The Fさん書き起こし

雷伝湯沢”ボンゾを語る

ーまず、初めてボンゾを聞いた時のことから話していただけますか。

そもそもドラムを始めた高校の頃のアイドルっていうのはコージー・パウエルだったんですよ。ずっとコージーが好きでレインボーとか聴いてて。で、当然の流れでディープ・パープルにも行って。ツェッペリンは意外と遅かったかな。高校3年生ぐらいの時に、バンド仲間に「ツェッペリンって知ってるか」って、90分テープにベストみたいなのを作ってくれて。だから後追いだったんだよね。

ー最初聴いた時の印象は?

それがね、モヤっとした、漠然とした感じしか残ってなくて。そのテープには「幻惑されて」とか「ノー・クォーター」とかも入ってたんだけど、プログレとまではいかないまでも・・・(笑)
いろんな要素が入ってて、掴み所がないって言うかね。第一印象でKOをくらったていうのは全然ない。

ーじゃあ、今みたいにのめり込んでいったのはいつぐらいからなんですか?

大学入ってからだな、結局。ドラマーって、どこに行っても少ないじゃないですか(笑)、だから嫌でもバンドを5個とか6個はやらされて。で、いろんな音楽をやっていくうちに、幅が節操なしに広がるんですよ。プログレにもハマッたけどスティーブ・ガッドも追っかけて、みたいなね。そうやって何から何まで聴いてく中で、ツェッペリンがいつまでも残っていったって感じかな。

ーボンゾに影響された部分で、自分のこだわりとして出ているところってありますか?

そうだな、ワンバスでやるっていうのはこだわりとしてあるかな。これはもうボンゾの影響。

ーコピーに走った時期っていうのもありますか?

もちろんコピーはさんざんしたよ。でも、ボンゾと同じフレーズじゃなくてもいいんだけど、”ボンゾの持っている良いところを同じように自分の範囲内で出せたらな”っていうコピーの仕方がしたいね。ボンゾの場合、一般的には物凄いパワー・ヒッターでストロング・タイプの重いドラムだって言われてるけど、俺はあんまり・・・もちろんパワーは凄いしストロングにくるところもあるけど、それ以上にリズムがすごく柔らかくて、俺はロック・ドラマーの中で一番良いリズムを持ってる人だと思うの。俺はラッシュのニール・パートとかもめちゃくちゃ好きで、ニール・パートはバンドの中での存在感は凄いし曲に対するアプローチも好きなんだけど、基本的に持ってるリズムは固過ぎて大っ嫌いなのよ(笑)そこらへんを比較するとボンゾはすごく柔らかくて、もしツェッペリンに入らなかったらファンク・ドラマーになったんじゃないかっていうくらいの魅力が、他のロック・ドラマーと比べるとあるね。
ぱっと見の凄さはもちろんあるけど、それ以外のところでの、しっつかりしていて、しかも固くなくて・・・簡単に言ってしまうとグルーブ感が物凄くいいっていう。スネアとかもそんなに重い方だとは俺は思ってないし。それよりもペイジが前に行ってるから重いだけで(笑)今で言うジョン・ロビンソンとかスティーブ・フェローンっていうリズム系のドラマーに通じちゃうぐらいのリズムの良さっていうのがあるよね。良い悪いっていうよりは気持ちいいっていう。

ーボンゾのプレイを実際にコピーした時にすごく苦労した点と言うと、やはりグルーブですか?

いや、実際にその辺に気付いたのは割りと最近なんですよ。やっぱり最初の頃っていうのはカッコいいフレーズなり、「これキック1個でどうやってんだ、バカヤロー!」みたいな(笑)ところが凄い苦労したっていうだけで。あと通常のヴォリュームも凄くでかいはずなのに、オフィシャルのレコード聴いてても「ここだけまたヴォリューム上がってるよ!」みたいなのもある。常にでかいのに、さらにでかいところが出てくるっていうね。パワー感もとんでもない。

ー同じフレーズをコピーして、同じセッティングでやっても、やっぱり違うじゃないですか。その辺で工夫した点ってありますか?

う〜ん・・・なんかね、無理をした方が似てくる場合もあるよね(笑)速かったり困難なフレーズを叩く場合に、基本的なやり方ってあるじゃないですか、無駄な動きをなくしてとか。リストとアームとショルダーの使い方を最大限にマッチングさせてっていう。そういうのを全く無視してるよね、あの人の場合(笑)

ー合理的じゃない?

そうそう、合理的じゃない。それはビデオ見てもそうだし。「そんなに速いフレーズ叩いてる時に、何でそんなにスティック上がってんだよ!」みたいなね(笑)だから逆に言うと、ボンゾに限らず、そういった自己流、その人にとっては自然なんだけど、傍から見るとすごい不自然な場合ほど、その人っぽいフレーズに消化されてるって場合がすごくあると思うんですよ。コピーする側にとっては結構悩むとこだよね。わざわざ非合理的にした方が、何となくニュアンスは似るんだけど、難しくなるわけじゃない?

ーボンゾのルーツになったドラマーって誰だと思いますか?

俺はマックス・ローチだと思うけど。結局70年代の前半までに出てきたロック・ドラマーっていうのは、全員小さい頃にはロックがなかったわけだから。俺らが「コージーだ!ニール・パートだ!」って言うような相手はジャズ・ドラマーしかいなかったわけですよ。だから当然、全員ジャズが元で、それをその人なりにロックに仕立て上げていったていう時期じゃないでか。そういった点でジンジャー・ベイカーとかキース・ムーンなんていうドラマーは、苦労もある分パイオニアになれるわけだから、すごくいい時期に生きてた連中だなっていう気がしますね。で、ボンゾ本人だけを見てるとあんまり判らないけど、実際にマックス・ローチのビデオを見るとやっぱり・・・やたら3連が多いっていうのは相当影響受けてるんじゃないかな。このフレーズはそのまんまだなっていうのも結構出てきたりしてね。具体的に言っちゃうと、1拍半で、しかもそこに3連を絡める”タットロロ、タットロロ、タットロロ・・・”みたいなのは全部元はマックス・ローチだと思う。
白人とか黒人とかで分けちゃうのは乱暴なんだけど、白人の良い意味での固さと、黒人の良い意味での楕円のノリっていうのが巧くブレンドされてるなっていう。だからボンゾみたいになりたいんだったら、もちろんボンゾをひたすら聴いてがむしゃらにコピーしていくのがいいんだろうけど、それと同時にマックス・ローチとかスティーブ・フェローンとかも聴いてみると、そんなにボンゾが好きなんだったら逆に違和感なく聴けるかもね。

ーじゃあ、セッティングの方から攻めるとしたらどういうところがポイントですか?

俺も26インチ(バス・ドラム)とか使ったりしてね、いろいろ悩んでるけど、ボンゾの場合パワー感もあるから、その辺でどっちから攻めるかだよね。力が必要なでかいセットで、さらにそれを思いっきり叩いた方がニュアンスは出るんだろうけど、そうするとカッコいいフレーズとかがやりにくくなるっていうのがある。フレーズを重視して、ちっちゃいセットでやろうとすると、できるにはできるんだけど、それこそ同じ感じにはならないっていう・・・悩むところなんですよ。

ーちなみに現在湯沢さんが使っているセットは?

ビスタライト。口径は試行錯誤してる。

ービスタライトはサウンド面でレコーディングでの扱いが難しいとう説もありますが。

多分ボンゾもビスタライトはレコーディングしてないと思うよ。あの人はレコーディングでは全部木胴。で、ステージで木胴とビスタライトとステンレス・スチールっていう。

ー湯沢さんの場合は?

俺は単にビスタライトが好きだから(笑)

ービスタライトのキャラクターを一言でいうと?

音は立つけど、やっぱりチューニングは難しいし、すごいじゃじゃ馬だよね。で、俺は昔からシングル・ヘッドでベタベタっとしたのがすごい好きだから、そこら辺はあんまりボンゾにこだわるとかなしに自分が好きなようにやってる。最初はダブル・ヘッドでもやってみたんだけど、今はシングル。

ーアマチュアの人が、音色の方から近づけたいとした時のポイントってあります?

う〜ん・・・ジョン・ボーナムって、意外とチューニング低くないよ。実は。ぱっと見、凄い太い音を出してるんだけど、どう聞いても俺は低いとは思わないな。それなりに張ってある感じはする。
だからパワーがもの凄いんだよ。ただ実際ボンゾが張ってるからって、スタジオのセットで同じように張ったら同じになるかって言うとね、絶対”テンテン”としか言わなくなっちゃうから。そういう場合は逆にベタベタにした方がそれっぽくなるかもしれない。本当はキックもミュートを抜いてノン・ミュートで踏んでみるとあの”バン!”て感じはすぐ出るから。さらにフロント・ヘッドを穴なしに替えるとかね(笑)でもそういうのも、あの時代にペイジのギターで、ああいう形態のバンドだったからっていうのもあると思うんだよね。今ってあの当時から比べると、音が凄いリアルになって太くなって、過激になってるわけじゃない?
だから、例えばメタリカのアルバムの中にボンゾの音をそのまま嵌め込んだら、聞こえなくなっちゃうと思うのね。ウチのバンドでも、ギターが2本いてキーボードもいてっていうのがあって、そういう中でギターの音がどんどん良くなっていって。そうなればそうなるほど、ボンゾっぽい音っていうのは本当に頑張らないとキツくなるよね。で、ギターの奴ってスタジオでも音をでかくしたがるじゃないですか(笑)。でも、逆にそこを我慢して「俺のドラムでかき消してやる!」っていう気持ちでガムシャラにパワーをつけいくと、実はいいかもしれない。

ーその辺湯沢さんはどうしてるんですか?

チューナーを呼ぶ(笑)ラディックに詳しいチューナーで、半分ラディックのコレクターの人がいて。前から仕事したいねって言ってて、やっと今回スケジュールが合って。だから今回、ドラムに関しては満足がいった。

ー現在湯沢さんは聖飢魔Uのアルバムを製作中ですが、その中意識してボンゾっぽくしてる部分ってありますか?

うん。でも今回はコンセプトがちょっとずれてるっていうところもあって・・・ボンゾってアンビエンスもいい具合にブレンドされてて。部屋鳴りしてるじゃないですか。で、今回は音自体は割りとナチュラルなんだけど、CD聴いた時にドラムがすごく近い、目の前で鳴ってるような音に作りたっかの。アンビエンスを上げれば上げるほどボンゾっぽいサウンドにはなるんだけど。その分ドラムの距離は遠ざかっちゃうんですよ。だからアンビエンスは薄めで・・・難しいんだけどね。

ー具体的に新作の中でやってるボンゾ・フレーズってあります?

具体的にと言われると困っちゃうんだけど、アプローチでコピーしたっていうのが、あの人って海賊盤とか聞いててもスリー・リズムをどう崩すかっていうのが凄くカッコいいのね。だから曲によってはタムなしでも、スネアとキックの絡みでフィルっぽくっていうのが昔から好きだったの。だから今でも、気付いてみたらキックが絡んだフィルが多かったりね。

ーボンゾのプレイを年代別に見ていって、スタイルの変化とかを感じますか?

ほとんどない、はっきり言って。ニール・パートみたいな進化の跡が全く見られない(笑)

ーいきなりボンゾが出てきた!

そう、それが凄いんだよね。もうボンゾ(笑)だから’68年から’80年までの活動で「どこら辺が一番いいですか?」と聞かれても答えようがない。逆に周りが変わっちゃってね。ジョンジーも後期になるとキーボードに行っちゃうし。で、俺も聖飢魔Uで11年ぐらいやってるけど、ボンゾみたいに10年以上自分のスタイルを通して突き進めるっていうのは、ある意味勇気がいるなって感じる。11年間で時代も変われば周りの状況も変わるわけだからね。
自分を貫き通して、そこで他界しちゃったから伝説になってるっていうのはあるかな。もし、ボンゾが現在までドラムを叩き続けてたらどうなってただろうって思うと本当に興味深いし。もし、今生きてたら、絶対にレニー・クラヴィッツと一緒にやってると思うんだけどね(笑)

ー最後に、ボンゾの魅力を一言で。

一発聞いただけでボンゾと判ってしまうような強烈な個性、それにつきるよね。最近若い人、プロのドラマーでも、話してるとボンゾとかカーマイン・アピスとかを知らないって言うの。それが凄いショックだったんだよね。おまけにCD世代の子達っていうのはボンゾとかのアナログな音を受け付けない耳に育っちゃってるみたいで。最近のドリーム・シアターとか、パキッとくる音だけ聴いてて。もちろんそれが悪いとは全然思わないんだけど、それだけだと思い込んでる奴が結構いるから。ジャズ・ドラマーまで聴けとは言わないけど、やっぱりロック・ドラマーの草分けである人達の音っていうのは機会があったら絶対接してほしいな。

*確か、12、3年程前にプレイヤー誌のボンゾ特集に掲載されていたものだと思います。 




1988年 渋谷陽一はかく語りき

「LED−ZEPPELIN T」
これは、一時ジェフ・ベックがジミー・ペイジに真似されたと発言していましたね。確かにツェッペリンはジェフ・ベック・グループなどによって始まったイギリスのハード・ロック・ムーブメントを継承したバンドで、ブルース色が非常に強かったんですが、それに強力なロックのビートとハード・ロック的なイディオムを使ってそれまでにない痛快なロック、非常にカタルシスの強いハード・ロックを作り上げたんです。もちろんそこには、ロバートとジミーの絶妙のコンビネーションもあり、Tはハード・ロックとしてすごく斬新で強力だったんです。今みると、その時代の中でも独自の音作りをしていると思うけど、僕の聞き方そのものは、ただ気持ちのいいハード・ロック・バンドということでしたね。残念ながら、当時はそこまでデテールを聴き込んでませんでした。

「LED−ZEPPELIN U」
これはTの延長線上にあります。Tが非常に話題になり、特にライブ・パフォーマンスがスゴいということでアメリカで先ず人気が爆発したんです。実はこのアルバム、スタジオに落ち着いてアルバム製作に専念したわけじゃなく、ワールド・ツアーをやりながら、大騒ぎをやりながら、毎日が狂乱の日々となって…
そんな中であっちこっちでボーカルを入れたり、ミックス・ダウンをしたりで、かなりドタバタして作られたアルバムなんです。しかし、それがアルバムを雑にはしなかった。みんな若かったし、才能があったんでしょうね。それを逆にすごいエネルギー、高いテンションへとつなげています。ベトナム戦争でもツェッペリンはよく聴かれ、アメリカ兵の間で、ドラッグ・ミュージックとしても機能していたようです。人の神経を切らせる何か独特の暴力性というか、カタルシスというか、そういうものがUでピークに達している。こういうアルバムってほかにないんじゃないのかな。

「LED−ZEPPELIN V」
これは大幅に変わりましたね。T、Uは非常にストレートなハード・ロック・アルバムでしたが、Vではアコースティックな音が導入されてバンドの音そのものが変わった。これはジミーの方向性で彼は、ブルースに強い興味を持つと同時にアコースティックフォーク・ソングやイギリスのトラッドに対しても強い興味を持っている人だったんです。ペンタングルというイギリスの優れたトラッド・ミュージックをロック風に演奏するバンドがあるんですが、そこのバート・ヤンシュというギタリストがジミーのフェイバリット・ギタリストで、アメリカの代表がCSN&Yでありイギリスを代表するのがツェッペリンという言われ方もしてましたね。そのCSN&Yの前身、バッファロー・スプリング・フィールドのすごいファンなんですよねジミーは。
そうした意味で、ジミ−の持つアコースティックに対する強い興味と指向性がハッキリ出たアルバム。しかし、僕らはとんでもないハードなアルバムが出るだろうと期待していたから、正直言ってハード・ロック少年だった渋谷は失望しましたね(笑)ただ、このアルバム、今となってみれば、とても重要なアルバム。T、Uはブルース本来のフレージングによって、あるいはメロディによってハード・ロックを形作っていくという志向性があったんですが、Vでリフというか、アコースティック・ギターのストローク奏法というか、リフ主体の音作りジミー・ペイジは目覚め、これは後期ツェッペリンの高いテンションを作るきっかけになっていると思います。
そういう意味からもVは彼らの転換点を形成した重要なアルバムですね。T、Uの成功を無にしてしまうかもしれない大幅な転換をよくぞやった。

「LED−ZEPPELIN W」
これは何といっても「天国への階段」。ツェッペリンというのは詞の中にメッセージを強く込めようというバンドではなかったんです。サウンド主体で言葉もシンプルなラブ・ソングが多かった。ところがVで音が内性的になり、Wに至っては言葉も内性的な要素が出てきた。タイトルも普通「レッド・ツェッペリン W」ということになってますが、実は4シンボルズ、奇妙な記号みたいなものが本当のタイトルなんです。それは音楽の中にも反映されていて、
T、Uで非常にストレートで一方向のみに走る傾向にあった彼らの音が、Vでもっと幅広くなり、かつまた内性的にもなった。
WはそういうVをもっと進化させた音作りになっている。そして何よりも重要なのは、「天国への階段」という彼らにとって最も重要なメッセージ・ソングが収められているということ。これまで詞をジャケットに書くことはなかったんだけど、この内ジャケットにはすべての歌詞が印刷されている。ジャケットも「天国への階段」を象徴するようなイラストになっていますよね。

「聖なる館」
このアルバムで後期ツェッペリン・サウンドがひとつ完成した。T、Uで初期ツェッペリンがあって、V、Wで方向転換が図られて、サウンドの試行錯誤の末、このアルバムから一貫した音が出来上がった。つまり、初期のブルースとギターのフレージング主体のハード・ロック的アプローチとアコースティックなリフ主体のアプローチが統一され、ツェッペリン・サウンドの完全な形が出来あがったという気がします。ジャケットを見ても分かるように、メッセージ性とか意味性の非常に強い作り方をしていて、詞もロバート・プラントが大幅に書き始めている。そのことでさらに意味性が強調されているという感じがしますね。ペイジのワンマン・バンドからの脱皮が図られ、特に詞はこれ以降、プラントがほとんど書いてるんじゃないかな。

「フィジカル・グラフティー」
2枚組という散漫な印象を与えますね。このアルバムも確かに散漫な部分がありますけど、同時にツェッペリンのいろんな方向性がでていて、面白いアルバムですよね。ロバートが一番好きなアルバムで「カシミール」が入ってるし、考えてみるとプラント色が最も強いアルバムですね。バンドとしていろんなことが出来たアルバム。何か楽しげに作られている感じがしますね。

「プレゼンス」
僕の個人的な感想を言うなら、ツェッペリンの最高傑作。ロック史上に残る空前絶後の作品だと思う。ツェッペリンはジミーのワンマン・バンドだとずっと思い続けていました。プロデュース、作曲、アレンジもそうだし、リーダーも彼でしたからね。だから解散した時もそれほど不安は感じなかったんです。ジミーさえちゃんと続けていけばって。けど、それは大変な間違いであることに気付いた。ツェッペリンは一種の奇跡みたいなもので、1+1+1+1=4ではなくて、1+1+1+1=100以上になるような、何かとんでもない不思議な化学反応を起こしたんです。今考えると、メンバー全員も言ってるけど、一番重要なメンバーは、ジョン・ボーナム(Ds)だったんですよね。後半は、だんだんリフ主体になっていき、それと同時にレコーディングにおける主導権がジョンに移っていった。ドラムスのフレージングに合わせてギターを重ねていく、リズム主体で音が作られていく、要するにドラムスが全体の構図を決定していったんです。また、このアルバムはダビングを重ねて作られたのではなくて、勢いで作られたアルバムなんです。そこでもまた、一つの大きな音楽のマジックが実現して、すべての曲が異常に高いテンションで録音されていますね。ドラムスを主体に全てのフレーズが決められているというのが非常によく分かるアルバム、僕は凄いと思いますね。ジャケットに使われているシンボルも、こちらの深読みを許すだけの許容力を持っている。これも音楽のマジックによるもの。なんか不思議な感じがしますね。

「永遠の詩」
これは映画のサントラで面白い映画でしたよね。いくぶん子供だまし的な面もありましたけど。ツェッペリンのライブに触れたことのない人たちが、その溝を埋めるのにはとてもいい記録映画ではないでしょうか。ライブ・アルバムとしても非常に素晴らしい。後期ツェッペリンの方法論で初期の曲がもう一度再構成されている。
すごくいいですね。音のカタマリがゴロンゴロンと出てくるみたいな。バンドの雰囲気も違うし、音の作り方も違うという感じがしますね。

「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」
これはどちらかというと、失敗作ですね(笑)今ひとつ、盛り上がらなかった。何かまたこのアルバムからサウンドが変わり、ひょっとするとVに相当するアルバムだったのかもしれませんが、残念ながらこれがラスト・アルバムになってしまったので、われわれは知るよしもありません。ただ、このアルバムだけ聴くと、ちょっとテンションが落ちている感じがしますね。

「コーダ」
ボツになったテイクを集めて作られたアルバム。にもかかわらずこの素晴らしさ。なんとツェッペリンは素晴らしいバンドだったんだろうって、思わずほくそ笑んでしまった。ジョンが残したテイクを集めてジミーが編集した「モントルーのボンゾ」、やっぱりスゴイ!ジョンはスゴかったと、涙を禁じえないアルバムになりました。ほかにもいろんな時期のテイクが収められてるアルバムですけど、やっぱりツェッペリンの基本はジョンだったんだなっていう思いが、今さらながらこのアルバムを聴くと出てますね。いや偉大なバンドでしたね。        





1988年 ロバート・プラント インタビュー

「1年前だったら、レッド・ツェッペリンの事や、ペイジとの関係について聞かれても適当にごまかしてだろうね。でも、今はもう話しても構わない気がする。」

と、ロバート・プラント氏は、語り始めた。

「いろんな人から”あの音楽は実にカッコ良かった”と言われて、自分の過去に惚れ直したのさ。気がつくと、周りはツェッぺリンだらけだった。だれも、彼もが”あちらこちらに氾濫しているよ”と言ってたのに、オレはひたすら”そんなこと、知らん”の一点ばりだったんだ。自分の過去を否定する事は、オレにとって必要な事だったんだ。クラプトンだって、クリームで同じ事を体験しただろう。”レイラ”をプレイするたびに、”クロス・ロード”を要求されてさ
オレは70年代の絶叫やしがらみから逃れて、独立したアイデンティティーを築きたかったんだ。今だからこそ、ステージに立って、
”ミスティー・マウンテン・ホップ”を歌えるんだ。時間を置いたから映えるんだ。ずっとそいつで商売してきて、今もそのまま歌い続けるのとは、ワケが違う」

ー”天国への階段”?

「やろうなんて夢にも思わない。やっても楽しくない。ペイジと一緒なら、たまにやるってこともできなくはないけど。あの曲は、ロニー・レインの移動スタジオで作った。一日中プレイして、二人は出かけたんで、残ったオレとジミーが、その場でテーマや曲調を思いついた。そもそもは、自分の欲しいものは、他人なんかおかまいなしに何でも手に入れたがる女、そいつを皮肉った歌にするつもりだった。ソフトな感じになったのは、モロッコ産の薬のせいじゃないかな(笑)」

ーこれがツェッペリンの最高傑作?

「オレはそう思わない。この歌を正しく把握してないからだよ。これはとても品のいい、楽しい、悪意のない、ナイーブな、かわいい歌、とてもイギリス人的な歌さ。ツェッペリンの最高傑作は”カシミール”だよ。オレとペイジが、遠い遠い見知らぬ土地に旅して、探求した結晶だ。サハラ砂漠の北部に住むベルベル人の生活の様子を見せてもらった。オレの詩的表現はそれほど素晴らしはない。だけど、オレは自分の気持ちに忠実だった。オレにとってのツェッペリンとは、まさしくそういう場だったんだ」

ーアルバムでは?

「”フィジカル・グラフティ”だな。あれは強力だ。タフなサウンドでありながら、一方では抑制された何かを感じる。コントロールが働いてるんだ」

ージョン・ボーナム?
「ボンゾが逝った瞬間、オレにとってツェッペリンは存在しなくなった。今でも、空に向かって叫ぶことがある。”悪い冗談はよせ!”大きな穴が、ポッカリあいてしまった感じだった。ミュージシャンとしてより、長い間彼が自分の友達だったということの方がやたら意識されて・・・。ケンカもしたけど、腹を割った付き合いだったんだ。懐かしい。今はそういう接し方をしてくれる人がいない。極端に浮いているか、極端に冷たい人しかない。
そんなわけで、彼のいないツェッペリンはオレにとって無意味になった。初めてソロ・ツアーをやった時、オレはいきなり一人ぼっちになって、すべて自分の肩にのしかかっていた。それでも、うまくいったんだよ。一生懸命努力して、オレは誇りに感じていた。オレは一時も休まず、新しいことにいろいろと挑戦してきた」

ーペイジ?

「ライブ・エイドで共演しただろ?いやジミーとの共演はオレにとっていつだって最高なんだ。でも、個人的にそれほど親しく付き合ってるわけじゃない。お互いのソロ・アルバムに参加したけど、もう少し気持ちが楽になるまで一緒に仕事を続けて、本当に楽になったら今度は新しい曲を一緒に書きたいね。
大体オレ達二人は、以前からそれ程シックリした仲じゃなかったんっだ。ジョーンジーやボンゾとは仲が良くて、一方でお互いに暗黙のライバル意識みたいなものがあった。
オレたちがダンス・ホールでやっているころ、ジミーは、既にある程度の地位を確立していた。でも、ツェッペリンというバンドに対しては非常に公正なアプローチをとっていたし、オレを良く励ましてくれた。
なのにある日気づいてみると、オレとジミー、ほとんど横並びの関係になっていた。それが彼には気に入らなかったんだよ。時々、そういう気配が伝わってきたよ。時の流れとともに二人の関係が少しづつ希薄になっていったのは確かだよ。
ライブ・エイドでの彼との再会で、オレはヘソの緒を目の前に突き出されたような感覚だった。オレの音楽の中にあるさまざまな刺激がよみがえった」


ーカルト、ホワイト・スネイク、ボン・ジョビィ、ミッションなどのフォロワーについて

「それぞれ、違うんだろ?彼らが大ヒットしてることは知っているし、ヒットするのが大切らしいことも分かる。美意識の問題は関係ない。ボン・ジョビィ様御一行は、名前が売れてないころから業界のメカニズムを見てきてしまったんだ。成功するためには既存のコマーシャリズムの枠に従って、それなりのコーラスを導入し、決められたタイミングでおしりを振らなければいけないということを見て育ってきた子たちなんだ。ハード・ロックであるか否かは問題外だ。即興性や偶然性が全くないのさ。オレは、そういうルールが確立する前に成功できたから、”冗談じゃないよ!”って一笑に付すことができる。ミッションとシスター・オブ・マーシーは、正しく本気で頑張ってると思う。だだのパロディなんかではない。少なくとも、彼らの音楽にはスピリットが伴っている。哀願美少年軍団よりこっちの方が好きだ」

ービースティー・ボーイズのアルバムで、ツェッペリンのサウンドを使ったリック・ルービンについて

「だったら、自分のリフを考えるべきじゃないの?彼が特に革新的だとは思わないな。シカゴのハウス・ミュージックやラップなんかで、あれほど露骨じゃない形でツェッペリンの音を盗んでいるヤツは大勢いるよ。どうせ盗むんだったらいいものを盗みたいって気持ちはあるだろうけどね。別にルービンに対して怒りを感じてるわけじゃない。随分儲かったんだから、酒の一杯くらいおごってくれるかもしれないね。どっちかといえばペイジに奢る義理があるような気がするけど」

ーツェッペリンに対するあこがれが、ロックシーンの荒廃をもたらしている。過去のバンドに注目するのは、未来にビジョンが持てないからだと

「それは、オレ達の時代にもあったことさ。試験でカンニングするのと同じ。当時は、ジェフ・ベックとロッド・スチュワートも二人で同じようなことをやってて、オレたちは彼らのすぐ後に控えていたんだ。ベックがペイジのことをこんなふうに言ってたよ。”ヤツはオレとロッドのやってることを知ってたんだ。それで、自分も中西部地方から男(プラントの事を指す)連れてきた・・・”
最近では、ミッチ・イースターの作品にツェッペリンを、ほんの少し聴き取ることができる。レッツ・アクティブのアルバム”BIG PLANS FOR DYENG”に ”死にかけて”そっくりのスチール・ギターのパートがある。自分が弾いてるわけでもないのに、オレは光栄に思ったよ」

「オレ達が飛び出していったら、そりゃ儲かるだろうね。時々考えることがあるよ。ペイジと二人で徹底的にリハーサルを積んで、一発だけドカンとやってやろうかなってね。だけど、それを実現させるには、相当質のいい曲がないと駄目だ。ペイジ アンド プラントの名に恥じない作品でないとね。それでこそ、新生ツェッペリンは
初めて誕生しうるわけだ。でも、実現の可能性は、何年も先にあるかないか・・・・・・」

           1988年のツェッペリン現象

アン・ウィルソン(ハート)

「コンサートで”ロックン・ロール”をやるのをやめようとしたこともあったの。でも、観客はやってほしいと叫ぶし、やると必ず盛り上がるわ。あの曲には、万人を酔わせる、ストレートで飾りっ気のない、正統派ロックの魅力があるのよ」

イアン・アストベリー(カルト)

「ツェッペリンの影響を受けているバンドの多さには、本当に驚かされるよ。グラム・ロックの連中にとって”THE HALL OF THE MOUNTAIN KING”のイメージはあこがれの的だったんだ。そこでプラントお得意のオールド・イングランドやケルト地方のイメージにのっとって、山頂を征服してドラゴン退治するぞって感じのアメリカのバンドが急速に台頭してきたのさ。その一方で、ペイジ派は黒魔術や魔法使いの世界にひかれる。そのうえ、ボーナムを手本にバンドを作ろうという連中もいる。つまり各メンバーが、個人という立場からもさまざまな音楽に影響を及ぼしているわけだ。これは驚くべきことだよ。ツェッペリンはイギリスが生んだ最高のライブ・バンドだと思う。不思議なオーラと存在感を漂わすバンドだった。バンドというより、むしろ宗教興行集団みたいな感じかな。これから一番困ることがあるとすればツェッペリンの再結成ツアーさ。ツェッペリンには勝てないからね(笑)」

エッジ(U2)

「ヘビー・メタルなどに興味を持ったことはない。だけど、数ある中でもツェッペリンだけは特別だった」

ウエイン・ハッセイ(ミッション)

「彼らこそ本当の意味でのバンドだった。やることすべてが、バンド単位でわれわれに伝わってきたんだ。わがままになることもあったけど、彼らの作る曲はどれも素晴らしかったし、それらの曲をバンドとして演奏した時には、ものすごいパワーが伝わってきた」

ミッチ・イースター(レッツ・アクティブ)

「”フィジカル・グラフティ”辺りから生涯のツェッペリン・ファンになった。レッツ・アクティブでは、初めてのツアーからある種のツェッペリン運動みたいなものをやってる。”ブラック・ドッグ”をやったり、ツェッペリンに関するラジオのインタビューを受けたり、当時は大ヒンシュクをかったけど、ツェッペリンの音楽がパワフルでカッコイイのは周知の事実だからね。ニュー・ウェイブ派や、こだわり派は、”何のつもりだよ”って突っかかってくるヤツもいたけど、大抵の人は大喜びさ」

リー・エイブラハム(ラジオ・コンサルタント)

「アルバム・ラジオでは、ビートルズの次に重要なバンドです。人々から飽きられることがないし、彼らの影響を受けた同系統のバンドが多いのはだれの目にも明らかです」

ジョン・デヴィッド・カロドナー(ホワイト・スネイク製作担当、ゲフィン・レコード製作担当)

「ツェッペリンは、ロック史上ビートルズに次ぐ影響力を持ったバンドです。彼らは必ずしもTOP40バンドでありませんが、”天国への階段”は、AORラジオというフォーマットを設定する基準にさえなりました。大アリーナでのコンサートを、サポートなしで常に満員にしたのも彼らが最初でした」

渋谷・陽一

「同じ4時間以上のコンサートをやる、例えば”ブルース・スプリングスティーン”にしても、そのライブにはちゃんと起承転結があって、ここで何をやって、最後には”ボーン・トゥ・ラン”と、ロックン・ロール・メドレーで終わると決められている。でも、ツェッぺリンは始まると、ズルズル永遠とボッカン・ボッカンやっているうちに時が過ぎ去った(笑)ワーっといっているそのままみたいなとりとめのなさと、テンションの高さと、あのエネルギーは、今では、まあないですね」


一柳慧さんによる、コンサート・レポート

71年11月号のミュージック・ライフより


レッド・ツェッペリンを聴いて、改めてロックについて考えさせられた。私は、初日しか聴いていないので、あとの日に彼らがどんな演奏をしたかは知らないが、少なくとも初日に関して言えば、レッド・ツェッペリンは、シカゴやGFRなどとは、
かなり違ったグループだという印象を受けた。
そして私にはそのちがいが意外と大きな意味をもってるように思えたのである。
ツェッペリンはたぐいまれな音楽性をもったグループである。
彼らは、公演の一部にフォーク・ロックを披露したが、それも
含めて、その演奏は終始洗練され、秩序だった格調の高い音楽性に貫かれたものであった。
ロバート・プラントの声は、みがきぬかれた美しさをもって冴えわたっていたし、ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムらのアンサンブルは高度なテクニックに裏づけされて、見事な調和を演出する。
そこには、完成された音楽美というものがあった。
ロックというと、大人たちはすぐ単純な音楽のように考えてしまうらしいが、本当はなかなか複雑である。あらゆるものが多様化してきている現代においては音楽もその例外ではないが、なかでもロックはもっとも多様性に富んだ音楽だといえるからである。
そして、ツェッペリンのようなグループになると、もはや一つの傾向の音楽だけを演奏するということはない。彼らはいくつものちがった傾向をたくみに消化することによって、自分たち
の音楽にしてしまう。
この点でGFRやシカゴは、ストレートなハードロックのグループであるのに対して、ツェッペリンは、かなりソフィスティケートされた音楽性をもつグループだといえるだろう。
 ツェッペリンを聴いて私は、ヨーロッパ的な音楽だなァというように感じた。もっとも、インターナショナルなかたちで、
若者たちの主張を代弁している音楽であるはずのロックから
ヨーロッパを感じたことは、私自身驚きであった。
(ここでは、イギリスではなくて、あえてヨーロッパという言葉をつかわせていただく。イギリスもヨーロッパ文化圏の一つであるとして)。
それでは、レッド・ツェッペリンのなにがヨーロッパ的であったのかということであるが、まず先に述べた彼らの秩序だった
高い音楽性である。そこにはレッド・ツェッペリンのメンバーたちが意識するしないにかかわらず、ヨーロッパの伝統的な音楽性や、精神性が脈うっている。つまり、作られた音楽の美しさである。
ツェッペリンの音楽には、見事な起承転結がある。ロックにこれほど見事な音楽性を盛り込んだグループはないだろうと思われるくらい、その音楽は有機的な音と、間の関係によって成り立っている。それは、一分の隙間もないといってよいくらい、結晶化された音の世界を形成している。
私がヨーロッパ的というのは、このような人工的な音楽美に対してである。
 ツェッペリンを、たとえばアメリカやカナダのグループと比べた場合、そこにかなりはっきりとした違いを識別できる。
 たとえば、アメリカの、シカゴやGFRは、音楽性という点からみれば、ツェッペリンより、ややラフである。そこには細かなニュアンスやアンサンブルの妙味より、ストレートな大味のものを好む、あるいはそれしかできないアメリカ人らしい気質が反映されている。
ツェッペリンや、ヨーロッパ系のグループが、いかにして美しい音楽をつくりだそうかと音楽の構築に専心しているとするならば、アメリカのグループは構築美などにわずらわされないで
むしろ自分たちのもっている音楽性をそのままぶつけていくことによって、ロックを誕生させていると言えるようなちがいがある。このことはまた、観客の反応にも反映している。
          
今回のツェッペリン初日の公演の前半では、観客はのらなかった、というよりも正確にはのれなかったと言うべきだろう。
雰囲気としては、全体に最初からのりたくてうずうずしているのが感じられたが、ツェッペリンの方で、なんとしてものせてくれないのである。
これは、公演の前半が近く発売されるレコードからの”ブラック・ドッグ”とか、”ステアウェイ・トゥ・ヘヴン”というような未知の曲が多かったせいもあろうが、私にはどうもそればっかりではないように思えた。
 音楽性がありすぎるという言い方は妙な表現だが、ツェッペリンの音楽の起承転結が、ソフィスティケートされているため
ロック特有のフレーズの繰り返しによる盛り上がりや、合いの手を入れるようなリズム・パターンが乏しかったのである。
言いかえれば、ツェッペリンの音楽性は観客との交流のうえで、形成されるという、開かれた性格のもので占められているというよりも、その人工的構築性の故に、音楽自体の完結性が高く、観客に対しては閉じられた性格をもっている場合が少なくないといえるのである。
そのために、観客は手拍子をとりはじめてもすぐ終わってしまうという状態で、公演の前半はロックのコンサートにしてはめずらしく静かな状態で進行した。このことは、シカゴやGFR
の公演で、観客がはじめからのりっぱなしだったのとは対照的であった。
 後半になって、約15分にわたるジョン・ボーナムの息もつかせぬドラムスとタムタムのソロを契機に、観客は次第に盛り上がりを見せ始めた。そして、ツェッペリン最大のヒット曲
”胸いっぱい愛を”の演奏が始まるやいなや、観客は待っていましたとばかり総立ちになり、堰をきったように熱狂的な反応を示しはじめたが、それでもツェッペリンは最後まで折り目正しさを失わないようであった。
 幅広い音楽を含んでしまっているロックに対して、どのタイプのロックがよりロック的であるのか、というようなことを言い出すのは愚問に等しいかもしれない。だが結論はそれぞれの人にまかせるとしても、少なくともわれわれは今年、いくつもの代表的なタイプのロックを聴いてきたわけであり、特にポスト・ビートルズの旗手であるツェッペリンの演奏にふれたからには、ロックの将来を考えるうえから言っても、このあたりの問題をまさぐることは無駄ではないはずである。
大きく分ければ綿密に構成された起承転結のなかにロックの音楽性を極めようとするグループと、どちらかといえば、音楽を作るというよりも、自分たちのもっている音楽性をそのままフランクに音にしてぶつけてくるタイプ。前者をヨーロッパ的、後者をアメリカ的という分け方は、単純すぎて危険かもしれないが、しかしヨーロッパ系のグループと、アメリカ系のグループには音楽性のうえで、このようなちがいがあることは、否定できないことでもある。
 ロックが他の音楽と際立ってちがっているところは、その開放的性格にあるわけで、その点、ロックは観客をぬきにしては
成り立ちにくい音楽であると言える。そして観客の立場から言うならば、後者の音楽のほうがのりやすく、音楽にとけ込みやすいということはあるようだ。だがまた、のせるということだけがロックの全てではないし、最近ではのりやすいタイプの音楽には、内容的に単なるエンターテイメントになりさがってしまっているのも見受けられることも事実である。
ロックはエンターテイメントでもなければ、さりとて芸術でもないが、またその両方の要素を兼ね備えているようなところがある。
 そこにトータルなかたちの音楽として、これまでの音楽とは異なった新しい領域の問題が提起されている。
私はツェッペリンの、あるときはソフィスティケートされた、あるときは、ハードでへヴィな演奏を聴いていると、彼らが、
これがロックなんだよというかわりに、そのあたりのもっとむずかしい、ともすればあいまいになりがちな問題を観客に向かって、なげかけているように思えてならなかった。


「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」のレコード評

79年の”ロッキンf”

 

                        ”コケおどしやハッタリのない手造りの味がにくい”
上田 力

予想以上に地味なものだった
”レッド・ツェッぺリン”のニュー・アルバムが発売になったのが3年半ぶりだとすれば、ハードとかパンクに限らず、ボク自身がロックを聞かなくなってからも、そのくらいの年月は過ぎている。
ロックが”キライ”になったというのじゃなく、もっとベツな領域に”聞かなくちゃならないもの”が圧倒的に増えてきちゃったからだ。で、そんなボクに、いきなりこのアルバムのキーボード・サウンドについて何か書け!っていうんだから、これはちょっと人選をマチガエたんじゃないかと思ったけれど、ま、とにかく聞くだけは聞いてみようと渡されたアルバムを耳にとおしているうちに、ふ〜んと唸ってしまった。
レッド・ツェッぺリンて、こんなにも、地味なグループだったのかナというのが真先にきた印象だ。3年半ぶりに出したアルバムにしては、むしろほとんど変わっていないといっても良いくらいで、その変わらなさカゲンが、”やはり素晴らしい”ということに結びつくんじゃないかと思えてきたのだから、何とも不思議だ。
元祖であるかどうかは別としても、彼らがブリティッシュ・ロックの重要な位置にあったのは間違いのないことだ。ひとつの生きた歴史ともいえるツェッぺリンが3年半の空白の後に発表した成果が、このように少しのハッタリもなく、ギンギラのてらいもなく、むしろ、手作りの味をナイ−プに打ち出す、”しにせ”の貫禄みたいなものですらあるのは、ボクにとっては”ロック衰えず”の感を深めてしまう(認識不足で、ゴメンなさい)。
そんなわけだから、サウンド的にもコケおどしの新しがり、なんて部分は一切見当たらず、アコースティック・タッチを大切にして前面に押し出しているのに逆に驚いてしまう。                  
     

GX−1が圧巻のB面3曲で、そういう趣旨のサウンド構成に重要なスパイスとなっているのが、ジョン・ポール・ジョーンズが弾くヤマハのGX−1の
響きだ。
 アルバムでは、A面トップの「イン・ジ・イブニング」でも、ごく控えめのコード・アクセントとしてのストリングス・トーンが聞けるが、ここではまだ全体の効果を決定づけるような使い方はしていない。十分にタイトで、へヴィーでありながら、なんとも絶妙な”間”を感じさせるミディアム・ビートの中での対位リズム的な使用は、ひと昔前(?)ならメロトロンが使われたであろうことを感じさせて、ほほえましくなる。
 が、GX−1に関していえば圧巻は何といってもB面の3曲だ。
「ケラウズランブラ」では、しょっぱなから、一瞬ギター・シンセサイザーじゃないかと迷わされるようなイントネーションでオーケストラ・トーンのシンコペーティッド・リズムが刻まれる。この機独特のアタックの弱さを逆に利用して、ベース、ギター、ドラムスの強力なオン・リズムに対し、オフの効果を狙っているのが良く分かる。
しかし、これはかなり大胆なアイディアで、リズム隊のアクセントに負けず、しかもGX自体の音量も出過ぎない様にしているバランスの良さは、オーバー・ダブで収録する時よりも、後のトラック・ダウンの段階でタップリ時間をかけて得たものだろうと思う。

 
この機械の操作が難しいのは、ひとつの音色でも”音域”によってかなりニュアンスが変わってしまうことで、その点を注意してトーンを決めないと、思わぬところでサウンドがアンバランスになることがある。この曲の場合でも、後半のテンポ・チェンジしてからのシンセサイザー・トーンによるコード・リズムはとても効果的だが、音域が高くなると明らかに音色とアタックが変っており、その調整にはかなり苦心しているらしいことが想像できる。 ストリングス・トーンを駆使続く、「オール・マイ・ラブ」と「アイム・ゴナ・クロール」はこの機種のチャーム・ポイントであるストリングス・トーンをフルに駆使しており、その面だけでの聞きごたえも十分だ。
「オール・マイ・ラブ」は、イントロのストリングス・トーンのニュアンスから曲想まで、まさにスティービー・ワンダーの「ビレッジ・ゲットー・ランド」にソックリだが、これは、ツェッぺリンの連中も逆に意識していたんじゃないだろうか。”でもオレたちがやれば、こうなるのさ”みたいに。
 途中のソロは、トランペット・トーンのソロ鍵盤を使用してのものだと思うが、そのあたりのバックでは、流しコードだけでなく、かなり細かいフレーズまでこなしている。これも、オーバー・ダブを念入りにやっていることの成果であろう。
「アイム・ゴナ・クロウル」は、さらにGX−1、ストリングストーンの独壇場。GX−1だけのアンサンブル・フレーズをイントロにしているが、これはあらかじめカウントを入れておいてオーバー・ダブしたものか、リズムが入ってくるところに、ほんのちょっと、切れ目があるから、イントロは別録りして編集したものか、断言はできないが、どっちにしろ、イメージはスムーズにつながってゆく。この曲では、ヴィオラ・トーンやセロ・トーンなど、いわゆる中低域に気を配ったコントロールがしてあり、必要な”厚み”を出すのに成功している。
 歌やリズムがかなりハードになる部分でも、それと一緒にGXトーンを音量アップするようなことはやっていないあたりの手捌きは憎いところ。またこの曲のエンディングは、何気ない、”歌じまい”であり、僅かにストリングス・トーンの和音が、それも不完全終止のまま余韻を残すというやり方で、ドシン、バタンという大エンディングにもってゆかないセンスの良さにはちょっとビックリ。
 そして、レッド・ツェッぺリンの言いたいのも、この辺のニュアンスじゃないのかナとも思えてくる。

       楽器の持つ可能性を拡大

 はじめにも書いたように、やはりこのアルバムは、ロックが本来持っていたストレートで、ナイーブな”手造り”の味を打ちだしているのろう。3年半の空白後に、とびきり新しめのメカニカルな意外性ではなく、コケおどしや、ハッタリの無い”ありのままの”の姿勢とサウンドで勝負することが可能であるというのは、彼らにはやはりそれだけの底力が備わっているわけだ。
 そういう志向の中でGXー1のストリングス・トーンはホンモノのストリングスでは出せない効果のために使われている。つまり、最近のロック・グループがやたらと大編成のストリングスのバックで、本来自分達にはありもしない”格調”や”やさしさ”を人工的に上のせしたりするのとは正反対の目的と効果のために。そうしてもうひとつ、そういう使われ方をしているために、折角の日本製でありながら、製作側の日本的志向によってわざわざ狭くしてしまった感のあるこの楽器の可能性を、まるで無雑作に大きく広げてしまっていることを付け加えなくちゃなるまい。もちろん、奏法の上でもイマジネーションの上でも…