ストーンズファンの主張

「ストーンズの周辺話2」

LiZaさん

 

88年3月10日、ロン・ウッドの絵画展最終日の午後、自宅で新聞を読んでいた私は、小さな記事でその情報を知

った。(恐らく2〜3日前の新聞。溜まっていたのをまとめ読みしていた。)

 

ロニ−のソロ”Gimme Some Neck”のジャケットのイラストを契機に、彼の新しい画集、The Worksに丁度入れ

込んでいた頃だったから、願ったりと思い、生を見るべく銀座一番館ギャラリーへ向かった。

 

ところが到着してギャラリー前に人だかりがしているのに仰天、近くに立っていたロッカー達(ギターを持っていた)

から話を聞いて入場には整理券がいる事、その配布は既に終了してしまっているという事、そして、整理券を持っ

ていない人間が今回絵を観るチャンスは、時間的にもう無いのを知った。実はその日の午後、作家本人が来場す

る事になっていたのだ!

 

画廊は地下にあり、外から覗き込む事は出来ない。

かろうじて1枚、入り口に飾られていた自画像を観る事が出来た。20号位のコンテで、暖かみのある活き活きとし

た描線の、とても素敵な作品だった。The Worksには収録されていなかった物で、つまり、他にも初公開かもしれ

ない作品があと34枚、(新聞によると)展示してあって、私はそれらを観られないのだ!

作品も見られずに、ロニ−が会場に入っていく姿を一瞬見てもなあ...と思い始めた頃、黒いリムジンが到着した。

車はギャラリー入り口前に横付けされ人垣から歓声があがった。ロン・ウッド夫妻が、一瞬のうちに5〜6mの歩道

を横切って中に入って行ったらしいが、私は少し離れた所にいた為見られなかった。そして、整理券を持っている

人達の入場が始まって、路上は空き始めた。

 

同じく整理券がなくて入れず、ロニーを’ちらっと見た’だけですっきり出来ずにその場に留まっていたロッカー達と

お喋りして、彼らが横浜から楽器にサインを貰いたくてわざわざ持って来ていたのを知った。

私は私で自分の情報の遅さを棚にあげ、個展に整理券なんて!とすっきり出来ない気分でいたので「よっしゃ私

に任せて!」と、リムジンドライバーに、これからのロニ-の行き先を聞きに行った。

ホテルに一旦戻る、という事だったので、どこのホテルなのかも聞いた。そして、30分後に新宿の京王プラザに到

着した。因みに、こんな大胆な行動に出たのは前にも後にもこの時限りであるが、そこで情報通の年上の女性ロ

ックファンと知り合えたのはとても良かった。彼女のお陰でこの2年後にキースに会えたからだ。

 

私とロッカー達がホテルのロビーに到着して立ち話をしていると、一人の女性が近づいて来て「ロニ−を待ってい

るの?」と声をかけてきた。服部まこ似の明るい美人で、私達はたちまち打ち解け、一緒に待つ事にした。彼女は

推測で京王プラザホテルに来ていたらしいがイベンターが宿舎や接待に使う店の過去データを持っていて、ミュー

ジシャン達と一緒に飲んだりもしていた。

 

当時、六本木まで自転車で行ける距離の所に住んでいたのにもかかわらず、10代だった私は、そういう店とは無

縁だったし、今でも品行方性な私(!)は、仕事とライヴ以外では、アルコールを供する店には足を運ばない。(飲

めないので。)オフで私に付き合って下さる欧州の友人達は昼間におばあちゃんだらけのコーヒーショップ(オラン

ダのではありません、念のため。)で300g位のケーキを食べさせられるのだ。

 

話がそれたが、小一時間程、ロビーで待っただろうか。その間、彼女と並んで座りながら私は、持っていたメモ帳

に落書きしていた。ストーンズのメンバーやジェリ−ホールやジョーの似顔絵などなど。とってもとってもとーってー

もおこがましくて恐縮だが、10年に1度位、ロニ−の画風を1000倍位下手にしたような絵を、私は描く。そのうち、

ロビーが関係者と見られる外国人達で賑やかになってきて、並んで座っていた彼女はトイレで女性ベーシストと会

って話し込み、住所交換してきたそうだった。そのうちBo Diddleyもやって来て、ロビーが一気に華やかになった。

ロッカー達は大喜びで、ギターやレコードにサインを貰っていた。ロビーにシンディー・クロフォードに良く似た女性

もいて、当時彼女の大ファンだった私は失礼ですけど、モデルさんですか?ツアーのスタッフには見えないけれ

ど...と声をかけた。彼女はとんでもない、と謙遜し、でも私の彼がロンウッドのマネージャーをしているから紹介す

るわね、と言って引っ張ってきたのが、アトランティックレコードの、ZEP日本ツアーではJONESYのピンチヒッター

も努めた、かの、フィル・カーソンだったのであります!!

ここから私は幸せ過ぎて%&’#$状態になってしまい、何を言ったか何を聞いたかも実は余り覚えていな

い。JONESYに愛していると伝えてと大騒ぎして、笑われたような記憶がうっすらとある。

 

実は何年もZEPのメンバーの顔もよく知らずに(というか興味なしに)曲を分解して聴きこむような楽曲自体のマニ

アでステレオのスピーカーに張り付いてベースのリフを聴き取り、ターンテーブルのカバーをたたいてリズムを取

り、手動で何度もギターソロの一部分を繰り返し過ぎて(ジミーに多い、4小節の中に3連符が連続して入っている

為に3拍子に一瞬思える箇所が超快感。)ついに親の高価なステレオセットを壊したようなファンだったので、人の

話なんか聞かないで、いかにどういうZEPPELINナンバーが好きかという話をしてたんじゃないかと思う。尽々、勿

体無い話だ。

 

そうこうするうちに、ロニ−がジョーと戻って来た。ローディーのマギー氏も一緒だ。(98年に、別の友人からの依

頼で、彼に電話インタビューした事がある。)

 

私はフィル・カーソンに会え、ご自宅の住所も教えて頂いて、JONESYへの手紙も渡してくれると請け負って頂き、

既に幸せ一杯な状態だったので、その前で、ロニ−にサインをお願いするのは悪い気がして遠慮して、カーソン氏

達の傍で見ていたのだが、(まこちゃんは既に、サインも貰い、ロッカー達と一緒にばしばし写真を撮っていた。今

回の写真も全て、彼女が撮ってくれたものだ。)フィル・カーソンとガールフレンドが、ロニ−に声をかけ、私を’ZEP

ファン’だと紹介してくれた。

ロニ−にサインを貰う為メモ帳を取り出したついでに、またもや大胆にも、待っている間落書きしていた稚拙なボー

ルペンの絵を見せたところ、ロニ−が!といった感じになって後ろの方でかこまれて何故かサイン会をしていたジ

ョーを呼んで、2人で喜び、Can I KEEP IT?と聞いてくれ、(Can I keep it ですって!?)BIG HUG & KISSに

私は呆然となった。そんな訳で、もしまだ捨ててなかったら、ロニーは私の落書きをどこかに保管してくれていると

思います。

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その2年後、ストーンズ関係の友人も何人か出来、STEEL WHEELSツアーのチケット取りは大変そうで、まこちゃ

んと私はお互いの分を共同で取っておくことにした。寒いさなか、渋谷109の前に徹夜で並んだのが懐かしい。ス

トーンズの熱烈なファンの山川健一氏が車でやってきてファンの行列を冷やかしていったらしい。KEEP ON

ROLLING、かなんか叫んでたんだろうか?熱い人だ。(いや、叫んでないかも知れない;;)

この時も私は、目が悪い所為もあるが、ぼーっとしていてそれを目撃しなかったので。

 

とりあえず、3回分のチケットを確保出来、まこちゃんとチケットの交換をしようと電話で話している時、彼女が、今

回ストーンズはオークラに泊まっていると言った。オークラは、たまに待ち合わせやレポート書き(ビジネス用に手

紙を書くスペースがあったのだ。)等に使わせて頂いていたので、では、そこでメンバーに遭えるチャンスの期待も

しつつ、お茶をしましょう、という話になった。

チケットを持ってロビーに行くと、いつもの重厚な雰囲気ではなく、多分4〜5組いた待ち受けのファンで妙に騒がし

い感じだった。自分達の事は棚にあげて、まこちゃんと私は、ちょっと嫌な感じだねーと言って、ロビーでお茶する

のはやめて、さっさと帰る事にした。その前にショッピングアーケードを冷やかす事にして、2人でアーケードに行

き、まこちゃんが電話だか、トイレだかに外した時、ブティックからチャーリーが出て来たのだ!

その場には私しか居らず、店の入り口でハチ遭わせの状況ではシャイになっている余裕はなく、チャーリーに写真

を撮っていいか尋ねた。今回はしっかりカメラを準備して来ていたのだった。そして撮らせて頂き、サインを貰った。

まこちゃんが戻ってきて、驚いているうちに、今度はキースが現れた。

 

日本人のセキュリティースタッフが写真はダメだと、キースをガードしていたが、まこちゃんがキースに嘆願してく

れ、キースがOKだと言ってくれた。キース側の外国人スタッフがまこちゃんとキースの写真を撮ろうとしていたの

で、2ショットの方がいいだろうなと思い、離れて見ていたら、「早く!なんで入らないの!」とまこちゃん。本当に

良い人なのでした。

直後、キースに写真のお礼を言って、サインをお願いした。名前も入れて欲しいと頼んだ。

"What's your name?"とキース。私のスペルアウトに従ったキースが書き終えて一言、"Akiko, Hmmm...

lovely name!"このHmmm...はTalk Is CheapのMake No Mistakeなんかで聴ける溜息そのままだった!!!服装か

ら察するに、記者会見に出掛ける時か帰って来た時かのどちらかだったのだと思う。本当にラッキーだった。(その

後、この言葉がとても気になっていて、アメリカ人の友人に、私の名前の語感から受ける印象を聞いてみたら、小

さな女の子を連想する、と答えたので大いに満足した。

従って、全国のアキコさんをはじめ、サキコさんやマキコさんやタキコさんは、自分の名前に喜んでいいと思う。

その後、イギリス人のWHOLE LOTTA LEDのジェフは、私をドイツ人の男だと思ったそうだが、多分、名前ではな

い部分からそう思ったのだろう。私はキースの言葉を信じたいと思う。<大馬鹿)

あとは、何年だったか覚えていないが、友達に誘って頂いて、限られた人達へのロニ−単独の公開記者会見へ出

向いて、友人のけし掛けに、質問をしそうになったが、私の知識は余りにも偏りすぎていて、挙手せずに良かった

と思っている。

自分の事をよく知らない相手というのは、質問される側も解るものだ。又、マギー氏に電話をして、バックステージ

パスの受け渡し方法の指示を、友人の代わりに聞いた事もあったが、羨ましい話を聞きつつも、友人の努力に便

乗する気にはなれず、友人に同行して良いか?とは聞かなかった。バックステージパスを貰える人は、長年それ

なりの努力と愛情をストーンズに注いでいるのだ。何度目かにマギー氏が私に、いつも通訳ありがとう、と言ってく

れた。それだけで私には十分すぎる有難さだ。

因みに、私の現在の夢は、アップライトピアノを担いでJONESYに会いに行き、サインを入れて貰う事だ。

過去にデスクトップPCとレーザープリンターを、一度に一人で担いで飛行機に乗った事があるから出来なくはない

だろう。連弾なんかして貰えたら....(という事は椅子も担いでいかなければならないという事か?)もう思い残す事

は何もない。

 

 

 

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