ビーヒアナウ
ネブワース・パークでの興奮が冷めやらないファンたちは、
1996年9月13日いっせいに顔を青くさせられました。
タブロイド紙、一般各紙がそろって、「オアシスは解散した」と報道しました。
ま、前述したように「引越しで、リアム氏がギグに来なかった」からなのですが、
かなり深刻な兄弟げんかになりまして、殴り合いの喧嘩に発展、ノエル氏単身帰国となりました。
解散までにはいかないにしろ、ファンは心配でたまらなくなっていました。
リアムはこのとき、フィアンセのパッツィ・ケンジットとの新居を探していたんですね。
彼女は女優で、4歳の時に「グレイト・ギャツビー」に出演したそうです。
「グレイト・ギャツビー」というのは、アメリカの作家スコット・フィッツジェラルドが原作でして、同時代の作家は
アーネスト・ヘミングウェイ「武器よさらば」、トルーマン・カポーティー「ローマの休日」などです。
彼らは、一般的にロストジェネレーション、失われた世代と呼ばれています。
他には、「リーサル・ウェポン2」に出たそうです。彼女とは、97年4月7日に結婚することになります。
ビーヒアナウのレコーディングは、ビートルズが最後に録音をおこなったアビイロードなどで収録されました。
しかし、喧嘩真っ最中だったので、そこは天下のギャラガー兄弟。
リアムがいたら、ノエルは不在。
ノエルがいたら、リアムは不在という徹底ぶりでした。
そんな険悪な雰囲気の中でリアム氏がドラッグで逮捕
でも、まあなんとか坊主になってレコーディングに戻ってきます。
が、しかしです。災難は続きます。97年7月
トニーがファーストアルバムの著作権料20%を支払うように
裁判所に訴えました。
もちろん、ギャラガー兄弟怒り狂います。でも、彼らはうかつにも契約書にそう明記してあったのです。
いわば、トニーとしては当然の権利として主張しているに過ぎません。そりゃ、ドラムに近づくなって言われたドラマーですけど。
結果的に、裁判は和解のかたちで終わります。トニーは1億1000万円のお金を手にしたのでした。ほとんど役に立ってないのにぃ。
8月23日、全世界の期待を受けて発売されたサードアルバム、ビーヒアナウは、イギリス史上最速の売上を記録し、
発売日前には、特別番組まで組まれ、ノエル・ギャラガーは「すべてにおいて、前作を遥かにしのぐ」と豪語しました。
オアシスは、ビートルズより大きなセンセーションとなって、時代に君臨するかのように見えました。
この8月23日は、アビイ・ロードでビートルズが最後にレコーディングをおこなった日です。つまり、ここから始まるということは、
俺たちがビートルズの伝説を受け継ぐという意味なのですね。
全英チャートはもちろん1位、日本でも3位、熱狂するマスメディア、ファンたち。
しかし、スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツのライナーノーツには、こう記されています。
オアシスは挫折した、と。
そして、ノエル・ギャラガーは初めて自分の意識と外的世界とのズレを感じざるを得ませんでした。
今までは、思ってた以上に成功して来たのです。
ロックアルバムとしては異例の1800万枚、史上最高の観客動員数を誇ったネブワース・パーク、
世界は常に、ノエルの描いていた軌跡とシンクロしていました。
ところが、このサードアルバムから思い通りにはいかなくなってきました。売上は、前作の半分以下の600万枚。
もちろん、それでも素晴らしい数字です。ところが、ノエルはひどくこのアルバムについて後悔を持ち始めます。
現在、ライブではサードの曲は事実上ほとんど演奏されません。歴史から、抹殺されかかっています・・・のえ。
ぼくは、わりと好きなんですけどね。
ほら、ビーヒアナウのライナーノーツにはこう書いてますよ。
「ドントルック・バック・インアンガー」を凌ぐとも劣らない「マジック・パイ」・・・・・・。
たぶん、そう思ってるの日本でぼくとあなただけです。
このころの騒動を少しリストアップ。
BBCラジオの人気番組に、ノエルが参加。
リアム氏、飛び入り参加。
兄弟げんかをして、リアム氏とっとと帰る。
リアム氏、飛行機で大暴れ。キャセイ・パシフィックは
「オアシスの搭乗を永遠に拒否する」と発表。
リアム氏、オーストラリアでインタビューに来た記者に、
ヘッドバットで応酬。鼻の骨を折って、逮捕。
ビーヒアナウのライブツアーが終わった時点で、オアシスは一年間の休養に入ります。
1998年には、マスタープランというBサイドベストが発売されました。
インターネットのファン投票で決定された14曲なのですが、ホワットエバーが入っていないのに
抗議が殺到したそうです。
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