ねえ、ゲームをしよう。

 燃えるようなゲームを。

 溶けてしまうようなゲームを。

 たった一度きりのゲームを。



 君の唇をかけて。



ポーカーフェイス  -KING&QUEEN-



 『恋なんて、何年してないかね?』

 『そんなの数えるのも、ばからしい。』

 最近の口癖。ご近所の、奥さんとの会話。




 「!このスーツ洗濯出しといてくれよ。」

 旦那の呼びかけに、返事の変わりに頷く私。こんな状況で、恋なんて出来るわけがないじゃない。





 今度さぁ、頼みたい仕事があるんだよね。

 私が勤めるWEB関連の仕事をしている会社での、ある日の午後。上司に呼ばれ、応接室で話を切り出された。どうやら、大きなWEB サイトの制作の仕事が舞い込んだらしい。そこそこ、その筋では名の知れた会社だから、大きな仕事の依頼も珍しくはない。
男5人に、女4人。



 その前日に、私は大手有名電化メーカーのWEB制作を終えたのだった。
 そこで、ようやく手の空いた私に、また次の仕事が目の前に積まれた。

 「どんなところですか?打ち合わせとかは?」
 「いや、それがね、芸能事務所なんだよね。」
 「へえ。だったらレーベルメーカーが作ればいいのに。」
 「いや、それとは別のオフィシャルサイトみたいなんだ。」
 「そうですか。」
 
 別に気にもせず、私は大理石で出来たテーブルの上にある、コーヒーを口に含んだ。

 「やってくれるよね?」
 「まぁ。」
 「打ち合わせは、その事務所でだって。」
 「で、その事務所にいる芸能人って誰なんですか?」
 「ん?あぁ、それね。ゴスペラーズだって。」
 「ああ、アカペラ唄ってる。」
 「そうそう。明日、14時にね、その事務所行って。」
 「はい。」

 そう言うと上司は、色々と書類の入った分厚い茶封筒を私に放り投げた。







 ---済みません、今日お伺いする予定になっていた…---
 青山にある事務所の、薄くて真っ白なドアを私は押して、時間通りに尋ねた。事務の女性には話が通っていたようで、すんなり会議室のようなところに案内された。

 数分遅れて入ってきた、背の高い、40代位の男性が入ってきた。

 『どうも』

 と彼が名刺を渡してくれた。そこには、〜代表取締〜と、遠慮がちに書かれていた肩書きが目に入る。




 「と、言う訳で、とりあえずお願いします。」
 「わかりました。」

 一時間前の顔とは違い、とても親しみやすい人だった。最近事務的に仕事をこなすことが増えた中、少しだけ余裕を持てる気がした。




 ----今、打ち合わせ中ですよぉ!----

 ドアを隔てた向こう側で、さっきの受付の女性の声がした。誰かに言ってる。

 「じゃ、僕次の仕事もあるので、このへんで失礼します。」

 ギャランティーの事や、使用画像の写真等は事務の者から受け取ってください。そう言って、また彼はにこやかに去って行った。






 『社長さぁ、式を挙げる日って、いつなら大丈夫かな?』
 『…黒沢はいつがいいわけ?』
 『来月7月。』
 『まった、唐突な。もっと、そういうことは早めに言いなさい。』
 『…はい。』

 少し、ぼやけたような、ちょっと高めで、ノンビリした声が聞える。もう一人は、さっきまで打ち合わせをしていた社長の声。


 受け取るものも受け取り、会議室を出たとき、そこに男性が二人いた。

 「あ!何だ来客中なら言ってよ。」
 「言ったよ。」

 事務の女性も、社長も苦笑いして私の顔を見た。



 あ、この人に新しいWEBサイトの制作頼んだんだよ。さん。


 と、黒沢と呼ばれる人に社長が話した。しばしの立ち話。




 「すみません、結婚するんでねぇ〜。」

 と、聞いてもいないノロケ話をされる。




 小柄で、逞しい顔つきに、厚い胸。ふいに唄う鼻歌は、とてもセクシーで、とても悩ましい声。




 何年も味わっていなかった、胸の奥を誰かに鷲掴みにされた感覚。




 「それは、おめでとうございます。」
 「さんも、ご結婚されてるんですか?」
 「そうです。」
 「結婚生活って最初だけなんですかね?楽しいのは。」
 「…そうですね。…でも夫婦の在りかたにもよるから…。」

 へぇ。と小さく呟き、彼は興味深そうに私の顔を見た。彼には、今結婚の二文字以外頭にないらしい。



 結婚なんて、所詮紙切れで作られた法律。紙切れの上で、ススッとペンを走らせ、見事夫婦。最初は、互いの知らなかった所を垣間見て新鮮な気持ちにもなれたけど所詮別れる事の出来ない腐れ縁のようなもの。でも、経済的なことを考えれば、別れられるわけもなく。








 ぼんやり、そんな事を考えていると、彼が言った。

 『さん、結婚に夢も何も期待してない顔してる』










 次の日、何となく昨日の彼の一言が頭の中でリフレインしながら、私は旦那と学生の頃によく来た、ジャズバーのカウンターに座っていた。たまには、外でデートでもしようと。たわいもない話。たわいもない笑顔。苦痛ではないけれども、やっぱり昔のようにドキドキしてみたい、そんな願望は結婚してからずっと持っていた。






 ----いらっしゃい-----

 カウンターの中から、白髪混じりのマスターが入り口のドアに視線を投げた。

 かわいらしい、でも綺麗と言う言葉にもピッタリなスラっとした女性。その後ろに、ブルーグレーのスーツで身を固めた小柄な男性。




 そして、すぐに私は昨日会った黒沢と、結婚相手だと気付いた。

















 店に彼女を、さりげなくエスコートしながら入ってきた彼は。カウンターにいる私達の背中越しにある、テーブル席に座った。

 「?あの男知り合いなの?」

 旦那が黒沢を眼で追う私を不思議に思って問い掛ける。

 「いいえ。」


 何となく胸の奥に芽生える苦しい想いが、私を動揺させる。

 振り向いてみたい。

 何で、こんなに苦しいの?





 「…楽しそうですね。」

 旦那が、外へタバコを買いに行った。カウンターには私だけ。その旦那が座ってた席に男が座った。声がする右へ顔を向ける。

 そこには、黒沢。



 「どうも。」




 「さっき、店に入ったときさんにすぐ気付きましたよ。」
 「あ、そうですか。」
 「…さんも気付いてたんでしょう?」


 黒沢は私達に気付いていた。
 私も。
 だけど、答えてしまったら何かが崩れそうで。



 「何だかんだ言って、楽しそうじゃないですか、旦那さんと。」
 「そう見えたなら、そうなんでしょうね。黒沢さん彼女は?」
 「あ、仕事の電話、外でしてるんで。」


 店の中には、私と彼だけ。





 サングラス越しに見える、昨日とは違う鋭い視線に、高鳴る鼓動。綺麗な指先に光る、ゴールドとプラチナのリング。きっと、黒沢と彼女の愛の証。



 「結婚目前って男でもマリッジブルーってなるもんなんですかね?」

 ウォッカをライムで割ったものをマスターに頼みながら呟く。

 「さぁ。聞いたこともないですね、そんな話。」

 「今更になって、もう少し、色んな人と接していたいというか。」

 「やりたい事って?」

 「あいつ以外の女性とも駆け引きを楽しんでいたいって言うかね。」

 温厚な声からは、想像もしない言葉。

 「いいんじゃないですか?それはそれで。」

 高鳴る鼓動を隠しながら答える私。旦那が戻ってこないか気になって覗く腕時計。でも、まだ2分も経っていなかった。


 「じゃあ、そうしようかな。」


 彼の言葉の意味がわからなかった。それと同時に私は彼に腕をつかまれた。


 「く、黒沢さん?!何ですか?」

 「言ったじゃないですか、さんが。」

 気付けば、外にいて私達は、六本木へと向かった走り出した。

 「さ、さっきの…どういう事ですか…」

 息を切らして問い掛ける私。

 「『いいんじゃないですか』ってさんが言ったから。」

 麻布から六本木への長い通りを、今度はゆっくりと歩く。

 「言いましたけど…。」

 「さんも旦那さんとの関係に飽きた。僕は、結婚目前にマリッジブルー。」

 「それが?」

 「なら、お互い一夜限りの関係を持ったとしても明日には他人に戻れる。」

 「…。」

 「少なからずも僕に好意を持ってくれてるから、ついてきてくれたわけでしょ?」

 私の腕を掴んだまま、立ち尽くす彼と私。

 街灯が並ぶ歩道の横を通り過ぎていく車。



 若い頃のように、胸がドキドキしている。

 彼に全部見透かされていたこと。

 彼についてきたこと。

 旦那と、彼の彼女を裏切ってしまうこと。

 20代若かったころに、毎日味わっていた高揚感。



 眼の前には、名前しかしらない男の眼があって。

 私は捕らえられた獲物のように。

 動く事も出来ない。



 まして、もう戻りたくない。




 「んっ…」



 そっと彼に口付ける。

 気温が低くなる、この季節に。

 唇に感じる、一夜だけの暖かさ。


 ついこの前には、温厚で、彼女を愛していて。

 そう思っていた彼の眼が。

 今は、とても色っぽく見える。



 「今なら、旦那さんの元に戻れるよ…。」

 私が唇を離した瞬間、彼はそう告げた。

 「…戻りたくない。」



 明日には他人に戻るのに。

 彼の全てを知りたい。

 明日には他人に戻るのに。

 彼を独り占めしてみたい。




 華やかなネオンを放つ街で、私達は手を繋ぎ。

 今夜だけ、身体を重ねる。









 「…黒沢さん…」

 彼が私の背中を指で辿るたびに、漏れる声。

 「…今夜だけ、『黒沢さん』はやめよう…名前でいいから…」

 熱を帯びた瞳で呟く彼。

 「…薫…薫の全てが知りたい…」

 「僕も…の全てが知りたい…」





 「…の旦那は、こんな綺麗な背中に毎日触れられるんだね…」





 そう言って、薫は私の背中を数回指で往復する。

 そして、一秒きりの口づけで、私の時間は止まる。








 薫との一夜だけの関係から、二日後。

 私は、ゴスペラーズの事務所にいた。

 サイトのモチーフにして欲しい曲がある、そう言われて。




 そこには、薫の姿もあった。

 ゴスペラーズの一人として。




 「これ、この二曲をモチーフにサイトを作って欲しいんです。」

 社長から渡された曲。

 一曲目は、次のシングルになる曲でMDのラベルには『Get me on』と書かれていた。

 二曲目は、薫の作った曲。



 帰りの車の中で、MDを流す。


 薫の作った曲。




 二曲目のタイトル。

 そこには副題が書かれていた。


 あの晩の私と薫のように。







 『涼しい顔して、良く唄えたもんね…』





 車のエンジンの音と、薫の声が響く車内で。

 私は、あの日薫がつけた首筋に残る赤い痕を指で辿った。






 一夜だけの王様と女王の秘め事に。

END

■あとがきと言う名の言い訳
いまさら読み返すと、文章が稚拙すぎて恥ずかしいです。本当に、当時このリクを下さり、捧げさせて頂いた某さん、済みません。いまさら謝ります。