これまでのM@W のレコーディングは、所謂「不測の事態」の歴史でもあります。 秘話、というより哀話といったほうがよいかもしれません。 このコラムではレコーディングにまつわるM@Wの苦悩の数々をお伝えいたします。

 

■まえがき■ 

〜「不測の事態」の環境要因〜

 ご存じのように、M@Wはさっしゅう氏から歌詞(text)とアカペラ(MP3)ファイルを受け取ったじゃぐわが
編曲し、最後にふたりでボーカル録りを行う、というフローで曲を完成していくんですが、いかんせん住んでる
ところが遠く離れていて、われわれが落ち合えるのは年にせいぜい三〜四度。その少ないチャンスに録音を行う
わけです。どこで、どのようにレコーディングを敢行するか、これがM@Wにとって最大かつ未だ解決していな
い重要課題なのであります。


■第一話■
 

〜風のない町の憤懣〜

 ユニット「M@W」の最初のレコーディングは、2000年夏のこと。当時広島在住のじゃぐわ家へさっしゅう
家が来訪したときのことです。二家族総勢9名で寝食を共にし、とある星の降る夜、子供達が寝静まるのを待ち
じゃぐわの部屋にて密かに!録音が開始された。機材はiMACとコンデンサーマイク(名器NT-2)その他諸々。
夢に見たM@W初のレコーディング。しかし、その夜、それからのM@Wの行く末を暗示するかのような不測の
事態が‥。

 良好なレコーディングを行うには、静寂さを保つために録音現場をパーテーションする必要がある。つまり部
屋を閉め切るわけですが、じつは当時じゃぐわの部屋にはエアコンがなかった。エアコンのある居間に隣接して
いて、普段は戸を開け放しているので苦にならなかったのだが、このときばかりはつらい。しかも2000年夏の
広島は猛暑。さらに初代iMAC(今となっては非力マシン)は、処理の重たいハードディスクレコーディングソフ
トを必死に稼働させ、我々のレコーディングが熱を帯びる以上に、熱を帯びたのである。せめて、目の前にある
扇風機・冷風機を使いたい。しかし、それを運転させればたちまちレコーディングに必要な静寂性が失われる。

あじゅい! たまらなくあじゅい‥

 その極限状態の中、ボーカルさっしゅう氏は「烏賊釣り慕情」を見事に歌いきってくれたのである。このとき、
じゃぐわはボーカリストさっしゅう氏のカルチュアに対する熱情を、強く感じたのである。さすがは不惑の音楽
ユニット「M@W」のメインボーカリスト!。このことを知ったうえで、ぜひいまいちど「烏賊釣り慕情」を聴
いてみてください。さっしゅう氏の歌のそこここに表れている「哀愁」は、はからずもこのような録音環境がも
たらしたものであるのです。


■第二話(其の一)■ 

〜二千と一年の神隠し〜

 2001年9月。初のレコーディングからはや1年。さっしゅう氏はさいたまへ、じゃぐわは名古屋へ居を移し、
心機一転、第二回目のレコーディングを行うことと相成った。しかし、昨年のような思いは二度としたくない‥
今年こそ本格的なレコーディングがしたい、ということから、名古屋の著名なスタジオ(ボーカリスト田村直美
がインディーズ時代に使っていたスタジオ ここでは仮称「Aスタジオ」と呼ぶこととします)で録音機器のオ
ペレーターに一切の機材の操作を任せ、レコーディングすることとした。これで安心して音楽に専念できる。と
ころが、レコーディングの二日前、突然スタジオのオーナーから電話が入り、驚愕の事実が判明したのである!

「オペレーターが失踪した。
 この一週間全く連絡がとれない。
 私も困り果てている。
 まずはオペレーターの発見に全力を尽くすが、現段階では明後日のレコーディングを保証できない」

 ぶったまげた! 翌日(レコーディング前日)、スタジオに連絡を入れるが事態は変わらない。神隠しにでも
あったか、犯罪に巻き込まれたか、そんな憶測を巡らしたが、理由は如何にせよ、本人が現れないことにはわれ
われの夢はなんとも実現しない。
 そして、その夜19:00。さっしゅう氏が名古屋に向かう新幹線に乗る時間が刻々と迫っていた。ここで、われ
われM@Wは危険な賭けを行わなければいけなかった。さっしゅう氏が新幹線に乗るべきか否か!
 録音機材はシステム構成によって全く操作が異なる。予定しているAスタジオの録音はオペレーターなしでは
まず不可能であろう。しかし、じゃぐわはこのために有給休暇を取得し、さっしゅう氏は体調ならびに喉を、レ
コーディング当日がピークとなるよう万全に調整してきたのである。もう後戻りはできない。かくして、さっし
ゅう氏は大宮駅のみどりの窓口で、名古屋行きの切符の購入を決意し、不安と焦燥の中、新幹線に乗り込んだの
であった。すっかり夜も更けた午後十一時、さっしゅう氏はじゃぐわ家に到着し、そしてふたりは眠れない夜を
共にした。


■第二話(其の二)■
 

〜一期一会〜

 物憂い朝を迎えたふたりは、じゃぐわ家からほど近いAスタジオへ向かった。確かにオーナーは、その言葉通
り全力を尽くしてくれた。昨夜からオペレーターの消息を知り得る関係者すべてと連絡をとり、その顔はやつれ
きっていたのである。

‥ついにオペレーターはみつからなかった‥

オーナーを交え、三人は善後策を検討した。

1)じゃぐわが機材をオペレートする
 →しかし、AスタジオのHDレコーディングシステムは3台がカスケード接続され、じゃぐわの使ったことの
  ないマスタリングエフェクターが並ぶなど、とても手には負えず、ついぞ機材をオペレートすることはでき
  なかった。

2)じゃぐわの機材をAスタジオに持ち込み、レコーディングを行う
 →雑多な機材がAudio・MIDI・USBでぐじゃぐじゃに配線されているじゃぐわの機材をバラしてAスタジオで
  再構成する余力は、すでにわれわれにはなかった。
 
 絶望の縁に立たされたM@Wであったが、われわれが思案している間に、オーナー氏は、同業のオーナー諸氏
に連絡をとり続け、ついに今日レコーディングを行なってくれるスタジオを見つけだしてくれたのであった。
 なんとも有り難い。すわ、ふたりはじゃぐわのワンボックス(通称:田植えっす号)で、紹介された(仮称)
「Bスタジオ」へ急行した。そこには、急な依頼を快諾してくれた心優しきBオーナーがいた。

  とるものもとりあえず、さっそくレコーディングを開始。AKGのマイクとProTools(for MAC)というレコ
ーディングシステム。なかなかよいではないか。そして、ほどなくしてBオーナーは電話に向かい、知人のオペ
レーター氏に連絡をとったのである。多忙のなか、M@Wのためにかけつけてくれた第二のオペレーター氏が、
a-beeさん(なんと音楽制作会社SideEffectsを主宰する本職のプロデューサー!)であった。うぐぐ、M@W
の運気もなかなか捨てたものではないゾ、とふたりは幸運を喜びつつ、レコーディングを続けた。
 しかし、じゃぐわが「WEBの絆」の演奏データをディスクからシンセにロードしようとしたとき、無情にもエ
ラー表示が! 無念。これでは、伴奏の音が出ない。レコーディング続行不能か? 新たな危機にじゃぐわは極
めて動揺した。が、すぐさま気を取り直し、もう一枚の作りかけのディスクをロードし、みなに30分の猶予をも
らい、その場でアレンジを手直ししたのである。じつはこれはかなりきつかった。一点ビハインドのまま後半30
分を経過したサッカー日本代表のような心境である。そしてしばらくして、じゃぐわはなんとか聴ける状態にデ
ータを再生し、レコーディングは再開された。
 さっしゅう氏の歌声がスタジオのブースに響き渡り、レコーディング開始当初の羞恥心は徐々に薄れ、終盤は
極めてノリのよいレコーディングとなった。このコラムを読んでいるあなた。いまいちど、このような状況下で
録音されたということを思いつつ「WEBの絆」を聴いてみてください。さっしゅう氏のノリノリボーカルは、幾
多の苦難を乗り越えて晴れて録音にこぎ着けた喜びに満ち溢れています。
 そして夕暮れの午後五時。a-bee氏の最終マスタリングが無事終了し、M@WはBオーナーから完成版CDを受
け取った。さっしゅう・じゃぐわともども疲労困憊の中にもすがすがしさを抱きながら、Bスタジオを後にした
のである。

■第二話(其の三)■ 

〜人生の転機〜


 そして、数日後。じゃぐわは、労をとっていただいたAスタジオのオーナーにお礼をと思い立ち、Aスタジオ
へ行った。失踪したオペレーターのことをオーナーに尋ねると、「あの二日後に彼の消息を確認できた。そのと
き彼は『訳は聞かないでほしい』と懇願した」らしい。きっと、神隠しでも犯罪に巻き込まれたわけでもなく、
異性との関係のもつれかなにかがあったのだろう。オペレーター氏の人生が、あの空白の十日間でよい方向に変
わったのであれば、M@Wの労苦も小さなものである。しかし、十日間の無断欠勤を行なったオペレーター氏は
少なくともAスタジオでの仕事はいままでのようには望めないであろう。それを補って余りある幸せを掴んでく
れていることをわれわれはただただ祈るばかりである‥。
(ううん。やはり哀話となってしまった!)

  - 完 -