ぜっぷに関するもろもろ

《ZEPについてのショートコラム集》

by 鴨川するめ こと ごうきさん

 私が唯一買ったZEPのEPです(ゆう)

 

ぜっぷの最大のヒット曲が[Whole Lotta Love]であることは今さら言うまでもありませんが、この曲の邦題は「胸いっぱいの愛を」。
女性4人組バングルズの89年の全米No.1ヒット[Eternal Flame]の邦題は「胸いっぱいの愛」でした。
ロバートがアメリカのバッファロー・スプリングフィールドや、モビー・グレイプといったバンドを好むのも有名な話で、公式盤では残っていないものの、初期のライヴブートではバッファローの大ヒット曲[For What It's Worth]を聴くことができます。ロバートはこの曲が発表された1967年、The Band Of Joyの一員としてレコーディングをしたようで、デモテープが残っていますね。
じみ〜ちゃんの誕生日は1944年1月8日だけど、1月8日生まれのロックミュージシャンは、ビッグネームが多いね。プレスリーにデヴィッド・ボウイ、ジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)にロビー・クリューガー(ドアーズ)など。最近少しは容姿をもちなおした(笑)じみ〜ちゃんでも、ボウイとならぶとつらいかもね(^^;
ジョンジーは1月3日生まれ(1946年)だけど、なんとあのビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンと一緒。この日は「職人」が生まれやすい日なのかな?
あの【The Song Remains The Same】にも出ていた3人のお嬢さん、可愛かったね〜
ボンゾは1948年5月31日生まれ。生きていれば齡を感じさせないパワフルなドラミングを聴かせてくれてただろうね。そのボンゾの4年前に生まれたのが、モット・ザ・フープル〜バッド・カンパニーのギタリスト、ミック・ラルフス。Swan Songのアーティストで唯一大成功を収めたバドカンのファーストアルバムは、かっこよかったね〜。
ぜっぷで最年少のパーシー王子は1948年8月20日生まれ・・・それにしてもボンゾといいパーシーといい、ぜっぷが飛び始めた頃は、20才そこそこだったんだね。8月20日生まれのロックミュージシャンには、シカゴのジェームス・パンコウがいます。
「間違い」の話しです。これは日本のレコード会社のミスですが、ファーストの[How Many More Times]のタイムが3:20とレーベルに書いてあるレコードや、セカンドの[Heartbreaker]が[Heart Breaker]とレーベルに書いてあるCDがありました。
4枚目のアルバムは、レコード会社の大反対を押しきって文字が全く無いジャケットで発売されたのも有名な話ですが・・・表ジャケに限って言えば、文字の無いものはけっこうありますね。ビートルズの『アビー・ロード』とかポール・マッカートニーの『マッカートニー』、キング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』をはじめ数枚などなど。ぜっぷも『聖なる館』は表は文字無しでしたね。ところがCDでは、やたらでっかくタイトルが入ってしまって興ざめでした。今のCDはオリジナル通りに文字無しのようですが。
アルバム名と同じ曲があると「タイトル曲」という言い方をしますが、何とぜっぷは「Houses Of The Holy]という曲をアルバム『聖なる館 Houses Of The Holy』には入れなかったのですね。後に『Physical Grafitti』で日の目を見るという珍現象を引き起こしましたが・・・。同じような例がないかなあと考えてみるとクイーンの[Sheer Heart Attack]が同名の3枚目のアルバムではなく、6枚目のアルバムに収められましたが、たぶんぜっぷとは違って、「新曲」だったと思います。
ペイジ&プラントとして、ぜっぷの代表曲のいくつかをセルフカバーしましたが、ぜっぷの2枚目に入っていた「強き二人の愛」は[What Is And What Should Never Be]が、なぜか[What Is And What SHALL Never Be]に変っていましたね。
ぜっぷがセカンドアルバムを出した頃のイギリスのBBCテレビの人気番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」のテーマ曲は、「胸いっぱいの愛を」だったそうです・・・が、ぜっぷの演奏ではなく、アレクシス・コナーによるインストだったとか。
ボンゾがインタビューで「影響を受けたドラマーは?」という問いに対して「ヴァニラ・ファッジのドラマー、リー・マイケルズのところのフロスティー、ミルクウッドというバンドのドラマー」の3人をあげていました。ヴァニラ・ファッジは言わずと知れたカーマイン・アピスですね。フロスティーという人は、容姿はわかりませんが、60年代終わりから70年代初めに活躍したキーボードプレーヤー兼ギタリスト、リー・マイケルズと2人だけでアルバムを出しています。このリーという人は、ライヴでもドラマーと自分だけという人でした。ちなみにその「2人だけのライヴアルバム」でドラムを叩いていたのは、後にドゥービー・ブラザースに入るキース・クヌードセンでした。3番目のミルクウッドというバンドは知りません。
ぜっぷと言えばこの人!と言うべき某渋谷氏の記事で笑ってしまったものがあるのですが・・・ライヴでバンド側も客席も大盛り上がりのさなか、おもむろにステージの後ろに下ったジョーンジーが後ろを向いて大あくびをして、また前面に戻って行ったとか・・・「職人」ジョーンジーらしいですね。
ケチといえばじみ〜ちゃんの代名詞なんですが・・・パーシー王子がソロで初来日した時のこと。音楽誌の取材を受けている王子のところへルームサービスの紅茶が運ばれ、ボーイさんが取材記者たちの分もカップに注ごうとすると王子のひとことが・・・「あ、その人たちの分は(入れなくても)いいから」
ぜっぷ結成の時にドラマーとしてじみ〜ちゃんが狙っていた故BJウィルソンは、「青い影」で知られるプロコル・ハルムの一員として72年に来日しています。テン・イヤーズ・アフターとのジョイントコンサートで、第一部がプロコル・ハルムでした。このコンサートのブートをネットで知りあったアマチュアバンドのドラマーに聴かせてあげたら、BJのプレイにぞっこんでしたよ。
『In Through The Out Door』のジャケは6種類あって、「違いを判別できる方法はないの?」と聞いたら、この掲示板で、レコードのジャケの背のところにA〜Fまでのアルファベットが打ってあると教えてもらった(僕のはB)んだけど、例の茶色い袋に入ったままだと見分ける方法ってないんだっけ?
それと、CDも6種類あるの? 偶然にもCDも僕のは「B」の図柄なんだけど・・・
若いぜっぷファンのために、ぜっぷがライヴで取り上げたロックの有名曲を紹介しましょう。
☆For What It's Worth / Buffalo Springfield
1967年に全米3位まで上がった「フォー・ホワット」は、バッファロー・スプリングフィールドの代表曲。このバンドは、スティーヴン・スティルス、ニール・ヤング、リッチー・フューレイ、ジム・メッシーナなど、ロック史に重要な役割を果たすミュージシャンが在籍しましたが、時代を先取りしすぎたのか、3枚のアルバムを出して解散してしまいました。「フォー・ホワット」はファーストアルバムに入っています。特にロバートのお気に入りだったようです。

☆I Saw Her Standing There / The Beatles
ビートルズのデビューアルバム『Please Please Me』のトップに収められたポール作(クレジットはレノン&マッカートニー)のロックンロールナンバーで、90年代のポールのソロツアーでも歌われました。最近ヌードになったティファニーが88年にヒットさせたことでも知られています。ぜっぷはメドレーの一部として初期のライヴでほんの少し演奏しましたが、原曲のイメージはありません。

☆San Francisco / Scott McKenzie
1967年の大ヒット曲、スコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」ほど、時代を反映した曲もないなあと思っていますが、これもぜっぷの演奏では原曲のイメージがないですね。ライヴアルバム『The Song Remains The Same』の「Dazed And Confused」で、いきなりこの曲をロバートが歌ったのには驚きました。

☆C'mon Everybody / Eddie Cochran
「サマータイム・ブルース」でも知られる50's のロックンローラー、エディ・コクランのヒット曲ですが、日本のロックファンの多くは、「カモン・エヴリバディ」といえばUFOのヴァージョンでしょう。ぜっぷは69〜70年頃のライヴで演奏していたみたいですね。
オフステージでは悪行三昧だったぜっぷも、広島公演の売り上げを寄付して、広島市長から感謝状をもらったけれど、この時の爺様のような広島市長は英語ペラペラで、ぜっぷとは通訳なしで会話をしていたんだってね。
ワールドカップ真っ盛り・・・イタリアの「王子」が人気を集めていますが、ロバート王子のサッカー好きも有名ですね。同じくサッカー狂のロッド・スチュアートなんかは、ステージから客席にサッカーボールを蹴っていましたが、スタッフが後で回収していたと聞いて笑っちゃいました。
ちなみに昔、Music Life誌のグラビアで、ブリーフ?でサッカーをやっている王子が載っていましたが、ナニがくっきりはっきりでした(^^;;
ファーストの裏ジャケのメンバーの集合写真は、ヤードバーズのクリス・ドレヤが撮影したものですが、ジャケットに自分の描いた絵を使うというのはかなりありますが、ミュージシャン自身が撮影した写真というのは・・・ウィングスのリンダは別にして、思い浮かぶのは、フリートウッド・マックの『枯れ木』(1972)くらいでしょうか。ベーシストのジョン・マクヴィー撮影。
ジミ〜ちゃんとジョーンジーは一人っ子で、王子にはアリソンという妹がいるそうですが、マスコミで写真などが公開されたことってあるのかな? ボンゾにも弟か妹がいるみたいね。
曲の邦題って、ある日突然違ったものに変わったりもするけど、ぜっぷに関する限りそれはないと思っていたのですが・・・「タンジェリン」って、『III』が日本で発売された時は「タンジール人」だったみたいですね。
6月22日・・・30年前の1972年6月22日は、ぜっぷはアメリカのサンバナディーノでのコンサートでした。
「イエロー・リヴァー」のヒットで知られる3人組クリスティーの曲に「想い出のサンバナディーノ」というのがありました。
映画にも登場するツアー用のジャンボジェット機・・・ボンゾが操縦して宙返りをしたそうだけど、その時に楽器は壊れなかったのかなあ?という疑問をずっと持ってます・・・が、もし壊れたらジミ〜ちゃんが黙っちゃいないね。
僕の持ってる『イン・スルー〜』のアナログは、いちばん多く出回っているBなんだけど、昨日中古屋めぐりをしてFがきちんと茶封筒入りで400円であったので、買っちゃいました。でも、中の袋は、しっかりと水で濡らしてあった。
もう1軒では、茶封筒なしのDもあったけど、こっちはパス。700円でした。ちなみにぜっぷをごそっと出した人がいるみたいで、いつもはそんなにない小さな店(古本屋)なのに、全タイトル、アナログがありました。
ぜっぷ本をながめていて知ったんだけど、セカンドアルバムって、アメリカでものすごい勢いで売れてるのに、イギリスでの発売はだいぶ後だったんだって? イギリスのバンドなのになぜ?
しつこく『In Through The Out Door』の6種ジャケの話。何と6種類のジャケを用意してることは、ずっとアトランティックレコードにも内緒だったようですね。CD全盛の今、ぜっぷがやってきたようなジャケの「お遊び」(誉め言葉です)がなくなってしまったのは残念ですね。
もう30年近く思っている素朴な疑問・・・ボンゾの髭のない写真ってないの?
やせてる頃なら、ボンゾもけっこうハンサムとちゃいまっか?
これは前に自分のボードに書いたんだけど、ぜっぷのベスト盤『Early Days』の1のアメリカ盤のブックレットでは、『Coda』のジャケがファーストになっちゃってるんだね。
ここにアップしてあります。
http://members.aol.com/lather1201/zep.jpeg
七夕・・・じみ〜ちゃんは短冊に「お金が欲しい」と書いているのでしょうか?
ぜっぷの最後のコンサートが1980年7月7日のベルリン公演だったようですね。
ビートルズとぜっぷだけは、CDを買ってもLPを処分しないでとってあるんだけど・・・今のCDは知らないけど、わての持ってる『IV』のCDには、LPの見開き中ジャケに描いてあった、崖(天国への階段?)を上る少年の絵がないんだね。CDになると、そういう重要なものまでカットしちゃうのは許せないなあ。
星の数ほどあるぜっぷのブート・・・そのほとんどのジャケは4人のショットか、王子と(または)ジミ〜ちゃんだよね。ジミ〜ちゃん&ボンゾの2ショットという珍しいものもあるけど、ジョーンジーだけのジャケって、たぶんないよね? 嗚呼かわいそうなジョーンジー・・・
昨日はオフ会の2次会で恒例のカラオケへ。ぜっぷナンバーは2曲歌われました。「ロックンロール」と「胸いっぱいの愛を」です。後者はこのボードの常連さんのしゅうさんが歌いました。あとは「移民の歌」とか「天国への階段」などは定番だけど、珍しいぜっぷのカラオケ曲って何があるんだろ? ちなみにわたくし「モビー・ディック」や「ブロン・イ・アー」を歌わせれば天才です(^^;;
ぜっぷ全盛の頃の日本の洋楽誌といえば「Music Life」誌でした。そのML誌では、毎年読者の人気投票をやっていました。まずは、1971年と1972年の結果をご紹介。
☆1971年2月発表・・・グループ1位・ぜっぷ、男性ヴォーカル1位・ぱ〜し〜、ギタリスト1位・じみ〜ちゃん、ベーシスト1位・じょーんじー
☆1972年2月発表・・・グループ1位・ぜっぷ、男性ヴォーカル1位・ぱ〜し〜、ギタリスト1位・じみ〜ちゃん、ベーシスト1位・じょーんじー
う〜〜む、誰かが抜けてるような気がする(爆)
ボンゾは71年3位、72年2位でした。1位はリンゴ・スター。
ぜっぷの国内盤シングルレコードはあまり持っていないんだけど、その中からいくつかネタを。
「Black Dog / Misty Mountain Hop」は、ステージ写真(日本公演だと思う)のスリーヴで、裏は『IV』の爺様ジャケになっています。で、スリーヴを開くと左に2曲の歌詞、右に4人のサインが印刷されています。そのサインですが、名前の上にボンゾは「Best Wishes」ジョーンジーは「Good Luck」パーシー王子は「God Bless You」(たぶん)と書いてあるのですが・・・ジミ〜ちゃんは名前だけです(^^;;
ぜっぷの最大のヒット曲「胸いっぱいの愛を」は最初に「サンキュー」とのカップリングでグラモフォンから出たようですが、これは見たことがなく、私の持っているのはワーナーのmark 45シリーズで出た「リヴィング・ラヴィング・メイド」とのカップリングです。で、4人の顔写真のジャケなんですが、ジョーンジーとジミ〜ちゃんは反転表示とでも言えばいいのか、写真のネガ状態で、顔がわかりません。また、他の3人は右側からの撮影なのに、ジミ〜ちゃんだけ左から。ジミ〜ちゃん命の広島のkimiy組長によれば、ジミ〜ちゃんは右斜め前から撮るのがいちばんだそうですね。
「D'er Mak'er / The Crunge」のシングルには、あの73年5月5日のタンパ公演の解説とA面の歌詞が載っていますが・・・以前はシングル盤の歌詞ってA面もB面も載っていたのに、ワーナーはこの頃からA面だけということが多くなりました(--;
スリーヴの表に書かれたキャッチコピーは次のとおり。
最新アルバム<聖なる館>をひっさげ、記録的な大成功をおさめたアメリカ・ツアー!!
各地で最も人気の高かった曲、それがこの<ディ・ジャ・メイク・ハー>!!
「D'yer Mak'er / The Crunge」の国内盤シングルのスリーヴは、ステージの王子とジミ〜ちゃんの写真で、間にジョーンジーもいるのですが、顔が半分、ジミ〜ちゃんのレスポールで欠けています。
で、ゆうさんの大好きな曲「Trampled Under Foot / Black Country Woman」のシングル盤も同じようなショットなんですが、王子とジミ〜ちゃんの間に写ってるのはボンゾで、ジョーンジーの姿はどこにもありません。可哀想なジョーンジー・・・・で、で、やっぱりB面の歌詞は無し(--;
もう手持ちのシングルは尽きました(^^;; 
よくシングルのスリーヴにアルバムジャケがそのまま使われますが、あれはちと寂しいです。
持ってはいないけど、ぜっぷで言えば「Candy Sotre Rock」や「Fool In The Rain」です。
で、「Over The Hills And Far Away」もそうなんですが、これは欲しいと常々思っています。
LPを開いた状態でのあのきれいなジャケがシングルスリーヴになっていて、同じイラストでもアルバムとは違った魅力が感じられるんですね。でも、このシングルは中古でも高い(T T)
ボンゾの遺児は2人ともロックミュージシャンになり、王子の娘もミュージシャンと結婚しましたね。やはりカエルの子はオタマジャクシですね(^^;
で、『永遠の詩』で、とっても可愛かったジョーンジーの3人の娘さんはどうしてるんだしょ?
☆まぎらわしい曲
・胸いっぱいの愛 / Bangles
・Whole Lotta Trouble / Stevie Nicks
・Rock & Roller / Bay City Rollers
・All My Loving / The Beatles
・Nobody's Fault But My Own / Beck
先日、とある中古店に入ったら壁に『In Through The Out Door』の国内盤帯付きで、AからFまでの6枚が飾られていました。値段はついてなかったので店長に聞くと、全部まとめて28,000円くらいを考えているとか(@@)
ちょっと手が出ないし、バラで安いのを見つけようと思いました。でも、種類によってはなかなか出回ってないんだろうなあ・・・ちなみに今はBとFを持ってます。

 

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