Big Maceoは1940年代の最も影響力のあるブルース・ピアニストの1人である。
彼の強いタッチのプレイ・スタイルは事実、戦前の全てのブルースピアニストの注目を集めた。
とりわけ、Otis Spann、Johnny Jones、Eddie Boyd等は強い影響を受けた。
気だるいヴォーカルとピアノをへヴィーなベースに乗せ、Maceoは1941年から1946年の間にしばしば、ギタリストのTampa Redと共にシカゴ・ピアノの古典的ナンバーとなる録音を行なった。
彼の大ヒット曲 "Worried Life Blues,"はブルース・ピアノ目録のスタンダードとなり、今でもMaceoを代表する曲となっている。
Big Maceoは、1905年、Atlantaで生まれたと言われている。
彼はそこで独学でピアノを学んだ。
彼は20歳前後の頃、家族と共にDetroitに移住した。
それから少し経って、彼はハウス−レント・パーティー(貸切パーティー)やクラブでピアノ演奏を始めた。
1941年にはレコードへの憧れがMaceoをChicagoへと導いた。
そこで、彼は有名なブルース・ギタリストのTampa Redと会う。
彼等はまもなく、気のおけない友人となり、パートナーとして演奏するようになった。
RedはBig Maceoを彼にレコーディングを誘ったBluebird Recordsのプロデューサー、Lester Melroseに紹介した。
Big Maceoの最初のレコード"Worried Life Blues,"は1941年に発売されると、すぐにブルース・ヒットとなり彼をシカゴ・ブルース界のスターへと伸し上げた。
他の古典的作品としては、"Chicago Breakdown,"、"Texas Stomp,"、"Detroit Jump"を挙げることが出来るだろう。
Maceoのピアノ・スタイルはMeade "Lux" LewisやAlbert Ammonsといったローリング・ブギウギ・サウンドと同様にLeroy
Carr、Roosevelt Sykes、Josh Altheimerといったプレイヤーを発展させたものだ。
Big Maceoは1946年に脳梗塞でキャリアが断たれるまでに、合計で30数曲の録音をした。その多くは素晴らしいものだ。
Big Maceoは1953年に亡くなった。
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