中学時代 |
プレイステーション用作曲ソフト「音楽ツクール
かなで〜る2」を購入。
ゲーム攻略本「ALL ABOUTシリーズ」巻末の全曲楽譜集や
ゲームサントラ付録の楽譜などを参考に打ち込みを始め、
耳コピ、作曲に興味を持つ。
この頃「アニメタル」にハマり、後の人生を狂わせるきっかけとなる。
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高校時代 |
PCと同時にYAMAHA「XG Works4.0」を購入し、本格的にDTMを始める。
ゲーム楽曲のアレンジやオリジナル楽曲のMIDIを公開するため、
中学時代の友人と「M&Kカンパニー」という名前でサイトを立ち上げる。
このときから、ネット上での活動時は「MIDISAKA」と名乗るようになる。
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高校入学直後、アニメタルにあこがれてドラムを始める。
ドラムを選んだきっかけは、
表向きは「コージーパウエル追悼アルバムに収録されていたドラムソロを聴いて感銘を受けたから」だが、
本当は「アニメタルには正式なドラマーがいなかったから」というのが一番の理由。
YAMAHAのパッドドラム「DD-50」を購入し、自宅でポカスカと練習を始める。
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高校2年の秋、文化祭で生まれて初めてのライブ。
まだ立って弾けないギタリストとベーシスト、オクターブ下で歌うヴォーカリスト、
そして直前に怪我をして松葉杖をついていたドラマー(自分)というラインナップで、
無謀にもアニメタルのコピーバンドを披露。
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高校3年の春、上記メンバーとは別にバンドを結成。ライブハウスデビュー。
アレンジMIDIを製作する用途以外に、バンド用のデモを作る目的でも「XG
Works」を使いこなすようになる。
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その後〜 |
大学進学後、軽音楽サークルにてあらゆるジャンルのコピーバンドを経験。
普段聴かないジャンルに触れることで、ドラマーとしても、また作曲の引き出しも大きく広がることになる。
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当時サークルの先輩だった岡本真希(Gt)、池田義太郎(Ba)、
そして池田が以前バンドを組んでいた中村健一郎(Vo)と共に、
ヘヴィメタルバンド「LONGINUS」を結成。(DISCOGRAPHY)
ライブハウスのブッキングだけではなく、
バンドによる自主ライブイベント「ロンギヌス祭り」の定期的な開催など、精力的な活動を行う。
3枚のデモCDの後、1stアルバム「EVIL
&
BLOOD」をリリース。
日本唯一のヘヴィメタル雑誌「BURRN!」のレビューにおいて、国内アーティストとしては異例の高得点を獲得。
注目の新人を紹介するコーナー「STAR IS BURRN!」にも掲載され、知名度を上げることとなる。
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大学卒業後、モバイルコンテンツの制作会社へ入社。
当時全盛だった着メロの他、ゲーム用BGM・効果音など、年に500曲以上の製作を担当する。
これまで独学だった音楽理論、打ち込みの技法では通用しない高いレベルの業務に最初は圧倒されるものの、
ここでの経験が後の音楽制作に大きく役立つこととなる。
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副業OKの会社だったため、フリーのコンポーザーとしても活動を開始する。
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2009年、LONGINUSの活動の中で、
ついに憧れだったさかもとえいぞう(ANTHEM、アニメタル、JAM
Project)と共演する機会を手にする。
そこでドラマーとして、またアレンジャーとしての手腕を認められ、
2010年よりさかもと氏のアニメソングアレンジプロジェクト「EIZO
Japan」へ加入。
EIZO Japanのメジャー1stアルバム「Super
anime
song legend of 1990's」において、
全30曲の編曲とドラムを担当する。
また、翌年よりEIZO Japanのライブ活動も開始。
アニメタルのコピーバンドが初めてのライブだった自分にとって、
本家の後ろでドラムを叩くという夢を叶えることとなった。
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現在 |
2012年、会社を退職。
現在はバンドマンとして「LONGINUS」「EIZO
Japan」でヘヴィメタル道を追求しつつも、
フリーのコンポーザーとして幅広いジャンルの楽曲を製作する毎日を送っている。
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