ピーター・グラントの伝説 5人目のツェッペリン

「4人は、音楽を担当する。私はそれ以外のすべてをやる。そして、前進していくのに何か強い手段が必要となったら、その時はそうするさ」グラント

 

ピーター・グラントの大きな功績はエージェントとプロモーターから、アーティストとそのマネージメント側に権力と利益を引き寄せたことを独力で成し遂げたことでしょう。そのためには、時には強硬な手段がとられ、エピソードには事欠きませんでした。
ここではピーター・グラントの生涯、彼を知る人のコメント、彼のエピソードを集めました。

(生涯)

1935年ロンドンのイースト・エンドに生まれました。家庭的にも恵まれず、戦争で家をなくし、教育もなく、苦労を重ねました。13歳でクロイデン・エンパイア劇場の裏方をし、フリート・ストリートで映画のフィルムの配達をしました。陸軍に入ったこともあり伍長にまでなりました。
若いころから目つきの鋭い大男だったので、ナイトクラブの用心棒、映画「ナバロンの要塞」のエキストラ、ロバート・モーリーのスタントマン、プリンス・マリオ・アランオのリング名でプロレスラーをしたこともあります。

アメリカのロッカーのイギリスツアーのマネージャーをするようになり、60年代半ばからは音楽業界のマネージメントで頭角をあらわすようになります。レッド・ツェッペリンのマネージャーとなったときはあらゆるマネージャーの中で最も音楽業界に精通していました。

80年ボンゾの死亡と共にグループは解散。スワンソングをたたんだ後、グラントは引退同然の生活を送っていました。それからは飲酒と麻薬との戦いの日々でしたが、80年代の終わりには健康を取り戻しました。90年に入って音楽業界に復帰しましたが、1995年11月21日サセックス州の自宅で持病の心臓発作で他界しま
した。享年60歳。

(コメント)

「グラントは頭のきれるマネージャーだぜ。これだけビッグなバンドが、これだけすごい演奏をするんだ。前座をたてて、メインのバンドが出てくるまで客を待たせるのは時間の無駄だと思ったんだ。コンサートに行って、うすのろシスターズなんてのが30分も歌わされるのを聞かされるんじゃ、かんべんだよな。バーに座ってたほうが、まだましさ、そうだろう?前座をなくしたおかげで、グループ同士の器材やなんかのもめごともなくなった。俺たちだけが行けば、それでOK。あとはカーテンが上がる前にスイッチを入れる、それだけのことさ。ことは単純明快。」リチャード・コール・・・ツアーマネージャー

「グラントは客はアーティストに金を払うのだから、アーティストが金を手にするのは当然だと考えたんだ。もちろん、リスクも引き受けたぜ。自分の金でホールも借りた。運良く俺たちは大物プロモーターと組み、彼らは俺たちの条件をオーケーした。」リチャード・コール

「グラントのレコード業界の評判は、猛者の悪党といったところさ。人をこき使い、怒鳴りつけ、めちゃくちゃにいうからね。それでも相手が問題を起こさない限り手を出したりしない。僕は彼が物をこわしたり、人をなぐりつけたりするのは何度も見たが、いつも相手にそうされても仕方ない理由があった。グラントはまさにプロであり、紳士だったよ。自分のマネジメントするタレントと彼のために働いてくれる人々、とりわけレッド・ツェッペリンのために働いてくれるものに対しては、信じられないほど忠実だよ。」ベノイト・ガウティエ・・・アトランティック社員

「グラントとビル・グラハム(大物プロモーター)はまるでキング・コングとゴジラのようだった。二人とも本物のタフ・ガイだ。グラハムはステージに遅れるようなバンドに金を払うことなど、考えられないといった。そこでけんか腰の交渉が丸一日つづいた。グラハムのスタッフは我々のカメラマンをステージにあがらせなかった。これに対抗してツェッペリン側はボンゾをけしかけた。ボンゾは苦虫をかみつぶしたようなグラハムの顔にバケツの水をぶっかけた。」ダニー・ゴールドバーク・・・ジャーナリスト

 

(エピソード)

・リトル・リチャードのツアーマネージャーをしている時、リトル・リチャードを脅したプロモーターを叩きのめし、止めに入った警官6人をのした。

・ヤードバーズのマネージャー時代、ヤードバーズの乗ってるバスがコンサート会場に1時間遅れで到着すると、二人のプロモーターがバスに乗り込むなり銃を突きつけ、皆殺しにしてやるとわめいた。席を立ったグラントは、巨大な腹で、この二人を外に押しやって怒鳴った。「今、なんか言ったか、てめえら!」このひとことで事態はおさまり、コンサートは始まった。

・ジェフ・ベックのコンサートでジミーがジャムセッションに参加。なぜかへべれけに酔ったボンゾもステージに上がり、ドラムの席に座るとストリップ風のリズムを叩き、服を脱ぎ始めた。服を全部脱ぎ捨て尻を観客に向けようとしたボンゾに警官が向かった。それを見たグラントがステージにあがりボンゾを抱えて楽屋に運び込み、逮捕を避けることができた。

・メンフィス公演で、その日の昼。レッド・ツェッペリンはメンフィスの名誉市民の称号を受けた。その夜の演奏に1万人の若者が熱狂し、それに恐れをなしたプロモーターはグラントにバンドをステージからおろすように言った。
「ばかいえ!俺は連中をひっこめたりしないぜ。」
すると、プロモーターは銃を取り出し、グラントの胸に突きつけた。「もし、コンサートをやめさせないなら、ぶっ放すぞ。」
グラントは笑った。
「おまえには俺は撃てねえよ。俺たちは名誉市民の称号をもらったばかりなんだぜ。」

・ロバートはたまに大観衆を目の前にして、体がすくんでしまうことがあった。その時はグラントが檄を飛ばしていた。
「おまえは負け犬なんかじゃない、大スターだ。」

・バス・フェスティバルに参加した時、その日は天候が不安定だった。どしゃぶりの後空が晴れ、雨上がりの素晴らしい夕焼けになりそうだった。グラントはこの最高のバック・グラウンドで演奏させようと考え、ステージで演奏しているフロッグの器材の電源を切った。スタッフが抗議すると、ボコボコに殴った。フロッグが無理やりステージをおろされたあと、登場したレッド・ツェッペリンのロバートのMC。
「・・・アメリカは暴力が横行していて、ひどい状況だ。トラブルのないこのフェスティバルに参加できて本当に嬉しいよ。」(^^;)

・日本ツアー中、ジミーのベッドのカーテンをジョーンジーとロバートがあけた。そこへボンゾが緑茶と日本酒と冷ご飯を混ぜたものを投げ込んだ。しかしそこに寝ていたのはグラントだった。たちまちジョーンジーとロバートとボンゾは殴られ、ボンゾは大量の鼻血が出た。ツアーの世話をしていた日本人はグループが解散するのではないかと震え上がった。ハラキリでもはじめそうなほどおびえていたという・・・

・72年に以前グラントがマネージャーをしていたストーン・ザ・クロウズのギタリスト、レス・ハーヴィーが感電死した。少々のことでは参らないグラントが、これほどがっくりして泣いたのを今まで誰も見た事はなかった。

・フランスのナンテスでサウンド・チェックのためにホールに直行した。裏門がなかなか開かなくて、車のまわりにファンが集まっってきた。車を運転していたグラントは、まだ開ききってない門へ、バンパーをはがしながらベンツで突っ込んだ。

1973年5月31日のBONZOの誕生日パーティで、酔っ払ったボンゾが大暴れ。ジョージや夫人のパティを皮切りに次々と参加者をプールに投げ込んだ。そこまで酔ったボンゾもグラントだけは避けたという。ジョージは「あんなに楽しいパーティは初めてだ」と言ったとか。

・映画「ファントム・オブ・パラダイス」にスワン・ソングという名のレコード会社が登場するという問題が起きた。その映画をグラントはチェックしていたが、ロックスターが感電死するシーンがあり、グラントはレス・ハーヴェイを思い出し泣き始めた。そして、その場面をカットするように頼んだ。

・ロサンゼルスで飲んでいる時、酔っ払いがジミーにむかって「てめえなんか、まともにギターも弾けねえくせによ。くそったれ。」ジミーが立ち上がったが、グラントは制止した。グラントは酔っ払いを外に引きずり出すと殴る蹴るの暴行を加えた。そこにグラントにサインを求める人があらわれ、彼はあっさり制裁をやめた。

・ノースキャロライナの公演終了後、車はわずかの差で会場からの脱出に失敗した。何百人もの若者に押しかけられ、リムジンは立ち往生した。キャデラックのフロントガラスにはひびが入り、頭上がへこみはじめた。窓には押しつぶされた群集の顔と頭がへばりついた。グラントは運転手を放り出して叫んだ。
「俺が運転する!」
グラントは前で立ち往生しているパトカーにぶつけ始め、無理やり脱出させた。

・野外会場のフェスティバルで演奏中、グラントはブート業者が録音しているのを発見した。会場の警備用の斧を取り出すと、業者に襲いかかり、録音器材を粉々に壊した。

・イタリアのライヴで警官が乱入。ライヴがめちゃくちゃになったことがあった。その時のプロモーターはグラントが自分に対して腹を立ててると思い込んでいた。偶然ばったりと両者が会った時、プロモーターは恐怖のあまりへたりこんでチビってしまった。グラントは警察には怒っていたがプロモーターは恨んでなかったので、それを見て「?」だった。


シンコーミュージック 「LED ZEPPELIN」より

 

アールズ・コートにて
「・・・グラントにスポットライトを!ステージの左かたにいるピーター・グラントにスポット・ライトをお願いします。彼はすべてを可能にしてくれた人なんだ。彼はグループ写真に入るのを嫌い、僕らとサッカーもやらないけど、なんてマネージャーであったか・・・彼はまさしくグループの一員なんだ」ロバート・プラント

 

実際にピーターグラントにあった時の思い出を書いた「Rusty Led 」のTOSHIさんのレポート、「ピーター・グラントとの遭遇」も合わせてご覧下さい。

 


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