J-POPの宗教性に関する考察
洋楽の世界においては宗教と密接した音楽ジャンルというものが存在している。では邦楽の世界ではどうなのだろうか? 結論から言うと、"ほとんどない"のである。日本という国は確かに仏教徒が多い国ではあるのだが、決して宗教国ではない。「葬式仏教」という言葉があるように、多くの日本人は人が死んだ時くらいしか仏教に頼らないものである。仏教徒とはいえ、クリスマスにはプレゼントを交換し、正月には初詣に行き、結婚式は教会で挙げるものである。要するに、日本には熱心な宗教信者は少ないのである。そして、こういったお国柄のために日本では音楽と宗教が結びつくことはまれなのである。「お釈迦様万歳!」みたいな曲がヒットすることはまずありえないのである。しかし、日本にも「宗教」とはいかないまでも、(楽曲が)宗教的と形容されるアーティストはいるのである。さらに、新興宗教に染められたアーティストも少なからずいるのである。これより、そういったアーティスト達を紹介していこうと思う。
T、楽曲が宗教的な世界観を持つアーティスト
<スピッツ>
1、はじめに
スピッツというバンドは95年に「ロビンソン」がミリオンセラーとなってブレイクして以来日本の音楽シーンのトップバンドとして活動中である。結成は1987年でキャリア的にはもう大物と言えるかもしれないが、その音楽性は昔から一貫して変わらないままである。一読しただけでは意味のよくわからない歌詞をやたら綺麗なメロディーで歌い続けているのである。ほぼすべての楽曲をボーカルの草野正宗が作詞作曲するのだが、彼の書く詞は宗教的だと形容されることがある。大ヒット曲である「ロビンソン」のサビの歌詞には、「大きな力で空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る」とある。「宇宙の風」という表現が実に独特である。そしてこのほかのスピッツの楽曲にもこのような宗教的なエッセンスの含まれた表現がよく見受けられるのである。そこでこれからスピッツの歌詞の宗教的な要素に注目して歌詞を分析していこうと思う。
2、歌詞分析
スピッツはこれまでに(2002年夏までに)オリジナルアルバムを九枚リリースしてきている。今回スピッツの歌詞分析をするにあたってすべてのアルバムの歌詞を読んでみたわけであるが、一言で言うと「?」である。単語レベルでは難しい言葉は一切使ってないのだが、全体を通して読むと結局何が言いたいのか分からないのである。かろうじて、ラブソングが中心であることは分かった。しかしそれは大人の恋愛ではなく、おとぎ話や物語のような小さな可愛い恋愛である。現実感があまりなく別の世界のお話みたいに感じた。いずれにせよ他に例を見ないほど独特な歌詞だなと思った。
ボーカルで全作詞を担当する草野はインタビューで自身の歌詞について次のように述べている。
「パノラマっていうかね、一行ごとに世界がポンポン変わっていくのとかいいと思うし」
「言葉っていうのも全然関係ないようなとこからポッと入れたりとか、全然その曲のタイトルと 繋がらないような言葉とかをたくさん入れて、それで結局タイトルの言葉っていうのは出てこ なかったにしてもそのタイトルをイメージさせるでっかいイメージみたいなものが構築された らなっていう・・・。言葉によるコラージュみたいな。(略)いやでもイメージ浮かばせてやろう みたいな。いやでもトリップさせてやろうみたいなね」
(ロッキング・オン・ジャパン 91年八月号)
どうやらかなりの確信犯であるようだ。確かにスピッツの曲を聞いていると動物や植物な
ど様々な生き物がバンバン出てきて場面ごとの情景は浮かびやすいとは思う。しかし全体
としてのイメージが構築されるかといったらやはり「?」だ。何回読んでも意味のわから
ない楽曲はたくさんある。かと言って草野もインタビューでは具体的にこの歌詞はこうい
う意味で…とはあまり説明してくれていないのだ。不親切と言えば不親切だろう。個人的
には、「売れているバンドでここまで歌詞が意味不明なバンドも珍しい」と思った。
しかし、今回の目的はあくまで「スピッツの歌詞の宗教性について分析すること」なの
で、とりあえずは歌詞の中の宗教的なフレーズにのみ注目してみた。それらをピックアッ
プしていくと以下のように分類できた。
2−1、「神」・「天使」
まず何よりも目に付いたフレーズは「神」である。各アルバムに少なくとも一曲は「神」が登場する曲が含まれているのだ。以下に片っ端から並べてみた。実に様々な神が登場していることが分かるだろう。
「死神が遊ぶ岬」(死神の岬)
「天使から10個預かって」(鈴虫を飼う)
「色白女神のうたよりも」(日曜日)
「選ばれて君は女神になる 誰にも悟られずに」(涙)
「神のきまぐれ 箱庭の中」(ハニーハニー)
「地下道に響く神の声を麻酔銃片手に追いかけた 無くしたすべてを取り戻すのさ 地の底 に迷い込んでも」(裸のままで)
「幼い微熱を下げられないまま神様の影を恐れて」(空も飛べるはず)
「雲間からこぼれ落ちてく神様達が見える」(愛の言葉)
「あえて無料のユートピアも汚れた靴で通り過ぎるのさ自力で見つけよう神様」「いつかつま ずいた時には横にいるからふらつきながら二人で見つけよう神様」(運命の人)
「流れ星 流れ星 本当の神様が同じ顔で僕の窓辺に現れても」(流れ星)
そしてこれらほとんどに言えることは、「神がメインではない」ということだ。全部の歌詞を見れば分かるのだが、「神」という歌詞は、たいていが前後の脈絡もはっきりとせずにいきなり登場しているのである。最も明らかな例は「運命の人」における神の登場の仕方であろう。歌詞が「自力(二人)でみつけよう」ときて最後に「神様」と付け加えているのだ。むしろ「神様」を付けない方が意味が自然に通ると思われる。
要は露骨に神について歌った曲はスピッツにはないのである。ただ歌詞に神がここまで多く登場するバンドは他に例を見ない。やはり草野は神の存在を信じているのだろうか? あるインタビューで草野は次のような発言をしている。
「初めて飛行機に乗ったときなんて窓からバーッと入道雲が見えて『こんなん見ると絶対神 様が怒るに決まっている!』なんて思って(笑)」
(ロッキング・オン・ジャパン 95年9月号)
どうやら草野の普段の思考回路において当たり前のように「神」は登場しているようなの
だ。
2−2、「〜になる」
「神」の次に目に付いたのが「〜になる」といった表現である。草野の歌詞の登場人物は様々なものに変貌させられるのである。以下にそれらを並べてみた。
「ゆっくり浮かんだら 涙の星になった」(ビー玉)
「星になったあいつも空から見てる」(ベビーフェイス)
「昨日の夢で手に入れた魔法で蜂になろうよ」(日曜日)
「思い疲れて最後はここで 何も知らない蜂になれる」(ルナルナ)
「君に会えた 夏蜘蛛になった」(プール)
「あわになって溶け出した雨の朝」(あわ)
「冷たい風になり背中にキスしたら 震えて笑った君のこと誰よりも大事に思ってた」(タイム トラベラー)
「蝶々になる 君のいたずらで」(恋は夕暮れ)
「あなたのために蝶になって 飛んでゆけたなら」(メモリーズ)
「やがて君は鳥になる ボロボロの約束胸に抱いて」(Y)
「鳥になって」(タイトル同)
このように草野の歌詞では人間は他の動物やものになれるのである。主人公は「君(あなた)」がいることで蜘蛛や蝶になり、「君」は鳥になるのである。それ以外では、「星」・「あわ」・「風」になるわけだが、常識で考えればどれもありえないことだ。しかし、これこそが草野の歌詞の最大の特徴だと思う。非現実な歌詞を当たり前のように、なんの前ふりもなくさらりと表現してしまうのである。
また、草野の歌詞の登場人物が動物になる場合はたいていが「蜂」や「蝶」などの小動物である。決して「狼」や「ライオン」のような強いイメージの動物にはならないのである。こういった小動物を好む点について草野は次のように述べている。
「基本的にちっちゃい頃に感じた、小さい生き物や小さいものへの愛情や憧れっていうのは 基本としてずっとあって。」(ロッキング・オン・ジャパン 95年9月号)
実に草野らしい発言だ。草野という人物は決してミュージシャンらしくはない。写真を見
ればわかるが見た目は普通の地味な青年である(今はもう35才だが)。発言も「最高の曲
ができたよ」とか「おまえら愛しているぜ!」といった自信に満ち溢れた発言は皆無である。ライブでも地味な服を着てアコギをぶら下げて歌うだけである。声も張り上げて歌うでもなくただ地味に歌うだけである。だからこそこの発言は生きてくると思うのだ。地味で素朴な青年の書く詞にこういった小動物が出てくるのは全く違和感がない。身の丈に合った歌詞を書く人だと思う。リスナーはスピッツに「鳥になる」とか「蝶々になる」とか歌われても普通に受け入れられるのだ。スピッツの歌詞はなんでもありの世界の一場面なので人は何にでもなれるということだろう。
2−3、「飛ぶ」
ミリオンセラーとなった名曲「空も飛べるはず」に代表されるように、「飛ぶ」という歌詞の多さもスピッツの特徴である。以下に例を示した。
「きっと今は自由に空も飛べるはず」(空も飛べるはず)
「隠れた力で飛ぼうよ 高く定めの星より高く」(ハニーハニー)
「二人で絡まって夢からこぼれてもまだ飛べるよ」(ルナルナ)
「すぐ届きそうな熱よりも わずかな自由で飛ぶよ 虹を越えて」(虹を越えて)
もう飛びまくりである。もちろん人間が空を自由に飛べるわけはない。でも草野の歌詞では「自由に空も飛べる」のである。前述の「〜になる」の場合と同様に、登場人物は当たり前のように「飛べる」のである。この「飛ぶ」という歌詞の多さについて草野は次のように述べている。
「飛ぶっていうのは、意識と肉体を離して考えちゃう傾向があって。そういう魂の存在を肯定 的に歌詞にしたがる傾向があって。それは空想癖から生まれているもんだとは思うけど。肉 体の束縛からも解放されているような状態が飛ぶっていう、いろんな細かい感情とか自由に ――」(ロッキング・オン・ジャパン 95年9月号)
これはかなり宗教的発言である。「肉体の束縛からも解放」なんて表現はかなり新興宗
教チックである。そして、このインタビューを読んでいくと草野はかなりの空想家である
ことがよくわかる。それは本人も認めているところで、インタビューでは次のように述べ
ている。
「まあ僕は薬を使わずに、空想というのがあるからそっちに逃げられるんですけど。」
「もう自分の中にね、パラレルワールドが10個も20個も用意されているんで,全部ストーリー は進行中なんですけど。」
「空想癖はもう直らないし、退屈だなと思った瞬間にもう空想の中に入っているから」
(すべてロッキング・オン・ジャパン 95年9月号)
概してミュージシャンには自分の世界に入り込むナルシスト気質な人が多いものだが、草
野の場合は筋金入りである。自分で「空想癖はもう直らない」と言ってしまっている。こ
こまでくれば草野の歌詞に神が出てくるのも、人が飛べたり別のものになれたりするのも
仕方がないだろう。他人の空想世界(パラレルワールド)での出来事に難癖をつけるのは
ナンセンスといえよう。
しかし空想とはいえ「肉体の束縛からも解放」なんて表現をしてしまう草野は本当にた
だの空想家なのだろうか? 空想が現実とごっちゃになり危ない方向へ行ってしまわない
のだろうか? この「飛ぶ」に関する発言は何か怪しい新興宗教の匂いがしてならない。
もう少し突き進んで歌詞を分析していこうと思う。
2−4、「羽」・「翼」
「飛ぶ」つながりで「翼」・「羽」も頻出する。以下にそれらの例を示した。
「夜には背中に生えた羽を見せてくれたマリ」(僕の天使マリ)
「白い翼と 白いパナマ帽 渚の風を身にまとう夢を見たのさ」(波乗り)
「黒い翼でもっと気高く 無限の空へ落ちていけ」(黒い翼)
「時を止めよう 骨だけの翼眠らせて」(インディゴ地平線)
「生まれて死ぬまでのノルマから紙のような翼ではばたきどこか遠いところまで」
(ホタル)
当然のごとく草野の歌詞では翼や羽を持つ人間が存在する。しかしその翼は骨だけであったり、紙のようであったりと不完全な形態を取っていることもあるようだ。
2−5、「宇宙」
「宇宙」という歌詞は以下の三曲で登場する。
「宇宙のスイカが割れるまで待ってた」(トンビ飛べなかった)
「初めて感じた宇宙・タマシイの事実」(卵)
「大きな力で空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る」(ロビンソン)
このあたりからぐっと宗教っぽくなってくるのである。「宇宙のスイカが割れるまで待ってた」という表現はまだかわいいものだが、他の二つはかなり重い表現だ。
まず「卵」の歌詞における「初めて感じた宇宙」という表現についてだが、例に漏れずこの表現も前後の脈絡もなくいきなり登場するのである。「宇宙を感じる」とは一体どういうことなのだろうか? 当時のインタビュー記事を見てもこの部分に言及した部分は見当たらなかった。結局「初めて宇宙を感じた」の真意はわからないままである。
次に「ロビンソン」の歌詞における「大きな力で空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る」という表現について考えていこう。「ロビンソン」はスピッツがブレイクするきっかけとなった曲で140万枚ものセールスを記録した。そんな楽曲のサビ後半がこれである。歌詞はスピッツの中でも大意はつかめやすく、「『君』と二人だけの国へ行こう」といった内容である。要はこの部分だけが謎なのである。何かの大きな力で空に浮かんで、宇宙に吹く風に乗ってどうするのだろうか? 宇宙の風に乗った先に二人だけの国があるのだろうか? そもそも宇宙に風なんてあるのか(吹くのか)? 疑問は止まない。
この曲のキーワードはやはり「宇宙の風」だろう。「宇宙の風に乗る」と全部で4回も繰り返しているのである。「卵」の場合と同様に、草野はこの曲の歌詞についても詳しくは言及していない。ただ、「(ロビンソンは)売れ線を狙って作ったわけではない。むしろ売れないだろうと思った」と発言している。特に意識してではなくいつも通りにこの曲もできたということだ。結局今の段階ではこの部分の真意はわからない。ひとまず他の特徴に目を向けていこう。
2−6、「輪廻」
「輪廻」という歌詞は二曲で見られた。まずは「田舎の生活」において「終わることのない輪廻の上」という歌詞がある。そして「青い車」においては
「君の青い車で海へ行こう 置いてきた何かを見に行こう もう何も恐れないよ
そして輪廻の果てへ飛び降りよう 終わりなき夢に落ちて行こう
今変わっていくよ」(青い車)
という歌詞がある。「輪廻」の考えに基づけば「輪廻の果て」という表現はいささか矛盾を感じる表現だ。それだけでなくこの部分に関しては「置いてきた何かとは何か?」・「終わりなき夢に落ちるってどういうこと?」といった疑問も生まれてくる。これが「青い車」のサビなのである。具体的なのは最初の「君の青い車で海へ行こう」という部分だけで後は全く意味不明である。
また、他にも直接「輪廻」とは言ってないが「輪廻」を感じさせる歌詞もある。
「メリーゴーランド 二人のメリーゴーランド ずっとこのまま」(日なたの窓に憧れて)
この歌詞に関して僕は「メリーゴーランド」=「輪廻」だと考えた。この曲の大意は「君がすべてなんだ」といった感じでいわゆるラブソングである。だから「いつかは二人とも死んでしまう(無常)だろうけど、できれば輪廻の流れを止めてずっとこのまま(永遠に)二人でいたいんだ」といったふうに解釈してみた。もちろん僕の勝手な解釈であり真意はわからないが。
また「エトランゼ」という短い曲の歌詞は「目を閉じてすぐ浮かび上がる人 ウミガメの頃すれ違っただけの 慣れない街を泳ぐもう一度 闇も白い夜」なのだが、これも輪廻を歌っていると思った。これは、「輪廻の流れで前世がウミガメだった主人公が、ウミガメの頃にすれ違った人を覚えていた」というふうに解釈できるのではないだろうか?
果たして草野は「輪廻」の考えを信じているのだろうか? 歌詞を見た限りでは肯定的であることは分かるのだが。
2−7、「魂」
「魂」が登場する楽曲は4曲だった。以下に示す。
「タマシイころがせ」(ビー玉)
「そして君はすぐに歩き始めるだろう 放たれた魂で」(涙)
「柔らかな魂で混ぜ合わせた秘密裏通りを駆ける」(グラスホッパー)
「ゆらゆらさまよう魂を巻き込む」(ほうき星)
相変わらずスピッツワールド炸裂といった感じだ。前述したように草野は「魂の存在を肯定的に歌詞にしたがる傾向が」ある人だ。だから歌詞に「魂」が出てくるのは不思議ではない。しかしその使用方法はよくわからない。「柔らかな魂で混ぜ合わせた秘密」とは一体何なのだろう?
2−8「悟り?」
最後に、草野が悟ったであろうことを歌詞で表現している曲もあったので紹介する。
「生きるということは木々も水も火も同じことだと気づいたよ」(青い車)
「青い車」のサビについては前述したが、これはAメロの一部である。「人間が一番偉いのではなく木々も水も火も同じように精一杯生きているんだ」ということなのだろうか? しかしそうならば、「犬も猫も蚊も」といったふうにお得意の小動物にした方が分かりやすいだろう。「木々も水も火も」と表現しているのにはきっと意味があるはずだ。木が生きているというのはわかるが、水や火は植物でも動物でもない。「水は生きている」・「火は生きている」とはあまり言わないだろう。しかし、草野は「水」や「火」も生きていると認識しているわけだ。こういった発想は常人ではなかなかできないなと思った。これに関連して本人は以下のように述べている。
「やっぱ人間と自然っていうんじゃなくて、人間も自然っていう考え方になって。そういうのっ て公のところでいうとほんと鼻で笑われて終わっちゃうようなことですよね。」(ロッキング・オ ン・ジャパン 95年9月号)
そうなのである。草野は「水」も「火」も自然なのだから人間と同じように生きていると悟ったのである。しかもそう考えることは馬鹿にされることだとまできちんと理解している。ここに草野と世間一般の考えとの決定的断絶を見ることが出来る。草野はやはり常人ではなかった。
次に
「人は誰もがさびしがり屋のサルだって今わかったよ」(裸のままで)
これは「裸のままで」という曲のAメロ部である。ここで草野は「人も結局サルと同じ」だと考えている。人間を自然とみなした先ほどの場合とはやや異なるが、ここでも人間を特別視しない、「人間が一番偉いわけではないんだ」といった姿勢が感じられる。
最後に
「だんだん解かってきたのさ 見えない場所で作られた波に削り取られていく命が 混沌の 色に憧れ完全に違う形で消えかけた獣の道を歩いていく」(歩き出せクローバー)
これは「歩き出せクローバー」という曲のCメロである。これは最後にふさわしいすごい
表現だと思った。草野は「だんだん解かってきたのさ」と言うが、リスナーの僕は何も解
からない。「命が獣の道を歩いていく」とはどういうことか? ただかすかに「輪廻のこと
を言っているのでは」と思った。もちろん前後をよく読んでも真意は分からないのだが。(こ
の部分については後述)
3、まとめ
結局何が分かったのだろうか? スピッツの歌詞は確かに宗教的フレーズがよく見られ
る。しかし草野は「空想癖」がある青年なのだ。「全部空想上の話なのでスピッツの歌詞は
別に宗教ではない」と言えばそれで終わりである。しかしそれではあまりにむなしすぎる
ので、「草野にそういった空想をさせる原因はあるのか?」という疑問を考えてみた。
幸い僕の手元には雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」において草野が語ったことをまと
めた単行本があるのだ。その本をしらみつぶしに読んでいると手がかりになるであろう発
言を一つ発見したので以下に示す。
「まあみんな身近な人間が亡くなっているっていうのはよくあることだとは思うんですけど、俺 はそれをかなり引きずってしまうタイプかもしんないですね。だからそういうのを見るにつれ て、また天国・地獄の存在だとか――そういう空想に耽るというか、その辺の世界をちょっと 曲に反映したというのはあると思うんですよ。例えば『魂』だとか『輪廻』だとかって言葉にも その辺の影響はあると思うしね。(略)だからその辺はやっぱり『前提として死っていうものを 考えているから』っていうのはあるでしょうね。」(ロッキング・オン・ジャパン 94年11月号)
キーワードは「死」だったのだ。草野は幼児期に二人の祖父を一年くらいの間隔で亡くし、
かなり早い時期に「死」に対する意識はあったという。そして大学時代に親友の恋人が病
死する過程を目の当たりにして、さらに「死」について考えるようになったそうだ。そう
いった経験が「輪廻」や「神の存在」を考える段階にまで発展したということなのだろう。
もうお分かりだろうが、スピッツは別に宗教ではない。ただ「宗教的な世界観を持つ楽曲も少なからずある」というだけだ。今回は宗教的フレーズが含まれる楽曲のみをピックアップしただけであって、スピッツの曲はまだまだ他にも一杯あるのだ。大体三割弱の曲に宗教的フレーズが含まれているだけなのだ。
何度もいうようにスピッツの歌詞は非常に独特である。本人意外は誰も完璧な意味はとらえられないだろう。今回あえてスピッツの歌詞分析に挑戦してみたわけであるが、結局のところたいした結論には至らなかった。スピッツの歌詞に迫るということは要するに草野正宗という人物に迫るということである。しかしその草野のインタビュー発言は実に曖昧なものである。「そうかもしんないですね」・「うーん、どうなんだろう」・「いや、わからないですけど」などとはぐらかす発言が非常に目立つ。時にはインタビュアー側の私的な楽曲解釈に「ああ、なるほどね」と逆に納得させられたりもしている。本当につかみ所のないひょうひょうとした人物なのである。こういった点はある意味ミュージシャンらしいかもしれない。いやむしろ「芸術家らしい」といった方がいいかもしれない。
しかし最後まで彼の「宇宙」についての考え方は分からないままだ。「宇宙を感じる」や「宇宙の風に乗る」の真意は一体なんなのだろうか? あれこれと勝手な解釈は広がる一方だ。
スピッツの楽曲はメロディーがいいためにこんな独特な歌詞でも違和感なく聴いてしまえるという長所(短所?)がある。スピッツが好きという人は歌詞もちゃんと読んでいるのだろうか? メロディーに気を取られてあまり詞を読んでいない人は是非一度歌詞カードをじっくりと眺めてもらいたい。そこには草野による不思議な不思議なパラレルワールドが描かれており、「この歌詞は何を言っているんだろう?」とあれこれ考えざるをえないだろう。前述したが、草野は自分の詞について、「いやでもイメージを浮かばせてやろうみたいな。いやでもトリップさせてやろうみたいなね。」と発言している。そうなのである。あれこれ考えているうちに、気づけばあなたはスピッツワールドに迷い込んでいるはずである。
4、おまけ
先日(2002年九月)、スピッツの十枚目のアルバム「三日月ロック」がリリースされた。既にスピッツの歌詞分析は終了していたので、このアルバムは紹介という形にとどめておく。
まず、全部を通して聴いた感想としては、「相変わらずだなぁ。」と思った。これまでのアルバムと特に変わってないのである。歌詞も曲調もいつもの通りで、安心してスピッツワールドが満喫できるアルバムだった。しかし少し気になる曲(歌詞)もあった。それは「ババロア」と「けもの道」の二曲である。
「ババロア」はこのアルバムの中では浮いているように感じた。歌詞全体にスピッツの宗教的キーワードが散りばめられており、具体的なフレーズとして、「だから俺は飛べる」・「柔らかな毛布を翼に変える」・「もっと不様なやり方で 宇宙の肌に触れる」などが出てくるのだ。全体としての歌詞の意味は全く不明である。サビの終わりの歌詞なんて「ババロア 会いに行くから」である。しかも、この曲だけリズムが生ドラムではなく機械による打ち込みが中心で、キーボードも多用されており、全体的に無機質な印象を受けた。「宇宙の肌に触れる」という表現が「ババロア」と関連しているような気もした。いずれにせよかなり変な曲である。
「けもの道」はこのアルバムのラストの曲である。曲調はスピッツにしてはテンポの速い明るいロックナンバーだ。問題は歌詞である。
怖がらないで 闇の向こうへ手を伸ばす前のまわり道
すべての意味を作り始める あまりに青い空の下 もう二度と君を離さない
なんで 飛びそうだ?
あきらめないで それは未来へかすかに残るけもの道
すべての意味を作り始める あまりに青い空の下 もう二度と君を離さない
フレ フレ フレ(けもの道)
このサビの歌詞を見てはっと思い出した。「けもの道」という言葉は、六枚目のアルバムの「歩き出せクローバー」という曲に登場しているのだ。
だんだん解かってきたのさ 見えない場所で作られた波に削り取られていく命が 混沌の色 に憧れ完全に違う形で消えかけた獣の道を歩いていく(歩き出せクローバー)
これらの歌詞から、「 『けもの道』=『かすかに残った未来へと続く道』 」ということは分かる。しかも、「 『けもの道』=『混沌の色に憧れた命が形を変えて歩いていく道』 」なのだ。なぜ草野は「けもの道」という言葉を使うのだろうか? 草野が言う「けもの道」とは一体何なのだろうか? 僕は、「人が死んで、(輪廻の流れで)別の生き物に生まれ変わる際に通る道が『けもの道』なのでは?」と宗教的にとらえてみた。そうすると草野は、「人は生まれ変われるのだから、闇の向こう(死?)になんて手を伸ばさずに、今をあきらめずに精一杯生きてみよう!」と言っているのではないだろうか? 今回、草野が「けもの道」について言及したインタビュー記事は見当たらなかったので、ここでも僕の勝手な解釈を紹介するだけとなってしまった。まあいずれにせよアルバムの最後の曲で「けもの道」と言っているのだから、草野はこの言葉に相当思い入れがあるのだろう。
この「けもの道」という曲を聴いているとなんだか元気が出てくる気がする。もちろん明るい曲調のせいでもあるだろうが、やはり歌詞に元気付けられる。全体の意味はいつものように分からないのだが、「あきらめないで」や「怖がらないで」といったフレーズがストレートに耳に届いてくるのだ。しかも曲の終わりの歌詞は、「フレ フレ フレ」である。どう考えてもこれは応援歌ではないか。「『けもの道』って何だ?」とか「『なんで 飛びそうだ』って何よ?」とか細かい歌詞の意味を突き詰めなかったら、アルバムの最後にふさわしい元気が出る曲と言えるだろう。しかし一方で、こういった歌詞を最後に持ってくるという点は実に「スピッツらしい」と言えるだろう。
さて、「ババロア」・「けもの道」の二曲の為にまだまだスピッツから目が離せなくなってしまった。これからも彼らは素晴らしく僕らの想像をかきたてる曲をリリースしてくれるはずだ。"スピッツ"――実に不思議で奇特なバンドである。2003年で彼らは結成16年目を迎えるそうだ。 |
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