Mansun日記 第1章 (1997年3月)

A LEGEND IS BORN

MANSUN / ATTACK OF THE GREY LANTERN (Parlophone, 1997)

 

 1996年回顧ではろくな新人がいないとかブツクサ言ってたが、それは毎年のことなのであまり真に受けないように。つまり、新人バンドがシングルを2、3枚出した時点では、それもBeat UKで30秒ずつ聴いただけでは、判断を下せという方が無理なのだ。やはり新人はデビュー・アルバムを待たないと、本当の価値はわからない。
 それでもBeat UKを見て引っかかるものがあるバンドは必ず何かあるもので、ビデオ・リビューをお読みになればわかる通り、昨年(1996年)私が目をつけたのはStrangelove、Mansun、Genevaの3バンドだった。Strangeloveは新人ではないので別として、96年の新人でイチオシはこのMansunである。

 音を知らずに写真だけ見て、最初このバンドに抵抗を覚えたのはルックスのせいだ(しかし、やめると言いながらこのパターンが多いな)。なぜかというと、くしゃくしゃのブロンドに薄汚い身なり、無精ヒゲを生やして目のまわりをべったり黒く塗ったシンガーのPaul Draperの姿が、まるでNirvanaのよう(というかKurt Cobainのクローンが4人いるみたい)に見えたからなのだ。
 しかしManicsで徹底的に懲りた私は、もう見かけで人を判断することはしない。たとえどんなに醜悪で、見苦しくて、汚らしくて、怖気をふるうようなルックスでも知恵遅れの薄ら馬鹿に見えようとも〈おいおい、誰のことだよ??〉、何はともあれ、音を聴いてからと思った。《ちなみにこれを書いているのは◆。●は最初からかわいいと言っていた》

 初期の(ということは昨1996年の)Mansunは、主としてアルコール飲料の過剰摂取による過激な行動で名を馳せた。ステージでもオフでも、酔っぱらって暴れたり、ギグの途中でぷいと演奏をやめて帰ってしまったり‥‥というとまるでOasisみたいだが、実際、最初はOasisの同類、要するに北の“ハードな”lad-bandと見られており、それはルックスから見ても大いに納得が行くことだった。元のドラマーはそのむちゃくちゃな生活態度について行けなくて脱退したというし。
 これについては本人たちは、「ただ慣れないせいだったんだよ」と、前にもどこかで聞いたような言い訳をしているが、今年に入ってキャリアを取るか、それともこのまま好き放題でたらめを続けて、そのまま果てるかの選択を迫られ、Mansunは前者を取る。
 特にアル中だったギタリストのChadは酒をぷっつり絶ったという。実際、MMのインタビューで、何を飲むか聞かれた彼は、ひとりだけミネラル・ウォーターを注文している。インタビュアーの方が翌日、彼が元アル中でAAにも入っていることを聞いてあわててるくらいだ。これはなかなかできないことで(普通はそのままドブに消えるか、20年ぐらいたってから、ようやく心を入れ替える)、なんか知らんがえらいと思う。

 ちなみにMansunという意味不明のバンドネームを聞いて、私が最初に思い浮かべたのは「Mansonのミススペルじゃないの?」ということだったが、実は本来の名前はMansonだった。もちろんCharles MansonのMansonである。ところが、Mansonという名前は商標権に引っかかって使えないので、Mansunに改めたのだそうだ。「Charles Mansonは登録商標なのか?!」というのも驚きだが、もっと驚きなのは、彼らはEMIというメジャーと契約したのだが、その時EMIに「Mansonが2人いては困るから名前を変えてくれ」と強く要望されたのだそうだ。なんと、EMIはCharles Mansonともレコード契約をしているのだ!
 ちなみにMansonは「人の子」という自分の名前を、神の子である証拠だと主張していたが、人の子なら神の子じゃないんじゃないか? だったらMansunは「人・太陽」でますますわけがわからない。このバンドネームも確かにルックス通りだったが、まあ、変えて正解というか、Mansonなんて聞いただけでもいやな感じの名前なので《そうだ、そうだ!》、かえって意味がない方がありがたい。しかし、歴史に残るような真に偉大なバンドというのは、名前もそれなりに風格のあるものであってほしいので、なんかそういういい加減な名前はちょっと引っかかる。

《Mansunの名前の由来には諸説あるが、最も信頼のおけるオフィシャル・サイトのバイオによれば、もともとの名前はGrey Lanternだった。このアルバムのタイトルはもちろんここに由来している。これは「Pink Floydのような響きがある」ため採用された。それからA Man Called Sunに改名したが、これはすでにA Man Called Adamというバンドが存在するのを知って「似すぎている」というので、Mansunに縮められた。それがデビュー・シングルのリリース時にはミスプリントでMansonになっていたが、これは上記の通りCharles Mansonの商標権に触れるというので、またMansunに戻ったというのが、ややこしい事の顛末である》

 というのが、だいたい去年の時点で私が知っていた情報。それ以外ではBeat UKで何曲か見たが、悪い気はしなかったものの、有象無象の新人バンドの中でそれほど目立った感はなかったというか、ルックスや名前の悪印象を覆すほどのものは感じなかった。

 私がMansunを意識し始めたのは、去年の年末のSelectでシングル・リビューをやっているのを読んだ時からである。
 そこで彼らはSuedeの“Saturday Night”をリビューして、“Wonderful Tonight”(知らない)にそっくりだと言いながらも、「でもぼくらはSuedeが好きなんだ。ぼくらはband of Suede loversだ。だから彼らは何やってもいいんだ」と言い放った。
 これはそれまでのイメージからすると、非常に意外な気がした。何もSuedeをほめてくれたからえらいというわけではないが、何の共通点もないように思えたので。ちょうどManicsがSuedeが好きだと言ったときの違和感に似ているのも、なぜか胸騒ぎがした。
 決定打となったのは、今年に入ってレコード屋でこのデビュー・アルバムを見つけたときだ。ちょうどMansunを表紙にしたMMもいっしょに並んでいた。そしてその表紙を見たとたん、私は迷わず、どっちかというと悪印象の方が強かったバンドを、試聴もせず、ディスク・リビューも読まずに、そのMMとアルバムを買って帰ったのだった。

 そのカバーとは、シンガーのPaul Draperが、炎を上げて燃えるバラの花束を手に立っているところである。このPaulを見て私は目を疑った。この構図のキザさだけでも相当なもんだが、くしゃくしゃで長かったブロンドを黒に染め(どっちが地色かわからないが)、きっちり櫛を入れてオールバックになでつけ、ヒゲもきれいに剃り、化粧はあいかわらずしているが、前のようなグジャグジャではなく、アイラインとマスカラをきれいに塗って、金色のシャドーを入れている。そして着ているものは千鳥格子のスーツで、ワイシャツを着てネクタイを締めている。
 くどいようだが、あのKurt Cobainもどきが、見違えるような変身だ。Kurt Cobainはどこかへ消え失せ、代わりに生まれたのは、SuedeやPulpやSmithsの伝統に連なる、これこそどこからどう見てもイングランド人そのものの「知的な変人」ではないか! これとさっきの発言が私の頭の中でカチッと噛み合い、「これは買いだ!」と直感したわけだ。
 でもやっぱり聴くのがちょっと不安だったので、先にMMの記事を読んだ。記事のリードは「彼らの先人たるSmithsやSuedeにも似て、Mansunは完全なアウトサイダーのバンドである」というもので、私は「やっぱり!」とうなずく。バンドもインタビューの冒頭で、「ぼくらはそもそもの最初からlad-bandじゃなかった」と念を押した上で、「ぼくらはSuede peopleだ」と堂々と宣言! Suede peopleというのは、最近Brettが好んで使う言葉なのだが、Paulに言わせると、これは「音楽に単なる娯楽以上のものを求める人々」という意味なのだそうだ。

 さらにKurt Cobainについての言及もある(ルックスが似ているということは前から言われていた)。これは本文にあるのだが、「確かに、Mansunの音楽にはCurtの亡霊が息づいている。ただし、それはCで始まるCurtである。すなわち、Roland Orzabal De La QuintanaとともにTears For FearsのメンバーだったCurt Smithである」
 ガガーン!! これはSuede以上の衝撃で、私の時計は一気に14年前に巻き戻る。ほんの短い間だが、かつては私のナンバーワン・バンドであったこともあるTFFの亡霊に、まさかこんなところで出会うなんて! それに続けて、MMはDuran Duran、ABC、Simple Minds、おまけになんとAssociatesの名前をあげている。ああー‥‥!(絶句)
 つい絶句してしまったが、それはこれらのバンドが、今ではMMも書いているように‘The Untouchables’だからだ。なぜかは知らないが、主としてManchesterの台頭以来、これら(Smiths以前の)80年代の主力バンドは、ちょうどパンク時代のヘビメタ、プログレにも似た、口にするのも忌まわしい、ましてや好きなんて口が裂けても言ってはならないタブーになっているのだ。(理由としては前のデケイドのものは退け、ひとつ置いた前ならいいということしか思い当たらない。だから80年代に70年代のバンドをほめることはものすごくダサいことだったが、90年代に入った今は、70年代がもてはやされ、80年代が貶められている)
 ところが、実際は今の新人はこの辺を聴いて育っているはずで、これはとんでもない欺瞞である。まして私は、特にこの日記を書き始めたのが80年の1月1日ということもあって、80年代というのは思い出しただけでも涙が出る、忘れがたい貴重な時代なのだ。なのにその伝統がぱったり途絶えていたのを悲しく思っていたのに、今になってその後継者が現れるとは!
 いつまでも驚いてはいられないので、さっそくリビューに行く。

 MansunはChesterベースのバンドである。私は「バンドは出身地で聴く」と豪語したぐらいだが、これはイギリスでも同じ傾向で、良かれ悪しかれ出身地である種のレッテルを貼られてしまうのはやむを得ない。ただ、これは便利な点もあるのだが、弊害も多々あって、おかげでスタート前からハンデを背負わされてしまう不幸なバンドも多い。最近じゃManicsが最大の被害者だろう。とにかくウェールズの奥地から出てきた、異様な格好をした田舎者が偉そうな口をきくというので、こてんぱんに叩かれた。本人たちが言うところでは、Mansunもまた同種の被害者だそうだ。
 私はべつにChesterには偏見はないが、「Chester出身じゃたいしたバンドじゃあるまい」というので、最初から軽視されたのだそうだ。確かに偏見がないというのは、ほかにひとつもChesterバンドを知らないということで、そういう意味では都会(といってもイギリスの基準でだが)だし、Liverpoolのそばであるにもかかわらず、音楽的僻地と言えるかもしれない。ちなみにバンドを始めたのは「とにかくChesterから逃げ出したかったから」というわけで、典型的なsmall town bandの決まり文句である。
 ちなみにMansunをノース・ウェールズのバンドと書いた記事を多く目にするが、ChesterはCheshireの州都で、れっきとしたイングランドの町である。イギリス人なら自国の地理ぐらい頭に入れておけ! もっともウェールズはすぐお隣だし、PaulはLiverpool生まれのウェールズ育ちだというから、まんざら関係なくもない。「時代は西だ!」という私のお題目にも合ってるし。 《ここで「西」というのは英国西部ってことです。イギリス音楽は長らく「北」の支配が続いてたので》

 メンバーはPaul Draper (V, G, K)、Dominic Chad (G, K)、Stove (B)、Andie Rathbone (D)の4人。年は知らないが、見たところ22、3といったところか。シンガーのPaulがすべての曲と詞を書き、プロデュースも彼がひとりでやっている。これは後で述べるように、曲の半端でない複雑さと凝ったアレンジを思うと驚異的なことなのだが、やっぱりワンマンバンドなのだろうか。
 ついでにスリーブも鑑賞。フロント・カバーは青黒いバラの花を一面に敷き詰めた上に、ロゴが浮いている。ほほー、“Blue Rose”ですか? ちょうどStraub論を書いたあとなので、ちょっとぐっとくるが、お耽美といえばお耽美、不気味といえば不気味かな。分厚いブックレットには写真(あいにくすべて「Nirvana時代」のものである)が満載されている。

 「ルックスは体を表す」というのが信条の私としてはルックス評もやっておくか。(もっとも初期からこれだけ変わるのだから、今後もどうなるか予想がつかず、文責は一切もたない。これはあくまで今現在の印象である)《どうなったかは、この後のリビューを読んで頂けばおわかりの通り。しかし、よりによって最悪のルックスをしていた時期に惚れ込むなんて、◆も趣味が悪いのか、それとも先見の明があったのか?》

 Paul Draperは「美少年」である。カギカッコがついているのは、まったく私の好みのタイプじゃないからで、それはともかく、細面の整った繊細な顔立ち、トロンとした大きな青い目、長いまつげ、ほっそりした体つきなど、美少年といって差し支えない。(しっかし、Kurt Cobain時代とは、なんど見比べても絶対に同一人には見えない) 化粧のセンスもいい方だが、私の好みからいうとくどすぎるので(特にびろーんとした下まつげがいや)、この子はスッピンで普通の髪型にしたらきっとかわいいだろう。ほかにいやなのは目が大きすぎるのとたれ目なところ(ほんと、注文が多い)。髪は元はブロンドだったが、今は前述のように黒くなっている。美少年だが、多少あぶないところと、ちょっとおどけたところがあるのは、かつてのLoz Hardyに似ている(ただしLozよりずっと美形)。
 ギタリストのChad(と呼ばれている。Dominicもあんまりな名前だと思うが)は、これこそ人によっては「美少年」の典型だろうが、私が絶対がまんできないタイプ。この人もブロンド=ブルー・アイズだが、Paulよりもっと目がでかくて、もっとたれ目で、もっとまつげが長くて、しまりのない受け口に巨大なあご。おまけにそのブロンドが今では肩に届くくらいあって、軽くウェーブがかかっている。いわゆる典型的王子さま顔、私にはいっとう虫酸が走るタイプ。
 というと、前章でRichard Oakesをほめたたえたのと矛盾しているように思われるかもしれないが、Richardには若さに似合わぬストイックな気品があるので、ぜんぜん違う。こいつはやっぱり下司で卑しい薄らバカとしか見えない。これだけ派手な外見だと、MansunではChadがPaul以上に目立つので、彼の印象がよけいバンドの印象を悪くしていた。おまけに胸毛が喉仏まで這い上がっている! ひいー!! 喉毛のあるやつなんて初めて見た! おまえはクマゴローか? その顔で?!
 ベースのStove(ニックネームだろうが、なんて名前だ!)もブロンド=ブルー・アイズで、ただしChadより多少太めで、もっさりした印象。いるよな、こういうやつもよく。どっちにしろ、私にはブロンドのイギリス男はすべて薄らバカにしか見えないのだが。
 なぜかかわいこちゃんタイプばかりが揃ったMansunで、ひとり浮いてるのが新加入のドラマーのAndie Rathboneで、この人だけがごつくてこわい顔のおやじ(たぶん年は若いんだろうが)。でもその方が風格があって、キンパツ坊やより私はこっちの方が好き。前のドラマーもかわいかったんだが。StranglersのJetやNew OrderのHookyの若い頃を思い出す(ただしあれよりはずっとハンサムだし痩せてる)。この人も青い目で、髪はブラウン。左の目尻に眉毛ピアスをしている(これ痛そうなのできらい)のも、見るからにコワモテがする。
 しかし、どんなバンドでも、ベーシストはちゃんとベーシスト顔をしているし、ドラマーはちゃんとドラマー顔をしているから不思議だよな。ちなみに今は全員並ぶと、Adam & The Antsのできそこないみたいに見える。フリルのシャツなんか着ているところもニューロマっぽい。というわけで、ルックス的にはけっこう粒ぞろいなわりには(ビデオ・リビューを読んでもらうとわかるが、論外なのが多すぎるのよ)、まったく私の好みではない。それを音楽がどこまで覆すかが見物である。

 バンドの発端はPaulとStoveが子供時代からの友達だったことから。他のメンバーは何度か入れ替わっている。《Mansunの詳しいバイオは後の日記に登場します》 今はPaulはChadといっしょに住んでいる。そうそう、そういえば、これもかんじんなセクシャリティの問題。化粧をしているせいか、Mansunに浴びせられる罵声でいちばん多いのは「オカマ野郎!」というものだそうで、そういえば、Paulが乳房の絵を描いたTシャツを着てるところや、Chadがカクテル・ドレスを着て歩いている写真を見たこともある。ChadはPaulの友達というより、妻のようだとも書かれている。
 そういや、イギリス人のホモフォービアについても、いつも怒りを燃やしてるな。私はむしろイギリス人ってホモ好きじゃないかと思うのだが。もっともこれは自分がいつも被害にあってるかららしい。なにしろこの人たちのこの格好は営業用じゃなくて、普段からこのなりで町を歩いているらしいから。そりゃ、化粧した男とドレス着た男が手をつないで歩いてりゃ白い目で見られるよ!
 そこでさっそくVoxのインタビューでは、Paulが「あなたはべつにゲイじゃないんでしょ?」という質問を受けているが、これに対しては、「そんなの関係ないだろ。音楽とセクシャリティとはなんの関係もない」と怒気をこめて反論。いつも音楽をセクシャリティで判断している私としては、ちょっと赤面するが、「ぼくらは他の“偽アンドロギュヌス”とは違う」とも言ってるな。それって誰のことだ? Morrissey、Brett、Richey、Martin Rossiterと枚挙にいとまがない(ただし、そのうちの何人が本物かは不詳)が、偽じゃないってことは本物だってことだよな。Mansunが両性具有イメージで売ってるのは事実だし。ということは本当にホモか? だって、ストレートならあっさり否定すればすむことで、それを言わないってことは、やっぱりバイセクシャルを気取っていることで、だったらやっぱり“偽アンドロギュヌス”になってしまう。ということはやっぱり本物なんだろうか? こいつらもわからん! 「セクシャリティ隠匿罪」を防ぐ法律を作ってほしい。セクシャリティをあいまいにして人心を攪乱した者は禁固1年に処すとか。

 音楽的影響として名前をあげているのは、先のSuede、TFFの他は、70年代のBowie、T-Rex、パンク、それと80年代のほとんどすべてだそうで、「12の時からVelvetsやStoogesを聴いてるとか言うやつの気が知れない。もちろんそういうのにも好きなのはあるけど、たとえかっこわるいと思われたって、自分に正直でありたいんだ。ぼくらは最初から、ポップ・ミュージックが好きだと言ってきた」そうだ。そういや、George Michaelみたいな「ちゃんとした曲が書けるソングライター」を尊敬するとも言ってたな。逆にいわゆるインディー・バンドは嫌いだそうだ。へー?
 この辺、基本的にはポップよりインディー側である私としては、ちょっと抵抗を感じるのだが、そういう私も80年代にはWham!やDuranを聴いてたし、Take Thatまで聴いてた人間としては強いことは言えない。
 ちなみにレーベルもインディーではない。メジャーと契約できたということは、本当の底力のあるバンドという証明で、これは心強い要因。最近のCreationやFoodとくらべれば、まだメジャーの方が良心的というか、本当にいいバンドはメジャーだもんな。
 でも、Mansunがプレスに嫌われる理由もわかったっていうか、いまどきTFFを礼讃すれば、こてんぱんにやられるのも当然だよな。Selectのディスク・リビューなんか、星2つの酷評だった。まあ、わからんやつにはわからなくてもいいが、なんでBeatlesもどきはよくて、TFFはだめなのか!?と、つい怒ってしまうが、世の中なんてそんなものだ。ついこないだまで、Manicsが好きだというだけでバカにされたのに、今や神と祭り上げられてるしまつだし。問題はこの圧力にどこまで抵抗してがんばれるかということだろう。

 というところで、いきなりニュース! ビデオ・リビューにも書いたが、このアルバムは出たとたん、全英アルバム・チャートの1位に輝いた。えーっ、Mansunってそんなに人気あったの? 実はMMの表紙にも「MansunがNo.1」と書いてあったのだが、私はぜんぜんぴんとこないので、インディー・チャートのはずないし、なんのことだろうと思っていたのだ。去年のポールでも決して上位じゃなかったし、私がこういうふうに入れ込むバンドというのは、向こうでは冷遇されることが多くて、さっきも言ったようにプレスには嫌われてたし、私はむしろこのまま消えることを心配していたぐらいなのに。
 その理由は実は中味を聞けばわかるのだが、とにかくまともな新人ロック・バンドのデビュー・アルバムがいきなり1位になるというのは異例のことで、そういうバンドはほとんど例外なく大成する。しかしイギリス人がホモフォービアだなんて誰が言ったんだ? こんなバンドがNo.1になるなんて、イギリス以外じゃありえないじゃないか。

 ああ、前置きが長い。というのは、それだけ大物ってことなのだが、この調子でやっていったら、とんでもなく長くなってしまうので、ここらでいよいよアルバムの話に移ろう。
 タイトルは“Attack Of The Grey Lantern”。早くも頭痛が‥‥。『灰色提灯の襲撃』って何なんだ?! これまた中味を知らずにタイトルだけ聞いたら、絶対に買う気の起こらないタイトルだな。
 Selectに載ったPaulの説明によると、The Grey Lanternというのは一種のヒーローの名前で、彼が腐りきった田舎町の「道徳的偽善者」に天誅を加えにやってくるという話なのだそうだ。しかもThe Grey Lanternというのは、Paulの分身だそうだ。これだけでもますます頭痛がひどくなるが、しかもこれはトータル・コンセプト・アルバムなのだそうだ。そういや「登場人物」はいくつかの曲に共通している。たしかに、本家TFFやBowieは今でもやってるが、いい若いもんが何を考えてるんだ?
 ああ、頭が痛い。というのも、この手のバンドというのは詞が重要で、詞の「解読」をしなくちゃならないのに、詞もこの調子で狂ってたらどうしよう。しかし狂ってるのはほぼ確実、というのは、収録曲のタイトルだけながめてもわかる。とにかくいきなり1曲目が“The Chad Who Loved Me”。ChadってギタリストのChadのことでしょ? Paulの詞もご多分に漏れず私小説的らしいが、『私を愛したChad』ってのはなんなのよ?! 少なくともポップソングのタイトルじゃねーよ! かと思うと、まんまSmithsの“Vicar In Tutu”を連想させる、“Stripper Vicar”なんて曲もある。
 あー、これじゃ中味が思いやられる。しかし、初めてSmithsを聴いたときも、初めてSuedeを聴いたときも、作詞者の神経と正気を疑ったが、その後たちまち天才詩人に祭り上げられたことを思うと、これは期待が持てるかも。
 これもPaulの弁だが、彼はMonty Pythonのファンだそうで(やっぱりけっこう趣味が合う)、あの手の不条理ユーモアを曲に取り込んでいるのだそうだ。ふーむ、Suedeはまったくユーモアがない(これはBrettも認めている)だけに、これはかえって強みかもしれないな。ああ、ご託が長い! それじゃいよいよ聴きます。

 で、オープニング・ナンバーは例の“The Chad Who Loved Me”(苦笑)。この腰の抜けそうなタイトルにもかかわらず、「Suedeも顔色なからしめる」クラシカルでドラマチックで荘厳で華麗なストリングスでの幕開け。さらに、それに優るとも劣らない荘厳で華麗なギターが乗る。これだけ聴いて私は本当に腰が抜けた。ああー、これだ、これ! このサステナーのかかったキュイーン!というギター。これこそTFFを最後にまったく聞かれなくなってしまったが、かつての私がこよなく愛したギター・サウンドではないか!(もちろん代表選手はPhil Manzanera) 私がSuedeの“The Asphalt World”にあれだけ感動したのも、このギターがちょっとだけ聴けたからで、なのに、ここでは全編これ。ああー‥‥
 とにかく、この1曲でMansunに対する私の評価は決まった。これだけ圧倒的にスケールのでかい、なおかつ天にも昇らんばかりに美しい曲を書ける、演奏できるバンドがただ者のわけがない。これが新人のデビュー作?! ほんとかよ? どこかの誰かが匿名でやってるんじゃないの?と疑うぐらいすばらしい。この曲の壮大な構築性はTFFというよりはむしろ、Depeche Modeを思わせるな。
 ちなみに曲の終わりには、ストリングスの余韻が切れ切れに美しくたゆたう中、いきなり牛が切ない声で「モオー」と鳴く。今度はPink Floydかよ?! MMによると、ほかにも「溺れる猫の鳴き声」、「水の中の教会の鐘の音」、「第二次世界大戦の空襲警報のサイレンの音」、「『華氏451度』ふうの紙が燃える音」などのSEも入ってるそうだ。なんだか、どこまでマジなんだか、ふざけてるんだかわからないバンドだな。正確にいうと、曲自体は大まじめなんだが、それ以外の部分(これとかタイトルとか)が、徹底的に人を食っているのだ。
 そこで問題の詞だが、タイトルに反してChadとはなんの関係もなく、これはれっきとした罰当たり関係の歌ではないか。

ぼくは神なんだろうか?
それともイエスなんだろうか?
男なのか?
それとも少年か?
これは愛なんだろうか?
それともただの所有欲なんだろうか?
ぼくは聖なるものなんだろうか?
それともまったくの無なんだろうか?

 Mansunの詞には宗教色(というか冒涜色)が濃厚だというのは、すでにいろんなリビューで指摘されている。これはPaulが厳格なカトリックの家庭で育ったことに由来しているらしい。よって当然のように、宗教には猛烈な敵意を燃やしている。イギリス人というのはあの通り、神様をまるで気にかけない不敬なやからなので、The Jesus And Mary Chainのように一見宗教的なバンドでも、実は単なるおちょくりにすぎないことが多いのだが、カトリックの人だけは例外であるところを見ると、よっぽど罪作りな宗派なんだと思わずにはいられない。
 しかし、タイトルがむちゃくちゃなわりには、詞は意外とまともだな。「きみの糞もぼくのと同じくらい甘いことは否定できない」とかいうのを、まともの範疇に含めればの話だが。考え過ぎかもしれないが、この種の「ラブソング」(だよね、これはやっぱり)で、「糞の味」が問題になるあたり、私はやっぱりゲイっぽさを感じてしまうのだが、どうだろうか? 〈だいたいが、それ以前に相手は男じゃないか!〉 それもそうか。
 それはともかく、詞はなかなか格調高いし美しい。〈糞の味が?!〉 糞の話はちょっと忘れて! 言葉も考えて選び抜かれているし、やっぱりそこらのあんちゃんではない。Voxのインタビューでは、「歌詞なんか重要じゃない。ぼくの歌詞には意味なんかたいしてない。なぜかというと、ぼくは自分への反発として、わざと意味のない詞を書くことにしてるから。歌詞なんか声の乗り物にすぎない」とか言っているが、これは歌詞の意味を説明するのがめんどくさくなった場合の常套句なので、あまり信用してはいけない。

 続いては“Mansun's Only Love Song”。また頭を抱えるようなタイトル! これについては、MMのインタビューでPaulが「ラブソングなんて好きじゃない。ぼくは誰とも恋なんかしたことはないし、‘I love you’とかそのたぐいの歌は書きたくない。この曲はラブソングというジャンルに対するおちょくりとして書いたんだ。ぼくらはラブソングなんか書かない。ぼくらの書くのは憎しみの歌だ」と言っている。これまた「絶対にラブソングは書かない」というManicsの信条を思い出させるが(あいつらは裏切りやがったが)、私には前の曲もラブソングに聞こえたんですが‥‥
 とりあえず、この詞は前曲ほどもラブソングらしくない。かといって要約するのは至難の業なのだが。タイトルの‘grey lantern’は唯一、この曲の中の「灰色のランタンの光の中に立つMavisは、輝くドレスを着てセクシーに見える」という文句の中に出てくる。どこがヒーローなんだよー! どうもPaulの説明はあまり真に受けない方がいいみたい。
 しかし、ここで重要なのは歌詞ではなく、曲の方である。とにかくいきなり、軽快なシンセ・リズムで始まってドギモを抜くが、そこに入ってくるギターは‥‥ジャラーン!というアクースティックも、むせび泣くエレクトリックも、これこそTFFだあー! これはCurtじゃなくって、やっぱりRolandの方ですよ。そしてこれはまさに全盛期のRolandが書いたような曲。いや、こういう「○○みたい」という言い方は、おのれの表現力のなさを露呈するだけでよくないな。もちろんTFFとは違う。しかし、たとえようもなく美しいという以外、なんと形容したらいいのか‥‥
 曲も感動的だが、それ以上に感動的なのは歌メロである。▲がShed Sevenのリビューで、「私が絶対抵抗できないタイプの、聴いただけで胸がぎゅっと締めつけられるようなあれ」について書いていたが、その種の心の琴線に触れるメロディというのは誰にもあるもので、私の場合はこれ、これなんだよ! しかし、同一人なのに、この好みの違いにはいつもながら驚かされる。根っからのロック少女である▲が「近年にない大物」とほめたたえるShed Sevenなんかは、私には「元気がいいだけの単細胞」にしか聞こえないもの。
 私がバンドに最低限求めるのは「ちゃんとしたメロディが書けること」。それだけあれば、ルックスなんか金髪でもクマでも許せると思うくらい。ところがMansunはちゃんとしたどころか、もうこれ以上はないというくらいの完璧なメロディが書ける。いま現在メロディ・メイカーとしてはBrettに匹敵する人はいないと思っていたが、早くも足下を脅かされている!

 ああ、この2曲だけでいい。あとはもう何もいらない‥‥という気になってくるが、まだあと9曲もある。次は“Taxloss”。今度は税金の歌(苦笑)かと思うと、Paulは人の名前だというのだが、やっぱり中味は金の歌だよな。ええい、もう歌詞なんかどうでもいいや。これはSuedeの影響がいちばんはっきり感じられる、グラム調の歌で、特にBrettに唱法がそっくりなので、時々Brettが歌っているかのように錯覚させられるほどだ。ちょっと線の細いBrettって感じね。もちろんメロディの良さもSuede並みってことは、とんでもなく良い。
 Mansunとしては軽めの曲なのだが、それでも音の複雑さと凝りようはすごい。ここは基本的にギター・バンドなのだが、キーボードは全曲に入っているし、さらにそれを何重にも重ねてギンギンにエフェクトをかけた、いわゆる「単位時間当たりの情報量の多い音」は、これも久しく聞かれなかったもので、Queenを除いては、やっぱりプログレの時代まで遡らなくては、こういうのは記憶にない。Queenだってこれほど濃くなかった。
 コーラス・ハーモニーの美しさも特記に値する。どころか、本格的なロック・コーラスを聴いたのなんて、これもほんとにQueen以来かもしれない。バッキング・ボーカルにクレジットされているのは、Chadだけなのだが、Chadという人はこれだけのギターを弾いて、しかもほんとにこれだけ歌えるのだろうか?

 鐘がキンコンカンと鳴って、続いて“You, Who Do You Hate?”はアクースティック・バラード。アクースティックを聴けば本当の実力がわかるってくらいで、お手並み拝見。案に違わずこれも美しいが、さすがにこの領域ではまだSuedeには及ばないな、と思ってちょっとほっとする。しかし、サビではギターがジャーンと鳴って、いきなりドラマチックに盛り上がるところはManicsのバラードみたいでもある。
 歌詞はこれもラブソングにしか聞こえないんだが。「生まれ変われるならきみになりたい」というのは、Cureの“Why Can't I Be You?”にも通じるラブソングなんじゃないか? ただ、それに“You, Who Do You Hate?”というタイトルを付けるところが、いかにもひねくれてるが。

 次はシングルの“Wide Open Space”。Beat UKで聴いて、私に「おっ?」と身を乗り出させた曲である。この辺になると、もう誰々に似ているとかいう言い方はできなくなってくる。不安なギター・リフと重いリズムに乗せて、高く高く舞い上がっていくような、トリップ感覚あふれる曲。でもどこかに冷たく醒めたところがあるのが、恐ろしくも美しい。力強く、悲しく、感動的な名曲・名演である。という以外、もうよけいなことは付け加えたくない、と思うくらいすばらしい。

 次は私が初めて耳にしたシングル“Stripper Vicar”。ビデオ・リビューでは「Brit Popは聞き飽きた」とか書いてしまったが、それはBlurに似ているという第一印象があったからである。確かにユーモラスな感じのポップな主旋律とサビの前半はBlurに似ているかもしれない。しかしBlurには、文字通り臓腑をえぐられるように切ない、‘Should I lie〜’の部分はない。ファンキーな間奏部もない。さらに畳みかけるようなエンディングの息を呑むようなギターとボーカルもありえない。結果的にはこれも“Wide Open Space”にひけを取らない力作であり傑作である。
 この歌詞はすごくよくわかる。というかストーリー仕立てになっており、Mavisという女性に宛てた手紙の形になっている。この人物はすでに“Mansun's Only Love Song”に出てきた。最初の手紙ではMavisの健康状態を心配した「ぼく」が、相談をしに牧師に会いに行ったところ、逆に牧師が夜はパートでストリッパーをしていることを打ち明けられ、どうしたらいいのかとMavisに訊ねている。次の手紙では彼は牧師の死を告げる。牧師は「猿轡をかまされ、ストッキングとサスペンダーで縛り上げられて」死んでいるのを見つかったのだ。さらにMavisが牧師の娘であることも明らかになる。
 この曲が生まれた由来についてはPaul自身が話していて、彼の友達の女の子が牧師の娘で、父親が革の鞭やらなんやらを隠しているのを見つけた話を聞かされたのが元ネタだそうだ。当然ながら、レコード会社には「曲はこんなにいいのに、なんでわざわざそんな歌詞をつけて台無しにする? これじゃエア・プレイも得られないじゃないか」といちゃもんを付けられたそうだ。しかし、それがNo.1ですからね。やっぱりイギリス人ってこういうのが好きとしか‥‥
 内容はともかく(内容もすごく好きだが)、この歌詞は本当によくできている。これなんかかなり長い饒舌な歌詞で、Manicsだとさっそく字余りになりそうだが、メロディに無理なく乗っているし、きちんと韻も踏んでいる。この人は歌詞には相当頭を使っていると見える。

 不思議な前衛的イントロで始まって、「いったい何が始まるんだろう?」と不安にさせられるのが“Disgusting”。Mansunの曲はみんなそうだが、一言で要約するのがむずかしい。1曲の中でひんぱんにコード・チェンジがあり、ころころと表情が変わるからだ。これもそのアンビエント・テクノふうのイントロ、ギターとパーカッションがさわやかで愛らしい前奏、強迫的でブルージーなメインテーマ、そしてこれこそTFFそのものの美しくもドラマチックなサビ。1曲の中にいろんなテーマがあるということに関しては、やはり▲がShed Sevenをほめていたが、あんなの問題にならない!というくらいMansunは絢爛豪華だ。さらにこのまったく関連のないテーマが流れるように無理なくつながり、互いに呼応して曲を盛り上げる。

 次が第3弾シングルの“She Makes My Nose Bleed”。私がBeat UKで見て「これは買いだ!」と思ったのがこの曲である。その理由は流れるように流麗でドラマチックな、完璧なメロディや演奏もそうだが、それ以上に、このボーカルに惚れ込んだからである。
 ところで、ここまでPaul Draperのボーカルについて一言も触れていないのにお気づきだろうか? メロディの次に大切なのはボーカルで、特に私は声が好きじゃなければ(おまけにルックス同様、声についても極端に好みの幅が狭い)、たとえどんなに美少年だろうが聴かないのに(Menswearはまあ、あれだ)。
 何も言わなかったのは何と言っていいかわからなかったからだ。シンガーとしてのPaul Draperをあえて一言で定義するとすれば、「七色の声とボーカル・スタイルの持ち主」とでも言うしかない。それぐらい、曲によってまったく違った声とスタイルを使い分けている。かなり声を作っているし、ボーカルにエフェクトをかけていることも多い。どの曲を聴いても、とても同一人物が歌っているようには聞こえない。1曲の中でさえ、びっくりするほど化ける。よって、確かにさっきの“Taxloss”ではBrettそっくり(つまり、高いきれいなグラム・ボーカル)と聞こえたのに、ここではRolandそっくり(低く張りのあるオペラティック・ボーカル)に聞こえる。おそらくこの曲はいちばん声を作らず自然に歌っているので、たぶんこれが彼の地声だろう。声はRolandより高いが、Brettよりは低い。
 ここで初めて知ったのだが、この人はすばらしく美しい声をしている。というと、これまた歌声の美しさではBrettをほめたたえたあとなので困るが、確かに、声だけを取り出せばBrettほどはよくない。Brettにくらべると声が細くて響きがないし、何よりあのしみ出るような色気はない。その代わり、この人には多彩なワザがある。何より押しつぶしたような暗い低音から、朗々と高らかに歌い上げる高音、さらに天使のように美しいファルセットまでを使い分ける声域の広さは驚異的だ。いや、実を言うと声域はそれほど広くない。それを広く感じさせるのは、唱法をたくみに使い分けているからだ。自分の声をまるで楽器のようにあやつる、こういうタイプのシンガーはこれまたFreddie Mercury以来だ。この歌のうまさ、これまた、とても新人ボーカリストにできるワザとは思えない。だいたいが若手じゃ「ちゃんと歌える」人を捜すだけでも大変なのに。何者なんだ、Paul Draperという男は?!
 思い出してほしいのは彼はただのシンガーじゃないってこと。これだけ歌えるだけでも驚異的なのに、この人はこのすばらしいメロディのすべてを書き、詞のすべてを書き、この複雑怪奇なアレンジとプロデュースを全部ひとりでやっているのだ。おまけにギターとキーボードも弾く。この種の多芸さでは▲はいつもJames Dean Bradfieldを自慢にしているが、Jamesは詞はいっさい書かないし、ギター以外は弾かない。「ほんとにこのガキがやってるのか?!」と写真を見ながらつくづく考えてしまう。

 だんだん疲れてきたが、次は“Naked Twister”。これもTFFタイプの美しく崇高でドラマチックな曲。って、なんかもう形容詞が品切れだな。ここでもPaulの美声がたっぷり聴ける。Mansunに難点があれば、それは疲れることだろう。とにかく「濃い」ので、聞き流すことができないし、聴いているとどっと疲れる。疲れたからMMの引用でもするか。
 「“Attack Of The Grey Lantern”は耳で聴くアヘンである。時によると、それは単なるdrug-drug-druggy(Manicsの引用だ!)のように聞こえる。しかし、最高の部分では、それはアーチ型の窓を通り抜けてのトリップである。澄み切った昏睡状態、銀のより糸に不思議な宝石が散りばめられ、視界の隅で輝いている白昼夢である」
 うーん、言えてる。と、すでに多少トリップしている私は思う。ただ、基本的にMansunはドラッグ・ミュージックだとは思わない。ドラッグ・ミュージックというのは触媒である。これそのものがドラッグがもたらす夢のような、万華鏡のようにカラフルな音とイメージが乱舞するMansunのような音楽ではない。まさにこれこそ私の夢‥‥

 失礼、と我に帰って次は“Egg Shaped Fred”。このタイトルもずいぶんあきれられていた。これはもうMonty PythonというよりLewis Carroll的不条理世界だな。ここにもMavisが出てくる。曲はハードなポップで、ファズ・ギターがうなる、Mansunとしてはいちばんロックっぽい部類の曲。思いきり気取った耽美な曲もいいが、こういうのもしびれるほどかっこいい。これだけ完璧な「ロックバンド」でありながら、あんなのもできちゃうなんて。

 そしてラスト・ナンバーはなんと14分30秒の大作“Dark Mavis”。たぶんこうなるだろうとは予想していたが、終曲にふさわしい重々しく荘厳でドラマチックな大作。“Dog Man Star”のころのSuedeのような、Brettが嫉妬に身を焦がしそうな曲だ。
 しかし、なんだってこういう曲にこういう歌詞をつけなきゃならないんだ? という疑問もかすかに脳裏をかすめる。またMavisと牧師が登場するが、主として牧師のドラッグ(女装の方ね)趣味を歌っているように思えるのだが。ところが、Paulの説明によると、ここで牧師が実はMavisだったことが明らかになるのだそうだ。なんなんだー?! 自分の頭の中だけで勝手にストーリーを構築して、他人にはなんのことやらさっぱりわからないというのは、キ○ガイの特徴なんだが‥‥とにかく、この神々しくも荘厳なメロディに「彼のストッキングはナイロン、彼のネイルはレブロン」とかいう歌詞を付ける人の神経はどうなってるのかわからない。いちおう韻は踏んでるが‥‥
 ところで14分あるというのは勘違いだった。それでも8分以上あるのだが。オープニングと同じストリングスで幕を閉じた後、しばらく無音部があって、そのあとにもう1曲入っている。やった! 隠しトラックだ。こういうバンドだから、当然そういうのもあるだろうと期待して英国盤を買ったのだが、ずばりだったな。タイトルはわからないが、「歌詞なんてたいして意味はない」と歌ってる。歌詞はともかく、美しくもかわいらしいピアノに乗せた、ジャズっぽいこの曲がまたいいんだ。あー、もうなんでもよくなってきた。

すごい‥‥と言ったきり後が続かないが、Mansunはすごい。言い残したことは山ほどある。何よりPaul Draperの歌のすばらしさとか、コーラス・ハーモニーの見事さとか、キーボードのうまさとか。ギターのかっこよさについてだって、まだなんにも言ってないに等しいし、ここはリズムがおもしろいバンドなのに、ベースとドラムスについては何も言ってないし、詞については途中で疲れ果ててしまって、追求するのをあきらめてしまった。聴くたびに新しい発見があり、驚きがある、いったいこの1枚のアルバムに何が詰まっているのか、まだ測りきれないほどだ。
 となると、いつものセリフだが、ファーストでこんなすごいアルバム作っちゃって、あとがあるのだろうか? けっこう臨界点という気もするので、もしかしてこれ1枚で消えるかもしれないが、それでもMansunは永遠に私のフェイバリットとして記憶に残るだろう。バンドは存続しようが消えようが、これは一生のつき合いになると思うバンドは一聴してすぐわかるのだが、Mansunは間違いなくそのひとつである。もしも存続できれば、SuedeやManicsや、(最近すっかり陰りがさしているが)TFFや、Queenのように永遠に語り継がれるバンドになるだろう。Mansunはすでに「伝説」の領域に足を踏み入れている。

 これは偉大なる「伝説のバンド」のファースト・アルバムである。