Mansun日記最終章(?)

Kleptomania Disc Review

 あー、しまった‥‥。実はこのアルバムをじっくり聞き込んで自分なりに結論を出すまでは、先入観を入れないために、インタビューのたぐいは一切目を通さないつもりだったのだ。なのについ、Snoozerを買って読んでしまった。おかげでせっかく私なりに美しく感動的な書き出しも用意していたのに、それがパー!
 とにかくSnoozerのPaulのインタビューを一読して感じたのは、「裏切られた!」というものだった。ちょうど信じていた恋人にいきなり別れ話を切り出されたようなもの。そうなると私はついかっとなってしまって、「あ、そうなの。いいわよ。べつに男(バンド)はあんたひとりじゃないんだから」と、(たとえ心にもなくても)タンカを切ってしまうのだ。
 ちなみに、これは現実の男の場合でもそうだ。よよと泣き崩れてすがりつくなんてことは絶対できない性格なので。もっともこの性格が災いして、別れ話を持ち出されるという考えも成り立つが(笑)。
 以前から言っているように、海外ミュージシャンは日本の雑誌の電話インタビューなんかじゃまず絶対本心は言わないということもわかってはいるし、これっぽっちのあいまいな話では何も判断できないのもわかってるんだけど、一度読むとついあれこれ考えてしまう。

 しょうがないので、ここであらためてファンとしてはいちばん気になる「解散の原因」について考える。私なりの推理では、いちばん考えられる原因はSuedeと同じ。つまりPaulがバンドの方向性に満足してなくて、それについて他のメンバーと衝突し、新規まき直しをはかるため、(悪く言えば他の全員を首にするため)、バンドを解散したという理由。確かにこの前があのLittle Kixだから、考えられなくもない。というか、私はPaulがあれに満足しているとは考えたくない。ここはSuede以上にPaulのワンマンバンドだということを考えるとよけいありそう。
 しかしこのインタビューを読む限り、それは完全にはずれ。「音楽的相違じゃない」と強調しているところだけでも、(それが本当なら)間違いだとわかる。

 代わりにPaulが言っているのは、「ビジネス上の問題」、「この業界に嫌気がさして普通の生活に戻りたい」というもの。
 はい、私も長いこと音楽聴いてますから、そういうのはもういやってほど見てきましたよ。だいたいバンドが解散する原因は上記の3つのうちのどれかだからね。でもなんか信じられない。納得行かないのだ。

 まずビジネスうんぬんというのは、要するにレコード会社との対立だわね。これもみんなが嘆いていること。会社の意向に邪魔されて、作りたいものが作れない、出したいものが出せないという悩み。でもそういう悩みを抱えているバンドは、たいてい日頃からインタビューで会社のグチを吹聴しまくり、しまいには面と向かってやり合うのが普通だ。でもMansunからそんな不平を聞いた覚えは一度もない。

 次に業界うんぬん。これもよくあるんだよねえ。たまたまポップスターになってしまったけど、体質的に「芸能界」とは肌が合わなくて、それで苦しみ、解散ぐらいならまだいいけど、自殺したり、麻薬中毒で自滅したりした人もいっぱい見てきた。
 でも、これに関してはPaulは大丈夫と根拠もなく思っていた。神経質そうな見かけに似ず、芯は強いと思ってたから。それに彼自身「普通の人」ではまったくないし(笑)、むしろこういうのは肌に合ってると思ってたのだが。まあ、人の内面なんて外からはわからないし、本当に中味も繊細だったのかもしれないけど。でも個人的に信じられないな。ネクタイ締めて9時5時の生活や、工場で単純労働する生活に戻りたいと本気で考える人がいるなんて。と思うのは、私自身がまったくそういうことができないからかもしれないが。

 まあ、とにかくこういうのは本人が本気で打ち明ける気にならなければ、いつまでたっても「藪の中」で、あれこれ詮索したってしょうがないよね。ただ、このインタビューを読んでひとつ明らかなのは‥‥
 「ひとりごと日記」のほうで、The Musicの 「今はもうバンドのことしか考えられない」、「音楽やってなければ死んでしまう」 というひたむきさ、切実さをほめあげたが、ただひとつ明らかなのはPaulはもうそれを失ってしまったということ。誰でもいずれそうなるのはわかっているけど、それでも私はそれを裏切りと感じる。というのも、私自身が音楽がすべてで、それがなかったら死んでしまうから。と、なんでも自分の基準を当てはめてすいませんね。でも、私が次々若いバンドに目移りする理由もわかるでしょ。
 冒頭の「男はあんたひとりだけじゃないんだから」というのも事実で、ちゃんとこういう時に備えて後釜は用意してあるのだ(苦笑)。というか、「別れはいつどんな形でやってくるかわからない」というのも、過去の経験で学んだから。Mansunがいなくたって、私にはManicsもまだいるし、「出てきたときからMansun以上」の太鼓判を押したPuressenceがいるし、若さと元気さならThe Musicがいるし、耽美と知性ならSouthがいるし平気だもん。

 と、いきなり切れる別れるの話になってしまいました(笑)。あんまりだな、これは。こんなはずじゃなかったのにー! そこであらためて気を取り直して最初から。

 このバンドがデビューしたとき、私は私なりに彼らの将来についての青写真を心に描いていた。Grey Lanternを初めて聴いたときはTears For Fearsを思い出したが、彼らとMansunの共通点は、あまりにも完璧な、磨き抜かれた宝石のようなサウンドと歌、というほかにも、「完璧なアウトサイダー」ということだった。アウトサイダーというと聞こえはいいが、言い換えれば完全に時代の雰囲気から浮いている、身も蓋もない言い方をしてしまえば時代錯誤ということ。
 今、英国から続々出てきている新人バンドにどっぷり浸かっている私にはよけいその違いが身にしみる。それとKleptomaniaを聞き比べれば、とても同じ時代のレコードには思えない。日頃、「ロックは同時代性がすべて!」と言い切っている私としては矛盾しているようだが、実はこういう「時代と寝る」ことを嫌うアウトサイダーが誰より大きな仕事をすることもあるのだ。
 そういうアウトサイダーのいい例として、私が真っ先に思い浮かべるのはJapanとQueenだ。音楽的には並々ならぬ才能を持っていながら、彼らも完全にシーンから浮いた、唯一無二の存在だった。おまけにセンセーショナルでど派手なルックスと、生意気で鼻っ柱の強い言動。こういうバンドは英国プレスには目の敵にされ、こてんぱんに叩かれる。Mansunもそうだった。(Manicsもそうだったよなー) で、だめな奴はここでつぶれる。JapanとQueenもファーストは鼻もひっかけてもらえなかった。
 ところが思い出してほしいんだけど、JapanとQueenの場合、本国でほとんど黙殺された不遇時代に彼らを熱烈支持して支えたのは日本の女性ファンだった。また身も蓋もない言い方をしてしまうと、日本であれだけアイドル人気が盛り上がらなかったら、はたしてセカンドアルバムが出たかどうかもわからない。ところがその後はご存じの通り、Japanは頂点での解散劇、QueenはFreddieの死で、たちまち伝説になってしまった。(Japanはあくまでカルト・バンド、Queenは商業的にも大成功を収めたという違いはあるが) (ManicsもRicheyの失踪で、プレスは手のひらを返したように好意的になり、いきなり売れ出したところが似ている)
 Mansunはファーストが全英チャート1位になったぐらいだから、本国でも最初から売れてたし、一概にはくらべられないんだけど、たまたまMansunもなぜか(笑)日本でアイドルに祭り上げられたんですね。それを見ていて私はこのバンドは第2のJapan、Queenになると確信した。好き嫌いは分かれるだろうけど、永遠に語り継がれる伝説のバンドに。

 が、この私の期待というか青写真はことあるごとに裏切られ続けてきた。はっきり言って裏切られたのは今回が初めてじゃないです。なのにそこは女心の微妙さというか、だめな男(バンド)と思いつつも、惚れた弱みでついつい離れられなくて、ずるずる続いてしまうということもあるわけで(笑)。
 いや、ほんと、Mansunの将来について、私は彼らのマネージャー以上にあれこれ考え心配してきたんだからね。なのに、ファースト以降のMansunのしてきたことは、私の考えでは間違いだらけだ。
 ファーストまでの怒濤のシングル攻勢、ツアー攻勢、ファースト・アルバムのリリースと、ここまでは完璧だった。ところがそのあとはなんかやることなすことすべてがちぐはぐだった。そもそもセカンド・アルバムSixが間違いだった。
 いや、もちろん私はこのアルバム大好きですよ。Mansunでしか作れなかった傑作だと思っている。でもあれは、たとえて言えばManicsのThe Holy Bibleに相当する作品で、私の長い経験から言うと、こういう「問題作」をいきなりセカンドで出してしまうのは間違いなのだ。セカンドというのはせいぜい「確実な成長」を感じさせるぐらいでとどめて、お茶を濁しておけばいいのに。

 過去に成功したファーストのあとのセカンドで失敗したバンドはたくさんあるが、私がすぐに思い浮かべるのはDuran DuranとEMF。どちらもアイドルとしてデビューし、ファーストで大ヒットを飛ばしたにも関わらず、セカンドはわけのわからない実験的アルバム(もちろん傑作だったのだが)で、大衆人気を一気になくしてしまった。
 もちろんDuranはまだあるし、人気もある。でも実力と人気から言って、私はこのバンドはそれこそ第二のBeatlesになれるとさえ思っていたのだ。なのにセカンドSeven & The Ragged Tiger以降は、やることがなんかみんなギクシャクしてしまって、長いブランクが空いたり、メンバーがボロボロやめたりで、もう昔のDuranではなくなってしまった。
 もっと悲惨だったのはEMFで、彼らはセカンドで爆死したクチ。なにしろキャピキャピのアイドルのイメージが強かったバンドが、いきなりネチャネチャドロドロの暗黒前衛アルバム作っちゃったんだから、ファンのとまどいもわかる。EMFはその後、Cha Cha Chaというサードアルバムを出して、これこそポップと前衛、狂気と耽美がみごとに結晶した超傑作アルバムだったにもかかわらず、その頃には完全に黙殺され、まったく売れなかった。そしてバンドもなし崩しに解散。
 The Musicの話でも引き合いに出したように、この手のハードエッジなダンス・ロックが大好きな私は、EMFは最初から世間の評価の何百倍もの可能性を持っていると信じて追いかけていたので、ものすごいダメージを受けた。

 なんかババアの昔話ばかりですみませんね。というのも、Mansunそのものが今やトラウマになってしまったので、同じようなトラウマバンドのことばかりつい思い出してしまうのだ。
 ついでに冒頭に述べたTears For Fearsがどうなったかというと、これもけっこう悲惨だった。なにしろ1983年にファーストThe Hurtingを聴いたときは、「こんなに隅から隅まで私好みの、いいバンドがあるなんて信じられない!」という、ちょうどMansunと似たような印象を抱いた。それぐらい、曲も演奏も詞も完璧に好き! 嫌いな要素がひとつも見つからなかった。でも期待したセカンドは確かに大人っぽくて趣味はいいけど、なんか私には渋すぎの印象になってしまい、その後も、男二人のデュオだったのに、アメリカの田舎のクラブで歌っていた黒人女性シンガーを引き入れて、「TFFはトリオだ」とか言い張ったり、このあたりからご乱心めいた言動が増え、サードまではなんとか出したが、結局二人が大げんかして決裂。お互い相手のことをボロクソ言いあっていたかと思うと、なんと今年2004年になってまたよりを戻して再結成したりして、私もいい加減むっとして、「もう勝手にしろ!」という気分になっている。それでもまだ憎みきれないというか、抵抗できない部分を持ってるんだけど。なーんかMansunもこんな感じになりそうだなあ。

 話を戻すと、というわけで、Sixを聴いたときも内心「ヤバい!」と思っていた。ああいうレコードはある程度評価が固まったところで出せば、「すごい!」と思ってもらえるのに。
 さらにMansunがだめな理由はシングルカットする曲の選択。これまたファーストまでは納得だったのだ。というか、Legacyまではいい。せっかくあれがMansun最大のヒットになったんだから、そのフォローアップはしっかりしなきゃならないのに、Being A GirlとSixって何あれ? いや、どっちもアルバム・バージョンはすばらしかったんだよ。ところが、そのいい部分を全部切り落としたシングル・バージョンは、まったくどこがいいんだかわからない意味のない曲になってしまった。
 なんでこういうちぐはぐなことをするのか? もちろんSixの良さはこれまた完璧に時代錯誤なプログレっぽさで、1曲の中にいくつもテーマがあって、それがめまぐるしく変化するところだったのに、それを取ってしまったら単なる陳腐なポップソングになってしまうではないか。もちろんそれをカットしなきゃならなかったのはそうでないとラジオでかからないからだが、そういう中途半端なことをするな! 出すなら出すで、エアプレイなんか犠牲にして、6分でも8分でも長いシングルにすればいいいのに。まったく私が彼らのマネージャーだったらイライラで胃に穴が空くところだ。でもいったんギクシャクし始めたバンドは容易には元には戻らないというのも法則で‥‥
 それでその後さんざん気を持たされて待たされたあとに出されたサードがLittle Kix。これがとどめの一撃。(少なくとも私にとっては) ここまでMansunについてきたファンを足蹴にして放り出すようなアルバムだった。(あくまで私の個人的見解だからね) 私だって、これだけ抜き差しならないところまでコミットしてなかったら、「このバンドはもうダメだ」と見切っていたところだった。

 ただ私としては何がなんでもLittle Kixで終わってはほしくなかった。というわけで、そのリリースを切望していたKleptomania、Mansun最後のアルバムである。というところで、やっと本編のリビューに入る。

CD1 The 4th Album Sessions

 普通はMansunの新譜というだけでウキウキワクワクするのに、これぐらい聴くのが不安なアルバムもなかった。理由は2つある。

 もしこれがものすごく良かったら、「これだけのものが作れるのに、なんでなんでなんで解散なんかしなきゃならなかったんだよー!」と嘆くのがわかっていたから。そしたら私はMansunの解散を一生の悔いとして、いつまでもトラウマとして引きずっていかなくちゃならない。(また昔話だが、Lotus Eatersの解散がトラウマになってしまったのも、アルバム未収録のラスト・シングルIt Hurtsが、アルバムをはるかに上回るすばらしい曲だったからである)

 逆にこれが完全に期待外れの駄作(Little Kixパート2とか)だった場合。そのときは「やっぱりこのバンドはもうダメだったんだ‥‥。Paulはもう終わったんだ」と、これまた悲しくなって、それだけならまだしも、もうMansunのファンでいることに耐えられなくなったかもしれないから。怒り狂って「もうファンやめた!」と言って、コレクションも売り払ってしまうという結末も考えられたからね。

 つまり、どっちにころんでも私には破滅的な結果しか予想できなかったのだ。しかし、当然ながら世の中というものは、そう白黒はっきり割り切れるものではない。先に結論を言ってしまうと、この「幻の」フォース・アルバムは、Mansunを嫌いになるにはあまりにも良すぎるかわり、解散を絶望するほどすばらしくもないという、どっちつかずの印象である。

 そもそも、あの完璧主義者のPaulのことだから、出すからにはきちんと仕上げて出すんだとばかり思っていた。たとえ、他のメンバーの協力が得られなくても、あの人なら全部ひとりでやることもできるはずと知っていたし。ところが、どうやらもうその気力もなかったらしく、ご存じのようにこれはぶっきらぼうにThe 4th Album Sessionsと銘打たれているだけである。あくまでセッションで、完成品じゃないってことでしょ?
 実際、聴いた感じでもデモと言うほどラフではないが、かといって完成とはほど遠いという感じ。なにしろMansunといえば、オーバープロデュースに近いほど凝りに凝った音作りが売り物だったから。この程度なら平気で完成作として出すバンドはいっぱいいる。だけどMansunはそれじゃだめだったはずなのだ。これではやっぱり本当のMansunとは言えない。
 というか、そういう中途半端なものを出すと言うだけでも、なんかMansunらしくない。だから私はこれを聴いていると、これがちゃんと完成していたらどうなっていたかとあれこれ想像して、隔靴掻痒というか、奥歯にものがはさまったようというか、なんとも歯がゆくてならない。そもそも昔のMansunはラフなデモでさえ‥‥ああ、だんだん単なる恨み節になってきたからやめよう。

 ここで各曲について、ごく簡単に。

 1曲目のGetting Your Wayはすばらしい!と言い切ってしまう。ご存じのように最近またダンス・ロックづいている私としては、Mansunとしてはめずらしく踊れる曲と言うだけでも心躍る。おまけにファーストの頃を思わせる「ロック」だし、それに続くシングルのSlipping Awayも似たタイプの曲調で、ここまで聴いたところで私は地団駄を踏んでくやしがったのだ。というのも、これが本来の4枚目の曲調だったはずで、これなら私はLittle Kixの悪夢はすべて水に流して許してやったはずだから。同時にMansun再生、そして将来につながる確実な証拠になるはずのアルバムだったから。
 この印象は続くKeep Telling Myselfでも持続した。あー、これがMansunだよなー。こういう曲はPaulでなくちゃ書けないよなーという感じの傑作曲だと思う。続くアクースティックのHarrisはいかにもデモっぽい作りだが、それなりにいい。サビがちょっとつまらないが、ギターは美しいし、このコーラスもいかにもMansunだし。
 流れるように流麗なLove Remainsもやっぱり聞き慣れたMansun節。でもこれを聴いていて、なんでTFFを思い出したかわかった。この辺の節回しや声の感じがTFFそっくりなのだ。
 6曲目Cry 2 My Face。実を言うと私はこの辺から退屈し始める。なんかこういうミディアムテンポのバラード聴いてるとやっぱりLittle Kixからの流れのような気がして。続くスローバラードのNo Signal/No Complaintsもちょっと。なんか要するに私は「ロック」じゃないと不満を言うような(笑)。Paulの歌い上げは感動的なんですがね、曲は好きにはなれないな。
 Homeはちょっと持ち直して好きな曲。でも本当にPaulの歌ってTFFに似てるなー。Fragileは暗いバラードだが、これはわりと好き。でもなんかB面曲を聴いてるような気がする。
 Wanted So Much。Paulのライナーによると「エレクトロニックとロックの融合をやってみたかった」そうだが、その狙いはよくわかる。これなんかちゃんと完成すればすごくかっこいい曲になっただろう。ちょっとSuedeみたいに聞こえるが。ただこれもB面によくあったような感じ。
 そして元々エンディングナンバーとして作られたというGood Intentions Heal The Soul。確かに美しいし曲もおもしろい。これなんかもぜひちゃんと完成させてほしかった曲。でも暗いなー。なんか変に明るかったLittle Kixとはやっぱり違う。やっぱりPaul自身が暗い心境だったせいだろうか? これが実質Mansunのラストソングになることを思うと、こんなふうに暗く寂しく物悲しい調子で幕を閉じるというのも‥‥

 おっと、このCDにはシークレット・トラックも入っているんだった。ギター中心のインストゥルメンタルで、ほんとにただの軽いセッションっていう感じのトラックだけど、やっぱりChadのギターはこの世のものとは思えないほど美しい。本気でこの人音楽やめちゃうの? 信じられないよー!(泣) こんなギターを弾ける人はChad以外にひとりもいないのに!

 という調子で、「やっぱりMansunはいい!」と思う一方、何とも言えない歯がゆさとくやしさは残る。あー、やっぱりイライラする!

CD2 Non-Album Singles, B-Sides and EP-Only Tracks

 私がMansunを愛するようになった理由のひとつが、B面曲がいい、というか、下手するとA面よりいいということ。ちなみにこれはすべての偉大なバンドの条件だとも思っている。そのMansunの栄光のB面をたった15曲にしぼるというだけでも無謀なことだが、この選曲には異議あり! ていうか、これどういう基準で選んだの? ファン投票でとか言ってたけど、そんなのやってたっけ?(そういや、大昔にそんなのもあったような気がする)
 もちろん、Take It Easy ChickenやEveryone Must Winのように当然外せないものは入ってるが、Decisions, DecisionsやMy Idea of Funみたいな退屈な曲を入れる必然性がどこにあったの? っていうか、私はMansunのB面曲で嫌いな曲はほとんどないのだが、例外はLittle Kixだけで、たまたまこの2曲はどっちもLittle KixからのB面曲だった(笑)。
 そんなの入れるぐらいならあれ入れろよ! Mansunシングルでいちばんレアで入手がむずかしいのはもちろんWide Open Spaceだが、このシングルのリリース時はMansunがいちばん脂がのりきっていた時代、ということはB面もすばらしいのに、このシングルは日本盤も出ていないし、多くのファンがB面は一度も聞いたことがない。そういうのこそ拾わないでどうするの! 特にRebel Without A QuiltはMansunのB面のベストトラックと言ってもいい感動の名曲なのに。ファン投票で人気が低かったとしたら、それは単に聞いたことのある人が少ないからじゃないの?
 いくら好きでもHoward Devotoの曲を2曲とも入れる必要があったのか(Shot By Both Sidesも入れると3曲だ)というのも疑問だし、だいたい私が大好きな曲がいっぱいもれてるんだよー。Drastic Sturgeonとか、An Open Letter To The Lyrical Trainspotterとか、The Holy Blood And The Holy Grailとか。どうせ出すなら全B面集3枚組ボックスで出さなきゃ許さない。
 で、どうせ私はすべて自分でCD-Rに焼いてB面集は作ってあるので(Kleptomaniaはこれができないのでむかつく)、今さらこんなの聴く気が起きない。だからCD2でいちばん感動したのは日本盤のボーナストラックのTake It Easy Chickenのビデオだったりする。もちろんこれもビデオに録画はしてあるが、やっぱりオフィシャルと思うとそれだけでうれしかったりして。

CD3 Rarities, Demos and Unrelaesed Tracks

 デモ集はDaveのDemo Tracksがあるし、レアトラックのたぐいはすべて持っているので、むしろ私が興味があるのは未発表曲。
 まずはRock 'n' Roll Loser。うーん、歌詞といい、曲といい、ありがちな曲だが、特に何も魅力は感じないな。だいたいみんな嫌いだからアルバムから外したっていうのに、今さらこれを収録する意味あったの? もちろんコレクターとしてはMansunの曲はすべて意味があるのだが。
 Secrets。確かに「異色の」曲だが、いったいどういう意図があるのかよくわからない。これにギャンギャンのフィードバックとかかぶせたらかっこいいかもしれないが。
 These DaysはNo Signal/No Complaintsに断片が入っている曲のフルバージョンだが、やっぱりこれも嫌い。なんかアメリカっぽい。
 It's OK、Drones、Right To The End Of The Earthはいずれも完成すれば超大作になったはずの、ドラマチックでパッションと力のこもったナンバー。そうそう、このパワーとパッションもLittle Kixではまったく感じられなかったんだよな。いかにも口当たりのいいおとなしい曲ばっかりで。こんなラフなデモでしか聴けないのが惜しい。フォース・アルバムにこういう曲が並んでいれば、私は彼らの足下にひれ伏して許しを請うたのに。
 あとはもう書く気がしない。あれ? しかし、全部終わったあとで、シークレット・トラックとして断片的なデモが何曲も入ってるぞ。うれしいけど、なんか未練がましいんだよ!

 ああ〜‥‥。ここで結論を出さなきゃいけないのだが、これを聴いたおかげで私の心は千々に乱れ、どうしていいかわからないという気持ちが強まるばかりだ。
 これはあくまで推測でしかないが、これを聴く限りではMansunのフォース・アルバムは大傑作になったはずだった。もし出ていれば。なのにそれを出さずにこんなものを放ってよこすなんてPaulは何を考えてるんだ!
 もしも私がPaulだったら、このアルバムはリリースしなかった。代わりに、全アルバム未収録曲を収めた4枚組CDボックスセットと、ライブとテレビ主演と全クリップをおさめた2枚組DVDボックスセットを出して華やかに締めくくる。(たぶん会社が許してくれないと思うけど)
 そしてフォースの曲はいいものだけを(出るかも知れない)Paulのソロアルバムにちゃんと録音し直して完成した形で入れる。とにかくなんかこういう中途半端な生殺しみたいな終わり方はしてほしくなかった。

 とにかくMansunが行き詰まっていることは私には火を見るより明らかに思えたので、実を言うと解散を聞いたときはそれほど驚かなかった。Paulとしてはもうそれしか選択肢がなかったんだろうなと思って同情したぐらいだ。だから、このアルバムよりむしろPaulの今後に期待したのだが、ここでまた先のSnoozerのインタビューに戻ってくる。
 ソロを出す気はあるの?ないの? はっきりしてよ! ていうか、そもそも彼は単にMansunという過去を葬り去りたいだけなのか? それとももう音楽に対する情熱を一切失ってしまったのか?
 いるんだよねえ、そういう人も。尽きせぬ才能とクリエイティヴィティを持ちながら、ある日突然「やーめた」と言って音楽業界から身を引いてしまう人が。でもPaulに限ってそんなことはない!と信じていたのに。音楽以上に大事なものなんてこの世の中にないのに!  

 そこで最初の予言、「Mansunは伝説のバンドになる」というやつ、これは私がそもそもの最初にファースト・アルバムを聴いたときから考えていたものなのだが、この予想が当たっているかどうかはまだわからない。バンドは解散してもその名声は解散後のほうが高まる場合もあるし、今後のPaulがどうするつもりなのかもまだわからないから。結局、私はこの半殺し状態のまま、一生この人を追い続けることになるんだろうけど、これまた私にとっては初めての体験じゃないからもう腹はくくりましたけどね。もうどうにでもなれ!というやけくそな気分にさせてくれるアルバムだった。

おわり

《以下は蛇足》

 ファンの気持ちとしてはもう一度Paulの声を聴きたいと思うのはもちろんだが、もう一目彼の顔を見たいと思うのが普通だと思うが、新しい写真は一切公開しないというのはどういうわけか? まあ二目と見られない顔になってる可能性も大だが(笑)。でもこちらとしても心の準備というものが必要なので、もうあと何年かしてソロ・アルバムが出たときに心臓発作を起こすよりは、今のうちにちらっとでも見せてほしいのに。

 ところで私が考えてるろくでもない法則。「極端なナルシストがいきなり頭を剃って丸坊主になると、たいがいろくでもないことが起きる前触れである」 いや、単にRicheyがそうだったし、Paulがそうだったから、そう思っちゃったんですけど。GeneのMartin Rossiterもそうだったな。Geneはべつにそれではつぶれなかったばかりか、坊主で傑作アルバムRevelationsを出したけど、なんかあそこから極端に盛り下がってしまい、やっぱりろくなことにはならなかった。

 それと邦題の『クレプタメイニア』にも異議あり。日本のレコード会社ってへんてこな英語ばっかり使うくせに、なんでここだけ原音表記? もちろんこっちのほうが英語の原音に近いと言えば近いんだが、私はホームページに『クレプトマニア』と書いたのを直さなくてはならなかったではないか。だいたい病名なんかラテン語読みでいいんだよ。(語源はギリシア語だが) とにかく日本語としては収まりが悪いし字面も良くないし、なんかこれって、Oasisを「オゥウェイシス」と書くような気持ち悪さを感じる。

 シングルカットを限定7インチにのみ限ったのはなぜか? つまりはチャート入りを放棄するってことだけど。(よっぽどのファンじゃなきゃもうアナログ・シングルなんて買わないから) それになんでアナログLP出さない!