寸劇場・番外編「刺客の包囲網」
 夕暮れ時に、やまねこは紫の渓谷の中にある街に辿り着いた。流れの速そうな大河沿いに
無数の人家が密集しているのだが、その中に灯がついている家は少ない。荒れ果てた廃屋が
圧倒的に多かった。どうやら一時期は繁栄していたのに、現在ではすっかり寂れてしまった
街らしい。
 街の中心と思われる場所までやってきたのだが、路上には誰一人として歩いていなかった。
「これだけ廃れた街で、まともなホテルとか宿屋を探すのは難しそうだな。街の入り口の所
の水車小屋まで戻って、あそこに泊まるか」と判断して、来た道を引き返した。
「それにしても静か過ぎる。どうにも納得できない静かさだ」
 やまねこはそう呟くと、鋭い視線を素早く動かした。どうやら殺気が漂っているというは
察知できるのだが、それが何処からなのか全く分からなかった。やまねこは周囲への警戒を
怠らないようにして、注意深く足を運んだ。
 無人の水車小屋の前に着いた頃には、すっかり夜になってしまった。やまねこは「殺気が
漂っていると思ったのは、ただの思い過ごしかも知れない」と思い始めていた。「お尋ね者
として長年の逃亡生活を送っていたから、不必要に神経質になり過ぎているのかな。何しろ
今日は陽が西から昇って、東に沈むという不思議な一日だったから、俺の感覚もおかしくな
っているのかも知れない」なんて思い巡らしながら…
 まさに水車小屋の扉を開けようとした瞬間! 背後から風を切るような鋭い音が響いた。
やまねこは素早く身を翻して、大きくジャンプした。カッ、カッと乾いた音を立てて、扉に
八方手裏剣が何個も突き刺さった。それと同時に、脇腹に火箸でも当てられたような熱さと
衝撃を覚えた! やまねこはその苦痛に耐えて、素早い動作で水車小屋の裏手に回り込んだ。
そのまま草むらの中を風のように逃走していく…
「手ごたえはあったんやけど…白髪がはらはらと舞っただけで本体はどこかへ消えてもた。
なかなか素早い奴や。この俺の八方手裏剣をかわすとは…」身を潜めていた草むらから紫紺
の網タイツを穿いたSHOJI が立ち上がった。いかにも残念という表情で言葉を続けた。
「たらいぶね社長はんの目の前で、やまねこを仕留められると思ったんやけどな…」
 もう一人の男が草むらから、むっくりと立ち上がって姿を現した。その男は解体印の半纏
にニッカボッカという格好で、巨大な盥舟を軽々と担いでいた。たらいぶねは水車小屋の扉
付近まで足を進めると、その周囲を注意深く調べ始めた。
「うんにゃ〜、SHOJI はん。あんさんの腕は確かや!」たらいぶねが地面に飛び散った血痕
を指差した。「これだけ血が飛び散っているという事は、相当な重症かも知れへん。きっと
遠くには逃げていないはずやで!」
 SHOJI は地面に四つん這いになって血痕を注意深く探りながら、「ふむ…どうやら街の中
に逃げ込んだようやな。この血痕を追いまひょ」と、たらいぶねを促した。
「まあ、そう焦らんとゆっくりと行きまひょ。街の中には別の刺客も放ってある事やしな…
袋の中のネズミっちゅう訳や」たらいぶねは穏やかな微笑を浮かべた。
 屋根も半分朽ち果てた廃墟の中に上弦の月の光が注いでいる。やまねこは廃墟にヨロヨロ
とした足取りで潜り込むと、すぐに壁際の床の上にベッタリと力無く座り込んだ。
 ふらつく足取りで逃げている途中、路上に血を滴らせている事に気付いて、慌てて傷口に
猫のイラストが描かれた大きなタオルを押し当てた。何とか血痕を残さずにここまで逃げて
きたとは言え「ここに隠れていても、やがては見つかってしまうのではないか」という予感
がしたが…これ以上歩くのも辛い状態に陥っていたのである。
 大急ぎで、やまねこ呻き声を上げながら、脇腹から八方手裏剣を慎重に引き抜いた。出血
がひどくなって、やまねこの着ぐるみの脇腹の部分の血の染みが大きく広がっていく。そこ
に再び猫タオルを押し付けて、床の上にグッタリと横になった。
「この出血が治まるまで、ここから動けそうもない」と小さな声で呟き、やまねこは廃墟の
中で動かずにじっとしていた。
 屋外に二人の人間の足音と、「たらいぶね社長、こっちの方にも見当たりまへんで!」と
焦燥感に満ちた叫びが聴こえたが、ただひたすら気配を殺してその場に横たわっていた…
 やがて、二人の足音が遠ざかっていくのに安堵して、やまねこは深い溜息を洩らした。
 深夜になって、血が止まったのを確認すると…やまねこはゆっくりと立ち上がり、廃墟を
抜け出た。そして、街に一軒だけと思われる酒場の前で足を止めると、よろけながら扉を開
けて中に入っていった。酒場に入るのは危険と思ったが、とにかく脇腹の痛み止めの為に酒
でも飲まないと、気を失ってしまいそうだったのである。
 脇腹を押さえたままカウンターに座り「ウイスキー…ストレートで…」とくぐもった声で
注文した。食い倒れ人形のコスチュームで、バンジョーや洗濯板なんかを首からぶる下げた
マスターが頷き、ショットグラスにウイスキーを注いでやまねこの前に出した。
「お客はん、何やら怪我しとるようやな…」
 マスターの質問に、やまねこは「ちょっと転んだだけです。たいした傷ではないッス」と
答えて、グラスのウイスキーを一気に飲み干した。無理に笑顔を浮かべているが、いかにも
苦しそうという表情だった。
「気をつけた方が良い。あんたは狙われているみたいだ」突然、カウターの端で粘土人形を
作っている男が口を開いた。「あそこの席に座っている二人組に、やまねこの着ぐるみの男
を見かけなかったかと尋ねられたぜ」と背後の席を指差した。
 ギクっとした表情で、やまねこは背後を振り返った。円形の木製テーブルが店内に並んで
いるのだが、その出入り口に一番近い席に二人の美女が座ってポーカーをしていた。
 一人は頭の上に仙台タワーの模型を頭に載せて、派手な振袖を着て「ふるさとのみなさん
声援ありがとう」と書いたタスキを掛けた女性だった。もう一人は頭上に金の鯱を乗せて、
ドロンジョのコスチュームを着た女性で、片手に使い込まれたという感じの鞭を持っている。
足元にデメララの空ボトルが何本も転がっている。
「ちぇぃん ちぇぃん ちぇぃぃぃぃぃぃぃぃん」という二人の歌声が店内に響いた。
「あ、あんた達は…あの有名な賞金稼ぎの…デメララ&デコトラか?」やまねこの声が恐怖
に震えていた。額に脂汗が浮かび、苦しそうな表情が引き攣っているようだった。
「そうよ。最強と言われる刺客コンビ」とデコトラ・えこーるが、カードをテーブルの上に
無造作に投げ出して、椅子から立ち上がった。
 金の鯱の女性・PIPS が「あんたの運命も、いよいよお仕舞いのようね…」と椅子に座った
ままクールに言い放つと、素早い動作で鞭を振り下ろした。
 鞭は的確にやまねこの脇腹・傷口の辺りを直撃した。やまねこは激痛に悲鳴を上げながら
カウンター席から無様に床に転がり落ちて、デメララ&デコトラの足元の方にゴロゴロと転
がってきた。そんなやまねこに今度はえこーるが容赦なく回し蹴りを叩き込んだ。その蹴り
も正確にやまねこの脇腹・傷口の辺りに炸裂した。その強烈な蹴りのパワーで…やまねこの
身体は宙に浮いたまま、酒場の窓ガラスを突き破って外に飛び出してしまった。
 デメララ&デコトラの二人は、慌てて酒場の扉に向かって駆け出した。ところが、先頭を
走っていたえこーるが、扉の所で前のめりにバッタリと転倒してしまった。そんなえこーる
に足を引っ掛けて、PIPS も前のめりにドタンと転んでしまった。「あいたたたたたたた!」
と大慌てで立ち上がった二人の額に、大きなタンコブが出来ていた。
「何で私まで額にタンコブのキャラになっちゃうのよ」とPIPS が怒りの口調で言い放った。
 先に外に飛び出したえこーるが「PIPS 姉さん、やまねこが居ない!」と絶叫した。
「探すのよ、えこちゃん! まだ遠くに行っていないはずよ」とPIPS が鋭い視線で周辺を
見回した。
「あれを見て、PIPS 姉さん!」えこーるが地面の上に点々と連なった血痕を見つけた。
「あれを追いかけていけば、絶対にやまねこを見つけられるわ」二人の叫び声を聞き付けて、
たらいぶねとSHOJI が駆け寄ってきた。二人とも懐中電灯を片手に、深夜の廃墟の中で捜索
を続けていたのである。
「なんや、なんや…デメララ&デコトラはんでも獲物を逃がす事があるんかい」たらいぶね
が不平そうに言う。
「全く面目ないっス、たらいぶね社長さん」とPIPS が悔しそうに言った。「でも、私の鞭の
直撃を受けているし、えこーるちゃんの回し蹴りもマトモに受けています。相当なダメージ
だと思うから、遠くには行けないと思います」
 酒場での出来事を報告されて、たらいぶねは「そうか…いよいよ追い詰めたみたいやな。
SHOJI はんの八方手裏剣とデメララ&デコトラから受けた攻撃のダメージで、もう歩くのも
しんどいくらいボロボロになっとるやろ。この包囲網から、絶対に逃げさへんで〜」と微笑
を浮かべながら言い放った。
 たらいぶねが懐中電灯で地面の血痕を照らし、4人が血痕を辿って足早に歩き始めた。
 まるで夢遊病者のようにフラつきながら、やまねこは街外れの川岸に辿り着いた。そこに
一艘の小さな手漕ぎボートがロープで繋がれてあった。それを見て、絶望感に満ちた表情が
唐突に明るくなった。白髪を一本引き抜いて、それにフッと息を吹きむ。すると…白髪から
煙が立ち昇り、あっと言う間にやまねこの影武者になった。ロープを解きながら、影武者に
「このボートで下流に向かって漕いで行け。全力で漕いで逃げるんだぞ」と指示を出した。
 影武者が無言でコクリと頷き、ボートに後ろ向きにちょこんと乗り込んだ。左右のオール
で川の真ん中辺まで漕いで行くと…流れに乗って、ボートは下流に向かってかなりの速さで
走り去って行った。
 そして、やまねこは握り拳くらいの大きさの石を川に投げ込んだ。ボチャンと大きな音が、
深夜の静かな街に響き渡った。その音を聞き付けて、たらいぶね・SHOJI・PIPS・えこーる
の4人の走ってくる足音を聞きながら、やまねこは近くの木の上にスルスルと登った。
 たらいぶねは川岸に到着するや否や、下流の方に向かっていくボートを見つけた。そこに
懐中電灯を光を当てながら「あのボートに乗ったんや! あれを追うんや!」と叫んだ。
たらいぶねを先頭に、一行はボートを追いかけて下流の方に向かって駆け出して行った。
SHOJI が走りながら、「あかん! 流れが早くて追いつけへん!」と弱音を吐いた。
「いや、あの深手の傷で長時間ボートを漕ぐのは無理や。すぐに力尽きてスピードが落ちる
はずやで。とにかく追い掛けるんや!」たらいぶねの叱咤の声が川面に響いた。
 そんな一行の声も、次第に遠ざかっていく…
 やまねこは「とりあえずは包囲網を潜り抜けたようだ」と安堵の表情を浮かべて、枝の上
に座り直した。煙草を咥えて、蝋マッチで火を付けた。
 心に余裕が生じて…「ん?…そういえば、この木は猫柳だな」と気が付いた。
 そこに白衣姿のドクターという感じの若者が通り掛った。左手には笹蒲鉾の燻製を持って、
右手には聴診器を持っている。やまねこが木の上に居るのに気が付いて…
「♪柳の上に猫がいる〜 だから ねこやなぎ〜♪」と明るい声で歌った。
 その途端、あまりの馬鹿馬鹿しいオチに拍子抜けして、やまねこは猫柳の木からドサリと
落ちてしまった。そして、涙を浮かべながら「おいらメタボロだぜぃ」と呟いた。
****** 完 ******
(「完」のつもりだったのに、続いてしまった…)
寸劇場・番外編「刺客の包囲網」その2 投稿者:SHOJI  投稿日:10月 6日(月)22時31分58秒
力尽きて柳の根元に叩きつけられたやまねこはツツ、と近づいてくる白衣の青年
の足取りに、彼の正体もまた忍びの者であることに気がついた。「一巻の終わりか!」逃げる
気力体力ももはや失せて、やまねこは目を閉じた。
しかし、まだあきらめたわけではなかった。忍者は「潔く散る」、などという美学と
は無縁なのである。彼は、もはや遠い昔に一度使っただけで、そのあまりの恐ろしさに
自ら禁じてきた秘技中の秘技「On the way home」を使うしかないと覚悟を決めたのであった。
最後の力を振り絞って歌うと、出だしの数小節で川の向こうを歩いていた数人の侍が頭
を抱えて膝の上に崩れ落ちた。今のやまねこの声では彼らにまでは届いていない
はずなのにどういうことなのか、やまねこ自身にもこの技の力は謎であったがゆえに
封印してきたのだ。
が、白衣の男はやまねこの歌声にもまったく反応しなかった。
「??」
「待ってください!やまおやじ師匠」
が、止めを刺すと見えた青年はやまねこのことを確かにそう呼んだ。
「お前は!?なぜ昔のその名を知っている!?」
見上げたサングラスの顔にはおぼろげに見覚えがあった。
青年は白衣の下の派手なアロハシャツをめくって見せた。
「そ、それは大ブルースギター養成ギブス!!まさか! lyle か?」
「いくら師匠でもこう多勢に無勢では、と心配になって後をつけてきたんですよ」
「何?じゃあ何でもっと早く助けなかった?」
「いやあ、あのデメララ&デコトラが相手じゃさすがに勝ち目は薄いですから
ね。あの攻撃には久々にガツンときましたよ!」
彼は笑顔で聴診器を耳から外した、とそう見えたのは実は強力な耳栓であった。
しかしいくら耳栓をしていたとはいえ、川向こうの侍まで倒したやまねこの歌声にも耐えるとは
かなりグレードアップしているに違いない。見れば顔も日焼けして精悍な面持ちになっている。
「lyle、見違えたぞ」
(何が「ガツンときた」だ、薄情な奴め)内心そう思いながらここは助けてもらうしかない。
「ははは、ハワイから帰ったばかりですからね」
(くーっ!なんて奴だ)と思いつつ自分のミスが原因であるがために黙るしかない
やまねこであった。忍びの内心とは所詮そんなものである。その残忍なまでの威
力ゆえに自分自身おぞましさを感じて禁じ手としてきたはずの「On the way
home」の封印をとうとう解いてしまったことにもなぜか不思議な充実感がある。
やまねこは、半ばもうろうとした意識の中でも、本調子で歌うことを想像するだ
けで身震いするような感覚が走るのを覚えていた。
lyleはなおもギャグを連発しながら手馴れた様子で傷の手当てを続ける。「うう、痛、麻酔
なしか。消毒用のアルコールくらいあるんだろうな」「ダメですよ、どうせ飲む
つもりなんでしょ」 持っていた燻製をやまねこの口に無理やり突っ込むと、lyle
は肩にひょいとやまねこをかついで、川下の方へ歩き出した。
「むぐぐ、ちょっ、ちょっと待て、そっちじゃないだろ」
「何言ってるんですか、僕だけ仲間はずれにしておいて!それに師匠だってほんとは歌いたいくせに。」
「いや、違うんだ。アレの本当の威力を100%発揮するにはアコギがないと・・・」
「なんと、それはまことでありますか?で、そのアコギはどこへ」
「あちらだ」
やまねこが指差したのは東の方角であった。
lyle は舌打ちをするとしぶしぶやまねこの指示に従って歩き出した。
やまねこは、知らず知らずのうちに痛みも忘れて、上機嫌で軽口など叩いている。
「なかなかうまいぞ、この笹カマは」
「そういえば、こっちの方においしいラーメン屋があるんですよ、寄って行きま
しょう」
闘いの火蓋はまだ切って落とされたばかりである。
―― 続く ――