2003年10月02日
“美しき思ひ出…?”

今日、家のちょっとした掃除をしていて、ベランダで雨ざらしになっていたサンダルを捨てた。 なんということはないアディダス社のスポーツサンダル、水泳選手がプールサイドで履くような ものである。1990年に購入して以来13年もの間僕と付き合ってきたものだけに、なんだか愛着もあり、 とっておこうか迷ったが、結局捨てることにした。1990年という年は、僕はチェロの勉強のために アメリカのインディアナ州ブルーミントンという片田舎に住んでいた。

なぜヨーロッパでなくアメリカ?そしてなぜニューヨークではなくインディアナ?と疑問に思う人も たくさんいることと思う。それに対する答えはひとつ、そこにすばらしい先生がいたから。 それが知る人ぞ知るヤーノシュ・シュタルケル氏だった。

先生のもとで勉強した2年間は本当に充実した時間だった、というと実にきこえはいいのだが、 実際のところ周りのレベルの高さに驚かされ、自信を打ち砕かれた日々だった。最初の半年は レッスンで先生が弾いてくれる演奏のすばらしさに圧倒され、この人の貴重な人生の一部分の時間を 僕のような者に使ってくれて申し訳ないと思っていた。シュタルケル氏の演奏を目指し、コンサートは もちろんのこと、CDやレコード(当時のアメリカではまだまだ現役のメディアだった)を聞きまくり、 レッスンに臨んだがその結果は芳しいものではなかった。当時の僕の本当に貧しい英語力のせいもあり、 彼が僕に何を要求しているのかを十分に汲み取ることができなかったし、先生もなんだか機嫌が 良くなかった。そのうち先生のスタジオ156号室をノックするのが恐怖になってきて、 一体どうしようと思ったものだ。

事態がやや好転したのは、その後、半ばやけになった僕が先生の演奏をどうのこうのより自分が 弾きたいように弾こうとしはじめてからのように思う。あるレッスンでベートーヴェンの 魔笛の主題による7つの変奏曲を弾いたときに、先生がぽつりと「よくなったな。」とひとこと 言ったのがどれだけ嬉しかったか。今考えれば、人まねではなく自分自身の音楽を追求するのは とても当たり前のことなのだが、そんなことに気がつかないほど当時の僕は精神的に幼かったのだ。 その後僕の英語力の進展もあり、レッスンはすこしずつ楽になっていった。そしてしばらく平穏な 日々が流れ、僕のリサイタルが10日後に迫ったときに事件が起きたのだった。

僕は、リサイタルの前半でシューマンの幻想小曲集とベートーヴェンの3番のソナタ、そして後半に 小さいオーケストラをバックにハイドンの1番の協奏曲を弾く予定で準備を進めていた。 オーケストラのメンバーの各々の担当の先生からサインをもらったりなど事務的な作業もあり忙しい 日々だったことは確かだが、ハイドンの協奏曲は過去に弾いたことがあると若干たかをくくっていたのが いけなかった。レッスンでそのハイドンを弾いたのだが、1、2楽章と進み、3楽章を弾き終わったとたんに シュタルケル氏の怒りが爆発した。

「リサイタルの直前にこのざまはなんだ!あさってのマスタークラスにもう一度弾け!そのとき 今日みたいに弾いたらそれまでだ!」

過去に幾人もの生徒にチェロを辞めさせた前歴のある先生のことだから事は重大、僕は真っ青になった。 それからどれだけ必死になって練習したのか覚えてもいないが、すぐにその当日は来てしまい、 僕はたくさんの聴衆の前でその問題のハイドンを弾き出した。1楽章が終わり、先生のほうを見ると、 ただ一言「次の楽章。」そして2楽章が終わると「次。」そして全楽章弾き終わるとみんなの拍手があり、 一同先生がなんと言うか聞こうとシーンとなった。

そこで彼が凄みのきいた声で最初に言った言葉は「お前の名前は?」

えっ?部屋全体に緊張がみなぎった。

僕が答える。「SUSUMUです。」

師「名字は?」

えっ?知らないはずがないのに。

僕「三宅です。」

師「お前など知らない。」

その瞬間みんなが凍りついた。僕の席からは先生の後ろに座っていた、今は韓国の国立芸術大学の教授の ヤン・ソンウォンが大きく口を開けて驚いた顔をしているのが見えた。

僕は明日荷物をまとめて日本に帰るのだろうかと思った。なんということだ。すると先生がまた言った。

「お前はおとといのレッスンのときとは別人だ。」

彼はなんと一応僕の努力を認めて褒めていたのだ。実に彼流のやり方で。本当に緊張した事件だった。

数年後、シュタルケル先生が日本でマスタークラスをやり、僕が通訳をしたときがあった。 会のあと一緒に食事をし、先生に恐る恐る「そのときのことを覚えていますか?」と聞いたところ、 「ああ、あれはお前が浮ついていたから、ちょっと引き締めたんだ。」と言って、にやっと笑った。

あの留学時代からもう15年近い日が経ち、あの大学にいた先生たちもたくさん亡くなられてしまった。 ピアノのシェボック、ヴァイオリンのギンゴールド、フランコ・グッリ、ドゥビンスキーなど、 本当に良き時代を知るすばらしい音楽家がいなくなってしまい、ブルーミントンも変わってしまった。 しかしシュタルケル先生はお元気のようで何よりだし、僕が何回か共演し、個人的にも仲良くして もらっているヴァイオリンのアゴスティーニが、ギンゴールドの後釜として先生になった。

本当に時間はどんどん流れ人生は過ぎていく。ぼろぼろのサンダルを眺めながら、心があの日あの時に 飛んだ。形あるものはこのサンダルのように滅んでいくかもしれないが、気持ちや体験といったものは 人間の心の中、記憶の中にはっきりと刻まれていく。僕の中に刻まれた大切なものたちのためにも、 よりいっそう努力して、いい音楽、いいチェロを弾きたいと思った。

あ!今度の本番もう近いぞ!現実の世界に戻って練習しなきゃ!

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