Charlie Musselwhite


1944年1月31日 -
故郷: Kosciusko, Mississippi

ハーモニカ・プレイヤーでヴォーカリストのCharlie Musselwhiteは、Little Walter、Sonny Boy Williamson (Rice Miller)といった多くの偉大なハーピスト達の素晴らしいスタイルを解釈した黒人でないブルース・アーティストとしては最初期の人物に当たる。
アメリカ先住民のチョクトー族を先祖に持つMusselwhiteは、Paul Butterfieldのように、黒人以外のプレイヤーでもブルースに貢献出来ることを証明したのだ。

Musselwhiteは、Mississippiに生まれたがMemphisで育った。
そこで彼は、Memphis Jug BandのWill Shade (別名:Son Brimmer)やFurry Lewisといった古き時代のブルースマン達と心安くなった。
1962年、Chicagoに移動するまでに、Musselwhiteは、ブルース・ハープとギターの基礎を覚えた。その多くはShadeの手助けによるものであり、彼自身もブルースをより深く知ろうと貪欲な姿勢になったのだ。
Musselwhiteは、Chicagoの伝説的なMaxwell Streetで仲間のJohnny Youngと共に、チップ目当てに演奏し、後に、Chicagoの黒人クラブ・シーンで活動するようになった。
そこで彼は、多くの都会のブルースマン−その中には、J.B. HuttoやMike Bloomfieldも含まれていた−と出会った。
1966年、Musselwhiteは、Vanguard Recordsとレコーディング契約を結び、"Stand Back! Here Comes Charlie Musselwhite's Southside Blues Band"をリリースした。
これは、60年代の古典的なブルースのアルバムとなった。

60年代後半から70年代を通じて、Musselwhiteは、定期的にレコーディングをし、広範囲に渡ってツアーをした。
彼はVanguardからもう3枚のアルバム−"Stone Blues" (1968年)、"Charlie Musselwhite" (1968年)、"Tennessee Woman" (1969年)−を発表した。
加えて、Cherry Red Recordsと契約し、2枚のアルバム−"Louisiana Fog"、"Blues from Chicago"(両作品とも1968年リリース)−を発表、アメリカ、海外を問わず、多くの大きなブルース・フェスティバルで演奏した。
1971年、Musselwhiteは、Vanguardを去り、Arhoolieと契約を結んだ。
そこで彼は2枚の高い評価を受けているアルバムを制作した。
それが"Takin' My Time" (1971年)と
"Goin' Back Down South" (1974年)である。
この2作は、 Musselwhiteが磨き上げた、美しくきめ細かいブルース・ハープのスタイルを上手く表現した作品だ。

Musselwhiteは、(ほとんど注目されなかったものの)Paramount、Kicking Mule、Capitolといった他の多くのレーベルでも録音を行なった。
彼は、1990年にAlligatorと契約し、"Ace of Harps"をリリースしたことで復帰と言えるような成功をした。
この作品は、Arhoolie時代以降の作品群の中でも最も力作と言えるものだ。
Musselwhiteは、"Ace of Harps"の後、"Signature"を発表した。
これもAlligator時代の中で高い評価を受けた作品だ。
Musselwhiteは、現在でも、演奏とレコーディングを続けている。