幼き兄弟
と、いうわけで日本全国一千万げむファンの皆様、こんにちは。げむ。
このコーナーでは、おあしす。とはいったい何なのか?
リアムギャラガーは小さいときから、やっぱりたちが悪かったのかとか。
のえる氏はのえのえ歩いていたのかとか。
兄弟のあいだにどのような死闘が繰り広げられたのか、あるいはトニーのいじめなどについて
日ごろ皆さんが疑問に感じていることを探っていきたいと思っています。
えっと、とりあえず生い立ちからです。
職を求めてアイルランドからマンチェスターに移住してきたペギーは、トーマス・ギャラガーと結婚しました。
彼らが、何を隠そう例の兄弟のお母さんとお父さんになるんです。
マンチェスターでやっていくことは、かなり困難を極めていました。ろくな教育を受けることができなかったペギーは、
たいした給料を貰うことはできません。
そして、トーマス・ギャラガーは粗野で粗暴で、
家族に暴力を振るう父親でした。自分のことばかり気にかけて、家族をかえりみることはなかったそうです。
三人の子供を授かります。ポール・アンソニー・ギャラガー。1967年5月29日には、ノエル。
1972年9月21日に、ウィリアム・ジョン・ポール・ギャラガー、つまりリアムが生まれます。
リアムさん、本当のところはウィリアムなんですね。でも、彼はこの名前が大嫌いだそうです。
ジョンとポールはビートルズだから好きなんです。だけど、ウィリアムは気に食わない。
大嫌いだそうです。大嫌いなんですね。何故か。
長いから。
ウィ、が余計らしいっす。さすがですね。さすがです。これぞ、ロックンロールスターってもんです。
ノエル氏とリアム氏は5歳も年が離れています。
トーマス・ギャラガーは、特に理由はないけどノエル氏のことが
嫌いで嫌いで仕方がなかったんです。それで、ぶん殴ったり蹴ったりしていました。止めに入ったペギーさんも
ついでにぶん殴り、ギャラガー家には暴力がうずまいていました。トーマスさんは、リアムだけを溺愛していて
かわいがっていたみたいで、手をあげることはほとんどありませんでした。
しかし、そこはリアム氏です。物心がついたときから、父親をとっちめることばかり考えていました。
さらに、リアム氏6歳にして問題児として評判になり、担任の先生は「お宅のウィリアムくんが原因で、
精神安定剤を服用する毎日が続いています」とお母さんに苦情。
リアムが生まれたときくらいから、本格的に父親は酒にのめりこみ、家にはお金を入れないで
ほとんどバーに使ってしまいます。いくらとがめても聞きません。ノエル氏は、幼い頃は社交的だったのですが、
絶え間ない暴力によって、すっかり心を閉ざしてドラッグや盗みを働くようになります。
スピードでハイになって、気がついたら仲間と牛乳をたくさん積んだトラックを盗んでいて
「こんなに牛乳盗んで、いったいどうしようってんだ?」とへらへら笑っていると
やっぱり逮捕されたり
いきなり知らん人に、
「悪い目つきを治してやる」と殴りかかったり。まあ、のえさん、バイオレンスでした。
このギャラガー・ブラザーズ。共通しているところは、お母さんをとても大事にしていることと、
少しでも早くこの陰鬱な生活から抜け出したいということでした。
兄弟は、ペギーに父親と別れるように説得しました。でも、彼女は首を縦には振りません。
彼女が幼い頃から信仰していたカトリックでは、離婚を認めてはいないんですね。子供を産む義務があり、
育てる義務があり、そしてひとりの夫と一生暮らしてく義務があったのです。離婚。それは、教会を破門になり、
信仰を捨てる覚悟がいります。それがどうしても彼女にはできません。暴力に耐えることで、信仰が守れるのならと考えていたのです。
ますます、苦しくなる生活。自分勝手なトーマス。果てしない狂った暴力。こういった現実が彼女をさいなみます。
酒に飲み込まれて、毎日暴れまわる夫との生活に未来をまったく感じることができなくなりました。
彼女は決断して、夫が出かけているうちに引越しをしてしまい、ようやくその脅威から逃れることができました。
でも、彼が残した爪あとは大きなものでした。ノエルはドラッグで何度か捕まり、リアム氏は喧嘩してはぶらぶらしてました。
就職したりもしましたが、当番制のトイレ掃除を「どうして俺がやらなくちゃならねえ」と言ってクビになったり、
ほんで失業保険もらったり。ノエル氏は配管工事の仕事をやっておりました。
サッカー観戦とドラッグばかりのノエルの生活に射した光は音楽でした。彼は、ビートルズやスミス、セックスピストルズ、
ストーンローゼズなどが大好きでした。ギターは学校で習ったんですが、ノエル氏左利きなのですが
なぜか右利き用のギターだったら上手に弾ける自分を発見します。左利き用だとしっくりこなかったそうです。のえのえ。
歌詞のようなものを書き留めた紙切れが部屋に溜まっていきましたが、音楽で生きていくたって
どうしていいのか分かりませんでした。ただ、いつのまにかハッピーマンデーズやスミスのライブに行ったり、
レコードを集めていったりと音楽が大きなウェイトを締めていくようになりました。
1988年、5月29日のことでした。この日は、ノエル・ギャラガー21歳の誕生日です。
「飲みにでも行くか?」と仲間たちは訊きました。
ノエルは静かに断りました。
「インターナショナルツーに、ストーンローゼズを観に行くよ」
スプーン一杯のスピードを嗅いで、ノエルはハイになっていました。眼前に現れたストーンローゼズのメンバーは、
もの凄いロックを披露しました。
ノエルの魂が震えあがるほどの素晴らしいライブでした。
彼は頭の中で、自分がステージの上で大観衆に包まれている姿を想像しました。
そいつは、とても最高の気分だろう。よし、いつかはそのステージに立ってやろうじゃねえか。
イアン・ブラウンやジョン・スクワイアを決意めいた表情でノエルは二階から眺めていました。
この時、ノエルは知りませんでした。
弟のリアム・ギャラガーが一階に居たことを。
リアム・ギャラガーは激しく歌うイアン・ブラウンとステージを体験して、まったく同じ事を考えていました。
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