最低男と最上級の恋



 『あのときのには、正直参ったよ。』
 『だって…ほら、まだ高校生だったわけだし。若かったって事で。』
 『ったく…ま、今は落ち着いてくれて良かったよ。』
 『まるで全然落ち着いてなかったみたいな言い方。』
 『ほんとのことだろ?』
 『もぉ…』

 彼は私を言いくるめたと分かると、得意げな顔してソファから立ち上がった。
 彼は顔を洗い、私はキッチンでコーヒーを入れる。
 たとえ、それが彼の飲めないとわかってる飲み物でも。
 そして、次に彼のために野菜ジュースかジンジャーエールを冷蔵庫から取り出す。
 それが今の私にとっての日課。
 そんな日々が今はとても楽しくて、昔を思い出す暇なんてなかったんだけど。
 何故か、一年前の今ごろを、ついさっきまでベッドの中で夢として思い出していた。





 あの日、受験が良い結果に終って。
 久々に私はゴスペラーズのライブに行くために友達と待ち合わせをしていて。
 そう、確か池袋の大きい外資系の本屋だった。
 そこで、ある人に思い切りぶつかられた。
 それで頭に来て、そいつの顔を見て文句を言ってやろうとおもって睨みあげたら。
 そこには、今顔を洗っている彼がいて。
 それで、私が「彼」に気付くと彼は居心地悪そうに本屋を出た。
 そして私は追っかけた。


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 外に出ると、そこは無数の人が行き交う横断歩道で一生懸命彼を探そうと目を張った。外に出るまで、何で北山さんがあそこに居たのか。何で、あんな慌てて帰ろうとしたのか。色んな事、いっぱい考えた。でも、きっと時間にして、ものの1分ぐらいで。そんなところから、いかに自分がテンパってたかわかる。


 お目当ての人は、その横断歩道の真ん中あたりを歩いていた。

 「北山さん!!」

 丁度私が彼の名前を呼びながら、彼の元に追いついたとき信号が赤へと変わって。彼は、少し怖い顔をしながも、私の腕を引っ張って横断歩道を急いで渡った。


 「…何?」

 「あ…あの…」


 信号機が青へ変わるのを待つ人々が、少しずつ増え、その人込みの中に、私と彼が居る。夢かと思ったけど、それは夢じゃなくって。自分の高鳴る鼓動が、それを物語っていた。

 「ふぁ…ファンです…」

 「ありがとう…じゃ…」

 さっきと同じ言葉で、私の前から去ろうとした彼。

 「ちょっと待って下さい!」

 池袋の駅へ向かいかけた足が止まって、私のほうへ振り返った。それは、怪訝そうな顔した彼。

 「…悪いけど用件は手短にしてくれるかな…」

 「これ…今日行ったらスタッフの方に渡そうかと思ってて…」

 私は、さっきの衝撃でぐちゃぐちゃになった鞄の中から一通の手紙を取り出した。昨日、寝る間も惜しんで書いた彼への、所謂ファンレター。

 「ありがとう。それだけかな?」

 特別喜んでくれるわけでもない彼。でも、今の私には、その彼の表情すら分からないぐらい緊張している。

 「はい…今日頑張って下さい…行きますか…うわぁっ!!」

 気付けば信号は青に変わっていて、ついさっき私達が居た本屋から出てきた人波に私は、「邪魔」だと言わんばかりに押された。

 ?

 その瞬間、さっきまで早かった鼓動が、さらに早くなるのを自分でもよくわかった。押されて転びそうになった私を、北山さんが私の腕を掴んで、それを防いでくれていた。彼の腕の力が、私の腕に伝わってくる。

 「す、すみません!」

 するりと私は彼の腕から逃げ、押された衝動で、飛び出てしまった鞄の中身を拾い上げながら言うのが、精一杯。そうすることで、あまりの驚きと恥ずかしさを隠したかった。早く北山さんには、ここから居なくなって欲しい。そう思ったけど、目の前に見える足元が動かない。





 「ねえ…それ今日使うの?」

 私が、あるものを掴んで拾い上げようとしたとき彼の声が聞えた。

 「え?」

 「…やめてくれないか。」

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 確かに陽一は、私に冷たい目でそう言い放った。
 今でも、そのときの事を話すと陽一は眉間に皺を寄せる。

 あのとき私が拾い上げたものは、ペンライトだった。


 『あのね…ライブって言うのは聴く側にもマナーがあるんだよ。』

 そう必ず陽一は言う。
 確かに今思えばゴスペラーズのライブにペンライトってどうかと思ったりもする。
 ぬいぐるみを持っているファンの人達を見るだけでも、「ある意味」驚いたり。

 『ペンライトは別にして、ぬいぐるみは持ってきても構わない。』

 私は正直、嫌だなと思うけど陽一は、そこはそう思ってないみたい。
 でも、それは陽一なりに理論があった。

 『けどライブ中、突然それを振りかざしてごらん?』
 『後ろの人が見えないかも…何て思ったら簡単に振りかざすなんてできないだろ?』

 けどね、陽一、それはごもっともだけど。
 なかには、それすら気付かない人もいるんだよ?
 そう私が言うと、困った顔して〜それは人として問題があるな〜と言う。
 その顔が、ちょっと楽しい。


 ペンライトは、どうにも気が散るし、演出上必要のないものらしい。
 あと、もう一つ理由があるみたいで。

 『郷に入れば郷に従えって言葉があるだろ?そういうことだよ。』

 ようは、ライブ全体の雰囲気をもっと感じて欲しいみたい。
 その雰囲気ってのは、陽一達とファンの人達が作りあげるもので。
 その場にペンライトが必要か必要じゃないかを感じ取って欲しいって事。
 それは声援も同じ事が言えると。
 音圧の問題だとか細かい事は、ステージに立つ人間じゃないと分からない。
 そんな事はわかってるけど、せめてアカペラを聴きたいなら
 守ってほしい事があると、彼はそのあとも続けた。

 昔、確かにゴスペラーズが売れてライブの動員数が今まで以上になったとき。
 新旧のファンの人たちで、よくもめたって話を聞いていた。
 けど、やっぱり何もわかならい新しい私のようなファンにとっては。
 何がいけなくて、何がいいのかもわからない事だってある。
 それを言うと陽一は、優しく微笑み、こう言う。

 『だから、初めてのライブは、見るより、聴くより、感じ取って欲しいんだ。』

 何だか理屈派のわりには、感性的な事を言う陽一が可笑しかった。


 色んなことに思いを馳せているあいだにコーヒーの香りが部屋を包んだ。
 今は、あの事があったから陽一と出逢えた、そう思えるから。
 だから、あのときの陽一の冷たい言葉も気にはならない。

 そして私は、顔をごしごしとタオルで拭きながら戻ってくる陽一にマグカップを渡した。
 今日は、野菜ジュースで。



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 『あ…あのときの…』

 「…」


 あのペンライトを握り締めてゴスペラーズの曲を聴いた日。
 無性に頭に来て、2時間半座ったままだったのを覚えてる。2階の一番前の席。それは、ステージにいる彼らがどうとか、そういうの抜きに、目立ってはいた。それは充分感じていた。

 あれから数日後、同じ本屋で彼とまた出くわした。そのときに、初めて人の顔を見た途端に血が頭まで巡りかける感覚を覚えた。同じ本屋の同じコーナー。

 「また北山さんに嫌な気持ちになられても困るんで、私は帰りますから」

 〜ごゆっくりとどうぞ〜そう言おうと思った。また、あんなひどい言葉をかけられるぐらいなら、さっさと帰ったほうがいいし。何より、私がまだ頭にきている。

 「ちょ…まって…」

 そそくさと外に出た私を、今度は彼が追いかけてきた。あの日と同じ横断歩道。同じ場所。彼の声は聞えてはいたけれど、無視して先を歩く。数メートル先に見える地下鉄の入り口に入り込んでしまえば、彼も追ってこないだろう。そう思って歩き続けた矢先。

 「!?」

 グイッと、北山さんに腕の掴まれた。

 「なんですか?私、また何かしましたか?用件は手短にお願いします。」

 あの時彼に言われた言葉を、わざと彼に返す。そして見上げた彼の顔は、少し寂しそうな表情だった。

 「こ…この前、2階にいたよね?」

 ちょっと息を切らした北山さんは、あの日の私の居場所を気づいていた。

 「…」

 「ずっと座ってたから…もしかして気にしてるんじゃないかと思って…」

 この言葉。もの凄く暢気に聞えるのは私だけ?

 「…」

 「ごめん。」

 そう言ってようやく腕を解放してくれた。

 「ああ言われたら、いくら好きな歌手の人でも、いっぺんに嫌いになりますよ。」

 怒りを込めて低く低く私は言った。

 「だよね。ごめん。」

 さっきと同じ、寂しそうな顔をして彼は私の顔を見つめた。

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 あれから、彼はお詫びにと言って食事に連れていってくれた。
 そして今に至る。
 それは、ごく自然な流れだった。
 初めて好きになったアーティストが、初めての恋人で。それが陽一だった。


 『…?』

 野菜ジュースを喉に通した陽一が、私の横に立って不思議そうに覗き込む。

 「あ…ちょっと思い出してたの。」
 「何を?」
 「陽一と食事に行ったときの事。」
 「あぁ…」

 気にもするわけでなく、私の考え事がわかると陽一はまたカップに目を戻す。
 あのとき、正直陽一は、最低だと思った。
 けど陽一の「お詫び」が凄く嬉しかったのも事実。

 「あのときの陽一は最低だったな〜と思って。」
 「何だよ…悪かったと思ってるよ。」

 ばつが悪そうな陽一は、クシャっと私の頭を撫でてソファに戻った。
 この背中に触れられるのは私だけなんだ…。
 彼の背中を見つめながら、そっと呟く。
 それは彼女としての特権で。



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 あれから北山さんは、幾度となく食事に連れていってくれた。それは、あの初めて食事をした日。気付いたら、怒りなんてどこふく風。楽しくて楽しくて、笑いっぱなしの私を見て彼が言った言葉。

 「ライブでも、こんな風に笑ってほしかったな。」

 その言葉が私のココロをぎゅっと掴んで離さなかったから、帰り際に勇気を振り絞って聞いてみた。

 「また、ご飯食べに連れてってくれますか?」

 ふわっと包み込むような彼の笑顔がこう言った。

 〜いいよ〜

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 「あのときのさぁ…俺の事好きだったでしょ?」
 「うん。多分ね。」

 ソファに戻ると、じっと私の目を見つめて陽一が照れたように聞き返す。
 そう。きっと、あの本屋で初めて逢った日から私はあなたが好きだった。
 ううん、違う。もっと前から。

 「こんな意地っ張りだと思わなかったな、が。」
 「何それ。」
 「だって、食事行っても最初は笑いも話もせずだったでしょ?」
 「あぁ…だってあれは…」

 陽一が悪いんだよ。
 そう言い掛けると同時に、唇を塞がれた。
 大好きな彼の温もりが唇から伝わって。
 それは涙を誘うような嬉しさ。


 何があっても陽一のそばに居たい。


 「陽一?」
 「ん?」

 唇をそっと互いに互いのタイミングで離すと彼は優しい眼をしている。

 「この前ね、村上さんに会ったとき、あいつは最低だからさ、って言ったんだけど…」

 最近陽一は、ケンカのたびに「陽一最低!」と私がヒステリックになると
 必要以上に激しく落ち込んでる。
 そして仲直りしても、私に「最低」と言われた事を根に持ってる。
 その理由は私にもわからなくて。
 この前のライブに楽屋へ呼んでもらったとき、村上さんに聞いていた。
 けど、その村上さんの言葉もよく意味がわからなくて。

 「あぁ…」

 「どういう事?」

 「それは…」

 聞けば、昔ライブでベースを担う陽一に「最低音」からとった「最低」と言う言葉を
 ファンの人が連呼したらしい。
 あまりにも連呼されるもんだから、それに陽一は、相当へこんで相当怒ったみたい。
 だから、私が言うと、あのときの事を思い出すんだって。

 「なんだ。そういう事か。」
 「なんだってなんだよ。俺にすれば、けっこうショックなんだよ?」
 「ごめん。」

 変な勘ぐりをいれたわけじゃないけど、たいしたことのない理由に安心する。
 大好きな人にあんな顔されちゃ、こっちもたまったもんじゃない。
 じゃケンカしなければいい、って問題でもなくて。
 やっぱり育った環境が違えば、価値観も違う。
 それは時々ケンカの種になる。

 「に言われると、なおさらショックなんだけど。」

 マグカップをテーブルの上に置き彼が私の顔を覗き込む。

 「ごめんね。」

 そして私は、そんな彼が心底愛しくなって頬に軽くキスをした。





 朝日が差し込むこの部屋で。
 彼を待つ。
 それはごく自然な事で。
 今の私になくてはならない毎日。






 「…その笑顔だけは…変わらないでほしいな…」

 キスをされて、ちょっと機嫌が戻った彼は私を力強く抱きしめてくれる。




 ねぇ、陽一…もっと抱きしめて。
 ずっと抱きしめていて。
END

■あとがきと言う名の言い訳
リクエストで書き直した割には、訳のわかならい文章ですが。ライブマナーと恋愛って書くの難しいのね。むつかしい。2004/03/03 書き直し