Clara Smith


1895年 - 1935年2月3日
故郷: Spartanburg, South Carolina

うなり声の女王、そして、世界でも最もスゴイうなり声と言われている、寄席芸人のブルース・ヴォーカリスト、Clara Smithは、Bessie Smith (血縁的な関係の無い別人)にも匹敵する声を持っていた。
Smithは、1923年にColumbiaで録音を開始した。
彼女の最初のレコードは、ピリピリと響く、暗さのある、失恋や裏切りを歌ったものだった。
頻繁に、ピアノのFletcher Hendersonをバックにすえて、Smithは、"Every Woman's Blues"や"Awful Moaning Blues,"といった歌を、悲しみと痛ましいヘロインの淋しい自画像を作るかのようにゆっくりと歌いあげたのだ。

1920年代終わりのレコーディングで、 Smithは、話しぶりを幾分か洗練させた、というのも、躁鬱病は必ずしも彼女の歌の邪魔をしなかったからだ。
多くの彼女のベストと言える録音は、1925年〜1928年のもので、この中には、性的な関係を歌った危険なものも含まれている。
彼女は合計で125曲ほど録音し、その殆どがColumbiaでのものだ。
彼女のレコードのいくつかには、ジャズの優れたコルネット奏者Louis Armstrongやサキソフォン・プレイヤーのColeman Hawkins、クラリネット奏者のDon Redman、ピアニストのJames P. Johnsonが参加したものがある。
2回ほど、彼女はBessie Smithとデュエットした。
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Smithの若い頃については南部の寄席演芸場で働いていたことや最終的にTOBA (Theatre Owners' Booking Association)で人気を博したこと以外は、殆ど分かっていない。
彼女は1923年にHarlemに引越し、翌年、Clara Smith Theatrical Clubを開いた。
レコーディングやNew Yorkのキャバレーや劇場に出演していない時、Smithはよくツアーをしていた。
彼女の名声の一部は、彼女のヴォーカルの多彩さゆえである。
ブルースを歌うだけでなく、寄席演芸やポップ・ナンバーもショーに組み入れた。
それは、まるで定番のコメディ・ショーのようでもあった。
Smithの最後のレコーディングは、1932年であったが、1935年に致命的な心臓麻痺でDetroitで亡くなるまで彼女は、演奏を続けた。