酷民の歴史

■2001年結成〜現在に至るまでの歴史。現在から順に掲載中。■
3月 ■辻川というドラマーを語る上で欠かせない、テリーボジオモデルの黒いチャイナが
 ついに金属疲労の為割れてしまう!!
2月 ■こうじ、風呂場で転倒の末、気絶する。
 皆さんも寝不足と栄養不足には注意しましょう(泣)。
2月 ■酷民に新ギタリスト、大重忠司(16才♂)が加入。
2月 ■天神ビブレホールにて3度目のライブ。
 ヘルプに古庄さんを迎えて、3ピースでライブを行う。
 結果は…やめときゃ良かった…(泣)。
 でも楽しかったから結果オーライで。
2003年1月 ■村嶋、初日の出を見に家族と共にバスツアーに出掛ける。
 生まれて始めて見た初日の出に大いに感動し、今年1年酷民として燃え尽きることを誓う。
 その後バスに酔い、ゲロを吐きそうになりつつ牛乳などを飲む。
11月 ■花石、古庄、共に脱退。
 辻川と村嶋、新メンバーを探しつつ作曲期間へ突入。
10月 ■ライブハウス「BIGHIT」にて酷民2度目のライブ決行!!
 対バンはdalhia、GAZE。
 酷民、某イベントのテープ審査に落ちた割には意外と好評。
9月 ■酷民、某イベントのテープ審査であえなく落選。
 くそう、予選くらい出させてくれてもいいやんか…(泣)。
8月 ■某イベントに参加すべくデモテープを郵送。
7月 ■IN-K、盛塩の2曲のレコーディング開始。
 スタジオ「Deja-Vu」に機材を運び込んでのRECをやる。
5月 ■元XJAPANの故hideを追悼するライブイベント(第2回)を企画するが、参加予定バンドの不参加により中止。
 っていうか、参加予定バンドのリーダーが謎の失踪を遂げ、現在もなお捜索中。
 噂では熊本にいるらしいのだが、詳細は不明。
 いつか博多に帰って来いよ、マジで…;
3月 ■村嶋、ついにMTR購入。
 16トラックのデジタル録音でプロ顔負けのサウンドメイク可能!!
 でも作る人がど素人なので宝の持ち腐れと化す(泣)。
 価格は合計で13万円、月1万の13回払い(泣)。
2002年2月 ■福岡市中央区親不孝通りにあるクラブ「キースフラッグ」に出演。
 DJとバンドサウンドとのコンピレーションを果たす。
 酷民としてのライブはこれが始めてで、事実上酷民のインディーズデビューとなる。
12月 ■古庄さんの自宅で皆仲良く鍋を食う。
 村嶋、酔い潰れて爆睡。
 辻川、新鮮なカツオをさばいて刺身を作り、黙々と食らう。
 花石、何故かバイオハザードとプレステを持参で黙々とプレイ。
 古庄、「ん〜〜〜」とうなる。
7月 ■辻川の提案で、酷民が結成される。
 Bassに古庄、Guに花石を迎え、4人での作曲活動に突入。
6月 ■イベント終了に伴い、血貼解散。
 しかしこの時出会ったメンバーが、後の酷民となる…。
5月 ■血貼主催のイベント「hide追悼ライブ」をライブハウス「BIGHIT」にて開催。
 各地から元XJAPANの故hide氏の追悼の為にあらゆるバンドが参加。
 この頃血貼のメンバーは村嶋(Gu&Vo)、辻川(Drum)、古庄(Bass)、たださん(Gu)、のぶちゃん(Vo、♀)の5人。
2001年1月 ■酷民の原型とも言えるバンド、「血貼」(ちはる)結成。
 スタジオにてセッションを楽しむだけのバンドであった。
 メンバーは村嶋、辻川、ギターのたださん。




TOPに戻る