◆Best"O"Bongo

LAの多目的音楽一座オインゴ・ボインゴが披露する自らの世にも不思議なヒストリー。サウンドトラックの仕事と連動させて、奇想天外、摩訶不思議な世界を生みだしてきたこれまでの約15年……。それは核となる人物ダニー・エルフマンの歴史そのものであった。――山田道成――

LAのクラブ・シーンから生まれた、多芸多才かつ摩訶不思議な音楽集団――オインゴ・ボインゴはそんな言葉で表現するのが、最もピッタリとフィットするバンドだった。そして、結成からすでに15年以上経過した今でも、 このバンドは天才的とも言える才能をふるい、その個性的な音楽をもって多方面にわたる活躍を披露している。
そのオインゴ・ボインゴの中心人物として、つねにバンドを牽引しているのがダニー・エルフマン。看板とも言うべきリード・ヴォーカリストであると共に、デビュー時から全てのソング・ライティングも担当、後にはアルバムのプロデュースも手掛けるようになった彼の存在なくして オインゴ・ボインゴのことを語ることはできない。しかも、84年に初のソロアルバム『So-Lo』を発表して以来、バンドはダニー・エルフマンの色を濃くし、その評価もさらに高まったと言える。今回ここに登場した『ベスト・“オ"・ボインゴ』は80年のデビュー時から83年にいたるまでの、 IRS/A&M時代の曲を含む、過去約10年のオインゴ・ボインゴの歴史を1つにまとめたもの。しかし、それは別の言い方をすれば、ダニー・エルフマンの歴史とも表現できるのである。
オインゴ・ボインゴは、そのダニー・エルフマンを中心に、70年代中期よりLAにおいて活動をスタートさせた。当初はザ・ミスティック・ナイツ・オブ・ジ・オインゴ・ボインゴと名のっていたこのバンドは、芝居がかったショーを見せる前衛的な音楽集団として、マニアックなファンから絶賛されていたという。 その後、本格的なミュージカル・ショーも手掛けるようになった彼らは、77年、東京で開かれた第8回世界歌謡祭に、アメリカ代表として出場のため初来日も体験。これを契機にオインゴ・ボインゴとその名を改めたバンドは、より積極的にライヴ活動を展開し、79年にはRhinoレコードのサンプラー・アルバムのための レコーディングも初めて行ない、その時の曲「I'm Afraid」を地元のインディーズ・レコードから発表している。
ちなみに当時のメンバーは、ダニー・エルフマン(vo、g)をはじめ、スティーブ・バーテック(g)、リチャード・ギブス(key、trombone)、ケリー・ハッチ(b)、ジョニー・“ヴァトス”・ヘルナンデス(ds)、サム・“スラッゴ”・フィップス(sax)、レオン・シュナイダーマン(sax)、デール・ターナー(trempet)の8人である。
80年に入ってIRSと契約を交したオインゴ・ボインゴは、9月に4曲入りEP『Oingo Boingo』によりデビュー。この中に収録された「オンリー・ア・ラッド」といった曲が、ウエスト・コースト周辺のラジオ・ステーションで数多くオン・エアされたことから、バンドの人気は一挙に高まった。 その後オインゴ・ボインゴは、A&Mのディストリビュートを得たIRSから、以下の3枚のアルバムを発表している。
●『Only A Led』1981 Produced by Pete Solley & Oingo Boingo
●『Nothing To Fear(オインゴ・ボインゴの謎)』1982 Produced by Oingo Boingo & Joe Chiccarelli
●『Good For Your Soul』1983 Produced by Robert Margouleff
パーラフォンなる楽器も使用し、パーカッシヴなうえに変幻自在とも言えるビートをメインに、どこか無国籍的なサウンドを披露したオインゴ・ボインゴ。当時アメリカでは、あのディーヴォやB−52'Sなどと比較され、奇想天外な音楽性が大いに話題を呼んだ彼らだったが、 日本では当時人気のニュー・ミュージック歌手、庄野真代のアルバム『逢・愛・哀』のバックをつとめたことをきっかけに『Nothing To Fear』が1枚発表されただけにとどまった(90年『Only A Lad』が日本でも初めてCD化されている)。
84年、オインゴ・ボインゴは自らの活動の一方で、トム・ハンクス主演の映画『バッチェラ・パーティ』で、メイン・テーマの「Bachelor Party」や「Something Isn't Right」の2曲を担当した他、『Teen Wolf Two』で「フー・ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ビー」を提供するなど、サウンドトラックの仕事も開始。 また、その間にはダニー・エルフマンが、例のソロ・アルバム『So-Lo』を発表した。そして、翌85年にオインゴ・ボインゴは、新たにMCAへと移籍し、以下の4枚のアルバムを発表している。
●『Dead Man's Party』1985 Produced by Danny Elfman & Steve Bartek
●『Boi-Ngo』1987 Produced by Danny Elfman & Steve Bartek
●『Boingo Alive』1988 Produced by Danny Elfman
●『Dark At The End Of The Tunnel』1990 Produced by Danny Elfman,Steve Bartek & John Avila
*『Skeletons In The Closet』1989 (IRS/A&M時代のベスト・アルバム)
数人のメンバー・チェンジも行ったうえで、MCAへと移籍したオインゴ・ボインゴは、『Dead Man'S Party』の発表と前後して、サウンドトラックの仕事を積極的に行うことになる。例えば85年には『ときめきサイエンス』に「ときめきサイエンス」を提供した他、 翌86年には『Dead Man's Party』に「デッド・マンズ・パーティー」を提供し(引用者注:原文ママ)『This Was Then,This Is Now』では、「ジャスト・アナザー・デイ」が使用された。その後も彼らは『バック・トゥ・スクール』や『初体験リッジモント・ハイ』あるいは『ゴーストバスターズU』 などに、サウンドトラックとしての曲提供を行っている。
しかし、オインゴ・ボインゴのサウンドトラックの仕事は、どうやらダニー・エルフマン自身の意思によるものだったようだ。事実、そうした行動は、彼が84年に発表したソロ・アルバム『So-Lo』の中の1曲「グラティテュード」が、翌年の映画『ビバリー・ヒルズ・コップ』のサウンドトラックに使用されたことをきっかけに増加。 また、ダニーはそれと平行し、個人でも『ビートルジュース』や『ミッドナイト・ラン』、あるいは『Scrooged』や『Big Top Pee Wee』といった映画のサウンドトラックを担当。89年にはその極めつけとも言えるあの大ヒット映画『バットマン』のサウンドトラックにおけるフィルム・スコアの仕事だった。 これはレコード化にこそならなかったものの、ダニーの評価を大いに高めるきっかけになったと言える。もともとオインゴ・ボインゴ結成以前からショーの世界に憧れていたというダニー。そんな彼だからこそ、初期のオインゴ・ボインゴでは妙に芝居がかったステージを披露し、84年以降はサウンドトラックの仕事にこだわったのだろう。 また、今回の『ベスト・“オ”・ボインゴ』に、そうしたサウンドトラックとして使用した曲が多く収録されているのも、そんなダニーの考えが根底にあるのかもしれない。
なお、現在のオインゴ・ボインゴのメンバーは、ダニー・エルフマン、スティーブ・バルテック、ジョニー・“ヴァトス”・ヘルナンデス、サム・フィップス、レオン・シュナイダーマン、デール・ターナーというオリジナルの6人に、ジョン・アヴィラ(b、vo)とカール・グレイヴス(key)を加えた計8人である。


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