Willie James Foster(1921 - 2001)

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ウイリー フォスターは1921年9月19日にミシシッピ州リ−ランド市6km東部で生まれ綿畑農場で働き、17歳でデトロイトの自動車工場で働くべく故郷を離れる。第二次大戦中はヨーロッパ戦線に参加。
ウイリーはマディーをミシシッピのジュークで聞いてはいたが実際に会って話をしたのは後日シカゴでの事。
ミシシッピには父親の面倒を見る為に1963年に戻り、グリーンビル、インディアノーラ、ホリ− リッジ等のジュークにて演奏をする。
グリーンビルでは『ブルースのゴッドファーザー』と呼ばれ、本人は『わしはつま先から頭のてっぺんまでブルースだ!ブルースに生まれ、ブルースと共に成長し、生活している。』と言っていた。2001年5月20日に79歳で逝去。

私はグリーンビルのほぼ白人専用ライブハウスにて友人の誕生日パーティーに呼ばれて行った店で彼のバンドを聞き、友人の誕生日パーティーでお客として飛び入りさせてもらい共演させてもらった。
当時(92年)既に68歳の彼に参加の前にインスタントの試験をさせられた。
彼が吹くハープの音(キー)を当てろと言われ彼がハープの単音を吹く3つテストで100点舞満点で早速参加!!
(ネクタイ姿はその為です。)
持病の糖尿病の為、視力は悪く暗い店の中ではほとんど見えないようでした。

1993年6月3日に彼のパーティーがあるので楽器を持って遊びにおいでと誘われダウンタウンの麻薬や殺人で有名(?)なネルソンストリートのGENTLEMEN'S CLUBに家内と出かける。
ところが行ってみると翌日BBキングのホームカミングを兼ねて日本からブルースツアー客が20人程店におり、彼等もギャラをもらって演奏するので今晩は参加は見合わせてくれと言われた。
その夜はギャラのせいかいつもより熱のこもった演奏を聞かせてくれた。
その晩の演奏全4曲をジュークの雰囲気をお聞き下さい。

彼がこの晩の借りではないがその後直ぐに自分をTYRONE DAVISのバックバンドでベースを弾く話を持って来た。
お前なら出来ると言われたが小さい子供と家内を置いてツアーに出る事も不可能。
ちなみに当時渡米の際のビザは芸能人と同じクラスの『F1』持っていましたので此の仕事は出来た訳ですが、泣く泣く諦めました!!

彼の音源としてはCDは2枚購入可能です。

At Home with the Blues

Live at Airport Grocery [LIVE] Label: Mempho Records

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