ホワッツザストーリー・モーニンググローリー
クリスマス向けシングル、「ホワットエバー」を全英チャート上位に送り込み、ますますオアシスは注目されます。
そして、モーニンググローリーが発売されるのは1995年10月10日です。このアルバムはオアシスの代表作であり、
全世界で1800万枚という莫大なセールスを記録することになります。
デビューアルバムから、わずか一年と少しの出来事でした。
が、やっぱりそこは我らがギャラガー兄弟。この一年のあいだに、ものすごくたくさんやらかしてくれました。
ホワットエバー収録の「ハーフザワールドアウェイ」でロケ。トニーはドラマーなのに
「お前はドラムに近づくな」と言われました。
ちなみにこの曲は、ノエル氏自らドラムを演奏しました。
トニーの問題は、バンドの中で大きなことでした。
こいつのドラムじゃ、オアシスは損なわれてしまうとノエル・ギャラガーは考えていました。
ドラムというポジションは見つけにくいんですね。
そこで、トニーにドラムの特訓をほどこしたんですが、どうにも本人はやる気が出ず。
「サムマイトセイ」の収録が終わったときに、トニー・マッキャロルを解雇。
そして、初めに声をかけたのがポールウェラーバンドのドラマー、スティーブン・ホワイトの実弟アランでした。
ノエルはアランの家に電話をしたんですね。
ところが本人は不在で、母親が出ました。ノエルは自分の電話番号を教えました。
アランが家に帰ってきた時に、母親は変な男から電話があったわよと言いました。
「ノエル・グラグーガとかそんな名前だったわ」
「まさか、ノエル・ギャラガーじゃないだろうね」と、アラン。
そして、アラン・ホワイトはオアシスの一員となります。22歳でした。
アランはオアシスの最初の印象を語りました。
「パブで初めてギグジーに会った時だよ。俺は驚いてしまってね。ヤツは
変な髪型で、しかもすべて白髪だ。
まさか、同い年とは思わなかったよ。35歳くらいに見えたぜ。
酒を飲みながら、
手が震えているんだぜ。まったくイカれてたね。
ギグジーは白髪、ボーンヘッドはハゲ、リアムはいつも騒いじゃ新聞をにぎわしている。
こりゃ、とんでもないバンドに入っちまったなって」
アラン・ホワイトのドラムは他のメンバーを納得させるものでした。
モーニンググローリーでは、「サムマイトセイ」以外のすべての
ドラムがアランの演奏によるものです。
ノエルの「モーニンググローリー」における作詞のクオリティーは、超人的でした。
「ワンダーウォール」は、恋人メグ・マシューズに捧げた曲です。「シャンペンスーパーノヴァ」は、そのメグが買ってきた
シュガーポット(ジャケット参照)を見て、一瞬にしてひらめいたと言われています。
また、「キャストノーシャドウ」で影をなくしたアイツはリチャード・アシュクロフトです。
ノエルはワンダーウォールとドントルックバックインアンガーのどちらか歌わしてやるよ、とリアムに言いました。
ところが、リアム氏はどっちも歌いたいと主張。だが、結局ワンダーウォールをやることに。
ドントルックインアンガーを収録中のことです。リアム氏、とてもとても暇でした。
ノエル氏がボーカルをやってしまうとやることがなくなってしまうのです。
自分がのけ者になったような気分です。ふてくされていました。パブで酒を飲みまくり、すっかり酔っぱらったリアム氏
収録中のスタジオに
「てめえら、バカヤロウ。俺があとでカタをつけてやるからな!!」と
なぜか宣戦布告。
リアム氏、暇なので調子に乗ってオアシスの宿舎にファンを大量に入れて、ドンチャン騒ぎ。
ノエルまたまた大激怒。リアム、逆切れ。またまたスカイ・ラブ・ツインシュート。
テーブル、イスなどを手当たり次第ぶん投げます。
リアム氏、ボーンヘッドとパンチの応酬を繰り広げたあげく、ノエルにつかみかかるが
ノエルに思い切りバットで殴られる。
気が済んだノエルはのえのえ自分の部屋に戻る。
だが、リアム氏ドアを蹴破って進入。ノエルは窓を乗り越えて脱出。
ノエル・ギャラガーは、またバンドを辞める決意を固める。オアシスまさか解散か・・・・・・。
リアムさすがに反省。
「兄貴、またやっちまったな。ごめんよ」
「このクソったれ!」と言って、しぶしぶバンドに戻ります。相変わらずすさまじいですね。
こうして出来上がったセカンド・アルバム、実は最初メディアは否定的な意見が多かったのです。
「ノエル・ギャラガーはもう才能を使い果たしてしまった」とか、「オアシスは終わった」とまで書く人もいました。
ところが、次第にロックンロール・アルバムとしてのひとつの完成として、受け入れられていきます。
シングルはすべて、全英1位か2位でした。中でもワンダーウォールの浸透力は抜群で、
マンチェスター・シティーでは、この替え歌が応援歌としてうたわれ始めました。アメリカでもスマッシュヒット。
マンチェスター・シティーのホーム、メインロードでオアシスはライブをやることになります。これは、「ゼアアンドゼン」でおなじみですね。
ロンドン・アールズコートのライブでは、屋内ライブとしては異例の二日で四万人を記録。
96年、ネブワースパークの野外ライブでは、二日で二十五万人もの観客を集めました。
これは驚くべきことに、イギリス総人口の5パーセントにあたります。そして、イギリス史上最大のライブ動員数でした。
しかし、それでもなお75万人がチケットを買うことができなかったと伝えられます。
わずかの時間。驚異的なスピードで、オアシスは昇りつめました。ギャラガー兄弟が運命的に、ストーンローゼズのステージを体験し
ロックンロールスターを夢見て、とうとうローゼズどころか「ビートルズを越える」と形容されるようになりました。
ノエル・ギャラガーは、恍惚とした表情で、圧倒的な数の観衆を見つめました。そして、叫びました。
「ディス・イズ・ザ・ヒストリー!!!!!!!!」
そして、リアム・ギャラガーはまったく臆することなく腕を後ろに組んで、遙か上空を見据えて歌いました。
ギャラガー兄弟たちをたたえるかのように、
元ストーンローゼズのジョン・スクワイアがシャンペーンスーパーノヴァを一緒に演奏しました。
ネブワース・パーク。オアシスは、最高の成功を手に入れました。
もはや、これ以上何を望めばいいのだろうというくらい巨大な成功。
同時に、それは彼らに苦しみを与えていくことになるのです。
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