駆け出し時代





「オアシス」がとうとうスタートしました。彼らのバンドには、ひとつの掟がありました。

それはですね。







「ドラッグは各自の責任で使ってくれ・・・・・・」






1992年、ノエルにとって初のライブがボードウォークで開かれました。30分足らずですが、確かな手応えを感じておりました。






ところが、4月19日のギグではメンバーはマリファナとエクスタシーとコカインのやりすぎで、























ステージ上で一人残らずラリってました。






ボーンヘッドは口に煙草を三本もくわえて、目はうつろ。





ノエル氏は、目の焦点が合っておらず




























ギグジーはステージから落下。





トニーは、ドラムセットのネジをしめわすれて、叩いた瞬間






セットの半分は音を立てて崩れ落ちてしまいました。









さっそくドラッグに無責任なところを発揮しておりました。






ノエルは、この頃は毎日熱心に曲作りをしておりました。すでに、「ホワットエバー」、「オールアラウンドザワールド」

「シーイズエレクトリック」、「ハロー」などが完成していました。ノエルの才能は底なしか、とバンドのメンバーは舌を巻きました。

結局、後から入ってきたノエルがリーダーになってしまいます。




マンチェスターの新鋭バンド・オアシスは、口コミで話題になります。美しいメロディー、迫力のあるボーカル、

輝かしい90年代のロックシーンの先制旗手となるオーラを強烈ににおわせて、人々を魅了していきます。



クリエイションの社長、アラン・マッギーはやがてオアシスのことを知って



































彼らには関わらないほうがいいなと思いました。





ところが、アランは彼らの演奏を聴くと熱烈にアピールして契約を獲得。また、ジョニー・マーは初期の頃からオアシスを絶賛。



オアシスはマネージャー・マーカスの戦略により、首都を避けて地方都市を回りファンを獲得しました。









クリエイションと契約する前は、彼らは短いながらも下積みというものを経験していました。


客がまったく居ない中で、ウェイトレスとバーテンダーだけのためにライブをすることもありました。


バーやホテル、スタジオなどいたるところで永久に追放されたりもしました。



しかし、彼らの音楽が本物だと理解されるまで時間はそんなに必要とされませんでした。










 このオアシス、初の海外ツアーはオランダ・アムステルダムだったのですが、


メンバー5人はフェリーに乗り込んで、オランダに着いたときにはなぜかノエル氏ひとりになっておりました。




船内で、リアムがシャンペンを盗みまくって大騒ぎ。とめにかかった警備員に






















なぜかギグジーがパンチを浴びせました。








リアムとギグジーは独房へ。ついでに、ボーンヘッドとトニーはパスポートを没収。






そんなことは知らないノエルは、クルーとオランダに降り立って待っていたら






「残りのメンバーがイギリスに追い返された」と知って、激しく怒りまくる。ギグ中止。



ノエルは「このクソったれ」とキレるが、リアム氏は












ロックンロール的だとわけの分からない反論。






ほかには、ストーンヘッジの柵を乗り越えて進入しとっつかまり護送






ゴルフカートを勝手に乗り回し、窃盗容疑で訴えられる。






スウェーデンでは、ホテルで酒を盗みまくり大暴れ。翌日新聞に、










誰がこんなみだらな連中を呼んだんだ! と書かれる。









各地、各国で騒動を巻き起こしていたオアシスですが、先行シングル「スーパーソニック」のスマッシュヒット、

「シェイカーメイカー」を全英チャートの11位に持ち込みます。



態度はでかいが、あいつらの音楽は本物だ、と人々は思ったのでした。




イギリス・ロックシーンは新しい時代を迎えようとしていました。






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