Big Walter "Shakey" Hortonは、Little Walter JacobsやSonny
Boy Williamson (Rice Miller)、Junior Wells、James Cottonといった戦後のシカゴ・ブルース・シーンにおいて影響力を持ったハーモニカ奏者達に匹敵する。
上記した5人の中では、Hortonは、最も無名だ。
その最大の理由は、彼が最も生産的だった時期に、彼自身のレコーディングを殆どしていないからである。
あくまでも有能なサイドマンとしてハープを吹いていたのだ。
Hortonのハーモニカ・スタイルは、甘いトーンで、他のハーモニカ奏者に比べ、強弱法には頼っていない。
彼のソロはしばしば、魂(ソウル)を揺さぶるというよりは、落ち着かせると言った方が似合う。
Hortonの創造的なハープのリフと暖かく柔軟な表現は、Johnny Shines、Willie Dixon、Otis Rush始め、戦後のブルースマン達のレコードを美しく飾っている。
Hortonは、第一次世界大戦後にMississippiで生まれたが、早い時期に、母親と共に、Memphisに移った。
1920年代後期に、手短に言えば、Memphis Jug Bandと共に公演し、レコーディングし、Memphisの道端で演奏していない時は、南部のダンス会や行楽等で演奏していた。
Hortonは、1940年代後半に、Chicagoに行くが、Modern/RPMやSunでレコードをリリースするためにMemphisに戻った。
Hortonは、1953年、長年の友人Eddie Taylorからの、彼のバンドで演奏して欲しいという申し出を受け、Chicagoに戻った。
次にHortonは、Muddy Waterのバンドで演奏し、Junior Wellsと交代した。
70年代を通じて、Hortonは、彼のブルース・クラブを補完し、しばしばWillie DixonのChicago Blues All-Starsと共に、フォークやブルースのフェスティバルに定期的に出演し、レコーディングを行なった。
1972年、彼は、仲間のブルース・ハープ奏者、Carey Bellと共に、Alligator Recordsでレコーディングを行なった。
この結果出来たアルバム"Big Walter Horton with Carey Bell"には、多くの師弟間の多くのブルース・ハープのデュエットがフィーチャーされている。
Hortonは、1981年に亡くなるまでちょくちょくレコーディングを続けた。
1年後、彼はブルースの殿堂入りした。
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