スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ
ノエル・ギャラガーは、この時期、つまりビーヒアナウからスタンディング発表まで、
非常に不幸だったと述べています。
ノエル「たくさん、理由はあるよ。一緒につるんでいた人間も好きではなかったし、
結婚相手も好きではなかったし、居たバンドも好きじゃなかったし、ドラッグ中毒だったし
とにかく自分を失いかけていたんだ」
ビーヒアナウでの激しい自己嫌悪から、一転して初心に帰ろうとしたのがこのアルバムでした。
しかし、1999年8月ボーンヘッドとギグジーが相次いで脱退。ギャラガー兄弟は沈痛な面持ちで、会見を行わなければいけませんでした。
11月には、元ヘヴィーステレオのゲム・アーチャー、ライド、ハリケーン♯1のアンディーベルがギターとベースで加入しました。
アンディーが突如オアシスのベーシストとして加わったことで、ハリケーン♯1は解散してしまします。
ボーンヘッドとギグジーの演奏部分は、ノエルとポール・ステイシーが演奏しなおして録音されました。
ですから、スタンディングの印税はふたりには入りませんでした。
このアルバムのタイトルは、英国の2ポンド硬貨の側面の文字から取られたものです。アイザック・ニュートンの言葉ですが、
それを英国造幣局がききつけて、記念してオアシスコインを限定で発行しました。
ところで、このアルバム、ノエル氏自身満々だったわけですが、2000年2月23日の発売で、全英初登場1位を取るものの、
2週でトラヴィスの「ザ・マン・フー」に打ち落とされて、そのままランク圏外へ消えてしまう運命にありました。
そしてギャラガー兄弟、揃って離婚とろくな目に合っておりません。
ちなみに、この時期ノエルは「ワンダーウォールは二度と演奏しない」と発言。
まあ、2002年ツアーでは演奏しまくってましたが、しばらくはやりませんでした。
また、ノエルがヨーロッパツアー中に単身で帰国し、一ヶ月間ノエル不在でツアーを続行しました。
重たい雰囲気の中、突如として2000年11月13日、「ファミリア・トゥ・ミリオンズ」をリリース。ライブベスト盤ですが、
オアシスはもしかしたら解散するんじゃないのかという噂が流れました。
2001年には、ブラッククロウズと兄弟愛ツアーを敢行しました。このときには、ドラムにはアランではなく、兄のスティーブが入っています。
7月28日には、フジロックに出場。シャンペンスーパーノヴァが炸裂でした。
終わってからのコメントで、ノエル氏は「蚊が多かった」とマラリアを心配していたそうです。
10周年記念ツアーは、イギリスで行われました。会場はキャパシティーがわずか2000程度という小さなものばかり。
チケットはすぐに売り切れ、偽物まで出回っていたそうです。
何度も乗り越えてきた苦難や解散騒動、巨大な成功、大きな挫折、新しいメンバーとともにオアシスは再び歩みだしました。
<ギャラガーズ・ヒストリー>
このコーナー、いかがだったでしょうか。モーニンググローリーまでは、「ゲッティング・ハイ」の記述によるものが多かったです。
ビーヒアナウとスタンディングからは、資料に乏しく、ヒーザンケミストリーに至ってはたいしたことが書けそうにないので、
ここで終了しておきます。振り返ってみますと、本当によく喧嘩していますね。英国喧嘩兄弟。
ぶん殴ったり、殴られたり、帰国したり、ツアー取りやめたり。亀裂なんてものじゃないですよね。
でも、こうしてオアシスは活動しています。それだけ兄弟の絆っていうのは、素晴らしいものなかなと思います。
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