そうこうしているうちにもう一月である。私は最後のVもぎを受けに、会場校へと進んだ。ここまでD→D→Cときている。次は絶対B以上をとるぞという気持ちで望んだし、それなりの自信を持っていた。私は一緒に来た星也の近くに座り、試験が始まるまでおしゃべりしていた。
 そして試験が始まった。私は三教科(国語・数学・英語)にはそれなりの自信があり、この時の試験も(楽勝だよーん)と思いながらシャーペンを滑らせていった。苦手であった理科・社会もスラスラできるようになり、(ついに俺も覚醒したか。まぁ本気を出せばこんなもんだよ)などと考えながら、問題用紙の裏に携帯を買った時のためのアドレスの候補を箇条書きにしたりしていた。
 試験が終わり、抜群の手応えで満足していた私は、高校生活の様子を頭の中で順風満帆に描いていた。(確かに俺の内申は4つも足りないけど、面接の印象がよければオッケーなわけだし。生徒会やってたし。万が一落ちたとしても今の調子なら大丈夫だ。受かる) 前向きなのはいいが、このころの私は多少世間知らずだったようだ。
 何日かして、Vもぎの結果が帰ってきた。待ってましたと言わんばかりに封を開けた。ひょっとしたらA判定なんてのもあり得るかもしれない。

 
「 E 」

・・・・え?あれ、目がおかしくなっちゃったかな?もう一回見てみよう。


「E」


目の錯覚ではなかった。喜ばしいところは、奥田民生のアルバム名と同じということぐらいだ。というか全然喜ばしくない。E判定というのは合格率20%である。五回受けて一回受かるという割合である。推薦とかそんなレベルじゃない。これでは受ける資格がない。改めて返された答案を確かめてみると、悲惨なものであった。あの時の自信はどこへやらである。 親に「Vもぎどうだった?」と聞かれても、「んー、まだ来てないみたい」とあり得ない嘘をつき続けた。

その日から私は狂ったように勉強した。全国の公立高校の過去問を五教科全て買い占め、ひたすらやり続けた。この時から2月26日の一般入試しか頭になかった私であったが、担任のおかげでいやでも推薦は受けなくてはいけない。なので面接で聞かれそうなことについての答えを予め準備して、ハキハキしゃべる練習をした。学校では面接練習などが始まり、いよいよなんだという雰囲気が学校全体に流れ出していた。
                               9へ続く

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