なNew Orleansサウンドをポップに味付けし直したのである。
"Gris Gris"の後、Dr. Johnは"Babylon"、"Remedies
and The Sun, Moon & Herbs"をNew Orleansのルーツ・ミュージックが詰まったアルバム"Gumbo"を発売する前にリリースした。
1972年の活動には、"Iko Iko"や"Tipitina."といったNew Orleansの味わい豊かなスタンダード・ナンバーも含まれている。
続くAtco recordでの"In the Right Place"はDr. Johnの最大のポップヒットとなった"Right
Place, Wrong Time,"を含んでいる。
この曲は、1973年のチャートで3位になったヒット作である。
Dr. Johnはこの後、ブルースギタリストのMike BloomfieldやJohn Hammond, Jrを含む短期間のスーパーグループ、"Triumvirate"に加わった。
彼等のグループ名がそのままアルバム名となった"Triumvirate"が1974年に発売されたが、あまり話題にはならなかった。
1970年代の残りと1980年代に入っても、Dr. Johnはレコードを作りつづけた。
この過程で彼はロックやポップを探求し、結果として融合を図った。
それと同時に彼は、スタジオ・ミュージシャンとして、そしてクラブでの演奏者としての多忙やキャリアをも続けた。
彼のレコーディングのキャリアは1990年にリリースされたアルバム"In a Sentimental Mood"(Rickie
Lee Jonesのデュエットで、つられてしまうような演奏の"Makin' Whoopee,"が収録されている)によって復活する。
1992年、Dr. Johnはアルバム"Goin' Back to New Orleans"で、再び彼の原点であるNew
Orleansの音楽へと立ち返った。
現在でも彼はレコーディングとライヴ活動を続けている。
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