「わが家のももたろう」





 わが子の幼稚園での様子を、個人面談で初めて聞いたときはショックでした。
「この子は自己表現ができなくて、いつもおどおどしています。友達もひとりもいないし、クラスでいじめられています。もちろんその現場を見つけた時は怒るんですが、今度は私の目の届かないところでいじめられているのです。ひろくん自身が強くなってくれないと、小学校に入ってもいじめは続きますよ」
 そういえば最近元気がなく、笑顔もずいぶん見ていないような気がしました。
 その次の日から、彼はもう幼稚園に行かないと泣きながら訴えるようになりました。今までこらえてきた気持ちが、親の私にばれたことで一気にあふれてしまったのでしょう。休ませるべきか迷いましたが、結局、そんなことで負けてどうするの、と半ば強引にバスに乗せました。
 バスの中で不安そうにしているわが子が哀れでした。そしてその反面、やられっぱなしのわが子が腹立たしくもありました。
 その頃の私の子育ては厳しいものでした。あれこれと口やかましく、子どもが反抗すれば、力で押さえつけるというやり方でした。その結果、子どもはおとなしく聞き分けのある、いい子になりましたが、私はその落とし穴にまったく気づかなかったのです。
 いじめは全然おさまりませんでした。家に帰っても、近所の同じクラスの子にいじめられていました。私も子どもも追いつめられ、子どもはますます自分のカラに閉じこもり、私はもっと強くなれ、泣くんじゃない、と叱咤激励し突き放すようになりました。
 そのうち自分の子育てに自信をなくし、今までの子どもを管理し、支配してきたやり方に疑問を持ち始めました。けれども、その頃の私には、何をどうしたらいいのかさえわかりませんでした。
 そんなある夜、子どもが「ママ、本を読んでくれる?」と『ももたろう』の本を持ってきました。ずいぶん前に買ってあげた、何度も読んであげてよれよれになった本。そういえば、このごろ本を読んであげたこともありませんでした。いつもの私なら「早く寝なさい」と高飛車な態度をとっていたことでしょう。けれどもその日は黙って読んであげました。
 「ひろくんのクラス、今度『ももたろう』の劇をするんだ。本当はぼく、ももたろうになりたかったけど、村の子どもたちになったの。上手にできなくてもお願いだから、ママ怒らないでね。」
 言いたいことを言ってすっきりしたのか、間もなく眠ってしまったわが子を見ながら、どうして怒らないでね、と念を押すのだろう?一生懸命やってくれたら、上手だろうと下手だろうと、怒ったりしないのに。この子はそんなにいつも私の顔色をうかがっていたのかと思うと、悲しくなりました。
 そういえば私は、この子の欠点ばかりを責めて、ほめることを忘れていました。そんな私に育てられたこの子は、いつもどこか身構えている子になっていました。子どもの笑顔を奪い、苦しめていたのは、他でもない愚かな私自身だったのです。  ごめんね、ひろくん。ママは君をいい子にすることばかりにとらわれて、心を置き忘れていたよ。今のママが君にしてあげられることは、君のすべてをありのまま受け止めることだけ。こんなママを君は許してくれるだろうか?子どもの寝顔を見ながら、心の中でそうつぶやくと、涙で潤んできました。
 翌日、やっぱりぐずぐず言うわが子に「行きたくなければ休んでいいのよ、よく今まで我慢したね。今度からいやなことをされたら、やり返さなくていいから、やめて!と言おうね。言いたいことがあればどんどん言っていいのよ。」と言うと、意外にも「ぼく、やっぱりいくよ。だってももたろうの練習があるもん」という答えが返ってきました。「そうか、ひろくんはえらいな」とほめると、にっこりと本当に嬉しそうに得意げに笑ってくれました。
 その日から、わが子はだんだん変わってきました。卒園まぎわの彼の作文です。


『ようちえん』

 ぼくはともだちがいないけどたのしいです。かえでぐみではきょうへいやおおぼしがいるのであんまりあそんでいません。だけどすぎやまつにはいます。いちねんせいになったらともだちをいっぱいつくります。そしていっぱいあそびます。そしてともだちありがとう。ぱぱままありがとう。ぼくはつよいこになります。みんなほんとにありがとう。


 間違いだらけの字で、支離滅裂な文でしたが、彼の気持ちは十分伝わってきて胸が熱くなりました。
 今、わが子は毎日元気に小学校に通っています。もういじめにおびえることはありません。すっかりたくましくなり、友達もできました。子どもは育てるものではなく、育つものだと知りました。
 劇ではももたろうにはなれなかったけど、彼は、ももたろうのように生まれ変わりました。


(大阪府八尾市 29歳の母親)



2001/06/27

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