恋のチャンスと彼の匂い



 時計が日付を変えた頃、それは突然やってきた。


 「ーおれーおれー!あーけーてー!」

 シャワーに入ろう、そう思って新しいバスタオルをクローゼットから出しTシャツを脱ぎかけたとき、外から大きな声が聞こえた。一瞬ドキりとしたものの、すぐに声の持ち主に気付き、慌ててドアを静かに開ける。

 「か!薫!どうしたの!」
 「んとねー酔っちゃってーあのねーとりあえずーとーめーてー!」

 薫は赤い顔をして、ようやく立っているのがやっとのように見える。見るからに上機嫌の彼は、深夜にも関わらず言いたい事を言い終えると、ケタケタ笑い出す始末だった。



 薫とは、先輩の紹介で知り合った。
 先輩が、高校が同じだったとかで、薫達のライブに招待券で連れて行ってくれたのが始まり。確か…あのとき海外にレコーディングしに行くとか言ってたかな。まるで小さな男の子のように、はにかみながら私に会釈をしてくれた事、今でも鮮明に覚えてる。

 「もう歩けないー連れてってー…」

 不意に何年も思い出すことのなかった薫との出会いが頭をよぎると、それを知ってか知らずか彼はそう小さく呟き、ドアを開けた途端傾れ落ちるように玄関に座り込んだ。

 薫に一応は大丈夫?なんて聞いてはみたものの、勿論返事は無い。きっと誰かと呑んで、酔ってしまって家に帰れそうにないから、ここに来たに違いない。前にも一度だけ、こういう事があった。

 「かおるー。水…飲む?」

 何とか薫の腕を引きずり自分のベッドへ寝かす。案の定薫はすでに夢の中に旅立っていて、やっぱり二度目の問いにも返事はなかった。わかってはいたけれども。

 「…いい加減にしてよねぇ…」

 苦しそうに横たわる彼の赤くなった頬を、一突きする。こんな顔、ファンの子が見たらどうすんだろ…。とてもテレビで披露できるような顔ではない。だけど、内心30過ぎた大の男が、こんなに可愛い顔して寝るんだ…なんて思ってしまう。



 自分でもよくわからないときがあった。
 勿論彼と知り合ってからだって、何人かの男と付き合ってはきた。それでも、いつもどこかしら気持ちだけは宙を浮いて、相手に申し訳ないななんて気持ちを抱えながら、会うのが常だった。そして、時々考える。私は、何故好きだと言ってくれた人の事を好きになれないんだろう。付き合っていけば、そのうち好きになれるかもしれない。相手の些細な仕草だって、愛しく思えるかもしれない。そう思ったのに、「お前、他に好きなやついんじゃねーの?」必ず別れ際には相手にそう言われるのがオチとなっていた。

 じゃ、私は誰の事を好きなんだろう?
 そんな事を考え始めると、必ずと言っていいほど薫の顔が目の前を掠める。はにかんだ笑顔、唄っている時の穏やかな顔、考え事をしている時の顔。いろんなバリエーションに富んだ彼の顔が順番に頭の中を、まるで観覧車のように永遠とグルグルと回り続ける。

 もしかして薫の事が好きなのかも。
 だけど、決定的なモノがない。それが結局考えた挙句に出てくる答え。
 
 人を好きになるのに、理由や私が言う「決定的なモノ」は必要ないかもしれない。だけど、今の私にはそれが必要であるのは間違いない。一つでも相手に対して「愛しい」と思えるものがなければ、いつまでたっても同じタイプの恋愛を繰り返してしまう。私はそういう人間だから。











 「ん…まぶし……」

 窓から差し込む朝日の眩しさに気付き、うっすらと私は目を開けた。
 遠いところで薫の声が聞こえる。その声に、冷たい水を掛けられたように目が覚める。朝日が差し込む部屋の片隅に薫がいて、私達は朝の挨拶を交えた。そして、夕べは薫を寝せたはずの自分のベッドの上で私がいる事に気付く。

 「起きてたんだ。薫が…ベッドにうつしてくれたの…?」
 「うん。」
 「ありがとう……」
 「あっ。冷蔵庫の中にあるもの使っていい?朝飯食うでしょ?」
 「ん?うん。」
 「にしてもさー、だめだよー友達とは言え男を簡単に泊めるなんて。」

 初めて会ったときと同じ、あのはにかんだ笑顔で薫が振り向く。

 「…だって外で寝かせるわけにもいかないでしょ?」

 何だか妙に気恥ずかしくなった。そして、顔の赤さを隠すようにベッドに顔を埋める。
 そこには…薫の匂い…。



 「…んあぁ……何してんだろ…あたし…。」

 「ん?何か言った?」
 「な、なんでもない。」

 ベッドに残された薫の匂いに妙な胸の高鳴りを覚えて、つぶやく。
 だけど、そんな事は口が裂けたって振り向いた彼に言えるわけはなかった。

 「なんか変な匂いでもする?昨日だいぶ呑んだからなぁ…。」

 再び枕に顔を埋め、自分の鼓動を抑えようとする。
 そして不意に聞こえた彼の声。
 視線を上げると、そこにはベッドの脇に腰掛ける薫がいた。

 「いや…あのっ…」

 朝の光を浴びた薫の目は穏やかに私の次の言葉を待っている。
 驚いて私はしどろもどろ。
 抑えようとした鼓動が、さらに高鳴った。
 




 「…薫の匂い……いい匂いだなって…なんかね…」

 これ以上はやっぱり言えないよ。 

 「じゃ、こうしてあげようか?」

 不意に暖かい感触が私を包む。
 腕をつかまれ、思い切り抱きしめられる。

 「か…薫?!」
 「ん?」

 抱きしめられ耳元で聞こえる彼の声はいたって冷静だった。

 「あの…この体勢はなんでしょう…?」
 「何で敬語なの?まぁいいや。人の温もりと香りって癒し効果があるんだって。だから。」
 「はぁ…は?」
 「、なんか嫌な事でもあったんじゃないの?何か今日は変だよ。」

 それはあなたがこういう事をするからなんですけど…。


















 「ま、俺はの事好きだから、こういう事ができて嬉しいけどね。」








 朝の光が部屋を満たし、薫の匂いが私の中を少しずつ満たしていく。

 そして薫の言葉に恋の神様が私に本当の恋をするチャンスをくれた気がした。 
END

■あとがきと言う名の言い訳
・キリ番4000hit もみじさんより キーワード:「自覚」「匂い」
もうーもうーごめんなさい。ただ謝るだけしかできませんー。