Bobby Blue Bland


1930年1月27日 -
故郷: Rosemark, Tennessee

50年代から60年代初期、Bobby "Blue" Blandはモダン・ソウル・ブルースの主なクリエイターの1人であった。
Sam Cooke、Ray Charles、Junior Parker等と同様に、Blandはゴスペルやブルース、R&Bを混ぜたサウンドを作り上げた。
Bobbyのソウル・ブルースのスタイルはビッグ・バンド・サウンドに織り込まれた見事なもので、B.B. King風のギター・リフを持っていた。

Blandは、丁度Memphisの郊外にある小さな街、Rosemarkで生まれ育った。
1947年に、彼は母親と共に都会に移動し、彼の音楽キャリアを開始した。
最初は歌手として、ゴスペル・グループのMiniaturesで、その後、ルージーなブルースグループBeale Streetersで活動した。
Beale Streetersには、未来のブルース・スターJohnny AceやB.B. King、Junior Parker、Rosco Gordonといった面々もいた。

Blandの最初のレコーディングは1950年〜1952年でModernレーベル、Chessレーベルでの録音だ。
1952年に軍に徴集され、活動は一時中断されたが、1954年には除隊され長い間在籍するDukeレコードでの活動を始めた。
ここでの成果は多くのレコードなり、その多くがR&B市場で高セールスを記録した。

BobbyのDukeレコードでの第一弾シングルは1955年にリリースされた"It's My Life, Baby,"である。
2年後、彼は独創的なTexas shuffleを用いた"Farther Up The Road"を発表、R&Bチャートの1位に輝いた。
その後、発売されたレコードには2つの1961年のヒット曲がある。
これもR&Bチャート1位になった"I Pity the Fool,"と2位になった"Turn on Your Love Light,"がそれだ。
また、1963年に出た "That's the Way Love Is,"は、彼の3つめのR&BチャートのNo.1ヒットになった。

1957年から1961年の間に、Blandは黒人のナイトクラブでJunior Parkerと彼のバンド、the Blue Flamesと共にプレイしていた。
しかし、1961年、BlandはParkerと袂を分かち、ソロになり、優れた大衆性を発揮した。
Blandは作曲も演奏もしなかったので、専ら他人の曲を歌い、演奏も他人に任せていた。
彼のバンドリーダーであり、長年、DukeレーベルのオーナーであったDon Robeyのタレント・スカウトのチーフであったJoe Scottは、Blandのビッグ・バンド・サウンドを作るのに貢献した。
同様に、ホーンやBlandのヴォーカルを、ジャズの影響を受けたソロで、T-Bone WalkerやB.B. Kingのように引き立たせるWayne BennettもBlandのサウンドの重要な存在であった。

BlandはScottやBennettと共にバンドが解散する1968年まで(一説では、Blandの酒癖の悪さが解散の原因)働いた。
しかし、Blandは1972年に復活し、この時はプロデュ−サーのSteve GarrieやバンドリーダーのErnie Fields, Jrと組んだ。
Garrieは、こてこてのR&Bの古典よりもブルースをベースにしたサウンドをBlandに提供し、その結果、2枚の商業的成功を収めたアルバムが世に出た。
California Album (1973年) とDreamer (1974年)である。
2作とも1972年にDuckレーベルを買い取ったABC-Dunhillレーベルからリリースされた。

Blandの多くのレコーディング・カタログやR&Bチャートにおける長年の成功、近年のツアー活動(それはしばしば長年の友・B.B. Kingと行なわれる)にもかかわらず、彼は滅多にポップ・シーンには登場しない。
しかし、ブルースやR&Bに影響を受けた沢山のヴォーカリストが彼を特に影響を受けたアーティストとしてクレジットしている。
70年代、80年代、そして、90年代初頭と、彼は多くのレコードを作りつづけ、Jackson、Mississippi、bl
ues label、Malacoといったレーベルにまたがって発売された。
Blandは1981年にブルースの殿堂に、1992年にはロック&ロールの殿堂入りした。
彼は、現在でも定期的に活動を続けている。