ストーンズファンの主張
「ストーンズの周辺話」
LiZaさん
一頃、映画「PERFORMANCE」を観て、アニタ・パレンバーグのドイツ語訛りの英語のアクセントに魅入られてしま
った。
その後、彼女が出演しているというので「バーバレラ」も観てみたが、(カラスの女王様みたいな格好が似合ってい
ました。)作品自体が余りにも「B級」過ぎた。
それに引き換え、「PERFORMANCE」はよく出来た映画だと思う。
マジック・マッシュルーム、ハシシ等、ダウナードラッグ摂取者の網膜を通して視たような幻想的なイメージの数々
が圧巻の映画だ。
シタール、スライドギターの音も退廃的な雰囲気を盛り上げるのに一役も二役も買っている。
主演のミック・ジャガーを差し置くようだが、近年では「日の名残」にも出演していたジェイムズ・フォックスのクール
さも、とても良かった。(彼はギャング役でも、どこかノーブルなのだ。)
そのクールさの正体こそ、オープニングの鞭打ちシーンに象徴される、マスキュリニティなのだが...。
男vs女・支配的vs受身的、暴力的vs非暴力的、という単純な二元論の世界から、下手を打って逃げて来たフォッ
クスの立て篭もった先が、ミックら性別不明な男女3人が平和にラリって暮らしている屋敷だったのだ。
彼はここに隠れ住まう内に、既得の価値観を保持しきれなくなる。(早い話が、軟弱になってくるのだ。)
ミックら3人の助けを借りて国外脱出の準備をしているうちに、一瞬は彼もエキゾチックな外国での共同生活も夢
想するが、ミックの不注意から、元の仲間達に居所がばれて包囲されてしまう。
追い詰められた時(掟破りの彼を待ち受けているのは恐らく、リンチの末の死、という制裁だ)彼は無抵抗のミック
を撃った。
男性的・支配的・暴力的な元来の行動規範がにわかに戻ってきたかのようだった。
しかしギャング達が連行したのは...
― 黒塗りの車に押し込められた彼が、後にする屋敷をちらっと振り返る。―その顔はミックだったのだ。勿論、
撃たれてしまったミックではない。
フォックスを感化したスピリチュアルなものの表現である。(と思う)ちゃんと救いのオチがつけられていたという事
だ。(と思う;;;)
他のストーンズ映画では「ワンプラスワン」なども、ブライアンジョーンズ好きには良いかもしれないが、ドキュメン
タリーゆえに私は(感動とは)違った意味で胸が痛くなってくる。
例えていうなら、アンハッピーな退職をしていった過去の同僚について、かつては親交もあり、功績を認めていた
にも関わらず、話題にするのを避けるような心持である。
バンドは生き物のように変化するものだ。
過去への強い愛惜の念は現状の受け容れを多少阻む事もあるかも知れない。
昔日を愛惜しむか、それとも変化についていくかはファンの自由裁量であって是非もないが、
私はストーンズとは気楽な距離を置いている。
よって、現況の肯定有るのみ。何でも好きにやって下さい。
私の得ているストーンズは、音楽よりも寧ろ、視覚的な媒体の割合が大きい気がする。
往時の流行作家・吉田カツのイラストレーションによる、磔のキリストに見立てたキース、前述のゴダールの映画、
ロニ−のイラストレーションなどなど。(そういえば、忘れてはいけないのがSOME GIRLS。私はアニタだけでなく、
ジェリ-ホールも好きで、ファッション雑誌からせっせとクリッピングしていたのでした)
最後に、幸運にも、ロニ−とキースとチャーリーには会えた事があるので、ゆうさんからの原稿依頼の有難いお誘
いを頂いたのを機に蔵入りしていた写真を引っ張りだしてみた。
銀座一番館画廊の入り口にかかっていた20号位のロニーのデッサンを88年3月10日午後撮影したもの。京王プラ
ザホテルのロビーにて、ロニーの写真を88年3月10日午後撮影したもの。チャーリーとキースの写真をホテルオー
クラのショッピングアーケードにて、90年2月7日撮影したもの。次回のコラムでお見せしたいと思います。
Copyright (C) 1999 by U All Rights Reserved