私にとってのGLAY
これから長々と綴っていきます。根性で読んでください。


私がGLAYに出逢ったのは、小3のとき。
朝、テレビを見ていてアルペンのCMで「グロリアス」が流れていた。
GLAYはこれで大ヒットしたわけだが、
私は"何言ってんのこの人達"という感じでパンツを履き替えながら言っていた。
とてもロマンチックな出逢いとはいえない。
しかも、このバンドの名前も知ろうとしなかった。

そして月日は流れ、「口唇」のときは"いいな"とは思っていた。
しかし、好きになるというのにはほど遠かった。
また月日は流れ、決定的だったのが、小5だったかな?11月頃。
何となくCDショップに行き、何となく「REVIEW」を手にとった。
この行動が熱狂的ファンになるとは誰が知ろう。
この頃「HOWEVER」が社会現象ともいえるほどの人気を誇っていた。
"売れてるからこれ買おう。「HOWEVER」入ってるし。同じ北海道出身だし。"
そう決めた私は、まだ"これが好き"という強い願望がなかったので、
お金はそんなにも使ってはいなかった。だから3000円あるのだ。
中身の乏しいサイフ(泣)から3000円ほど取り出した。
初めてアルバムというものを買った。
家に帰った。お姉ちゃんに買ったと報告をした。
かなり馬鹿にされた。3000円あったらもっと為になるものを買えと。
そして、何となく聞いてみた。
なんと、あの私の嫌っていた「グロリアス」が入っている!!
とても偶然に近かった。
最後まで聞いてみた。
でも、1曲目の「グロリアス」が頭から離れない。
相当のショックだったのだろう。
もうお金は使ってしまったので、何も買えない私は、
ずっと私愛用の(本当は家族のもの)コンポから離れようとはしなかった。
何回も何回も「グロリアス」ばかりを聴いていた。
すると不思議に口ずさむようになってきた。
"何だ!?だんだん好きになっていくぞ。"本当に自分でもわからなかった。
何故嫌いだった曲が好きになっていくのか。
初めてのアルバムだったからというわけではなく、何か惹きつけるものがあったのだろう。
これから私の*GLAYバカ人生*が始まったのである。

私は、GLAYのライヴというものを中2のとき、初めて行った。
6月24日 真駒内アイスアリーナ
GLAY ARENA TOUR2000 HEAVY GAUGE

一生忘れもしないできごとになっただろう。
まだ始まってもいないのに、もう興奮していた私は、始まったらどうなるのかと思った。
待ちに待ったライヴが始まるのが私の目で確認され、立ち上がった。
メンバーが登場した。まず私は何をしたか。
私はいた。声をあげて泣きわめいた。
隣にいた友達はたぶん動揺していた。すまんよ、ゆかちゃん。
「BE WITH YOU」が流れてきて、私はまたもや泣いていた。
だが、声はあげていなかったので、まだ良かったとしよう。
好きな曲のひとつ「生きてく強さ」の大合唱のとき、
私は言葉にならない感動が涙として溢れ出てきた。
止まらなくて、止まらなくて、どうしようかと思った。
アンコールに突入。
「SSのテーマ」になり、かなりノリまくり。目まいがしていた。何故だったのだろう。
そして、あっという間に2時間が過ぎてしまった。
汗でびっちょりになった私達2人は、終了30分後その場を去った。
エネルギーを使い果たした私達には会話することもままならなかった。
帰りの車は心地よく揺れ、ぐっすりと眠りにつかせてくれた。

月曜日、学校へ行き、友達に報告をしようと思っていた。
しかし、何ということだろう。
興奮していたせいか、かすかにしか覚えていなかった。
みんなに冷たい目で見られた。少々怖かった。
でも、あの興奮は今でも説明のしようがない忘れられないものとなっている。

そして今、私が思うに私は何に惹かれたのか。
GLAYには、私が体験をしたことのないようなサウンドがあったのだろう。
多分TERUさんのような力強く、かつ暖かい歌声でなければ
私は見向きもしなかったと思う。
多分HISASHIさんのような棘・毒のあるギターでなければ
私は見向きもしなかったと思う。
多分JIRO君のようなメンバーを支えていくベースでなければ
私は見向きもしなかったと思う。
多分TAKUROさんのようなきれいな旋律を奏でるギターでなければ
私は見向きもしなかったと思う。

そして何よりも・・・

暖かく包み込んでくれるような曲、ハードで熱くさせるような曲でなければ
私は絶対見向きもしなかった。

私は、彼らのサウンドを聴き、愛したことを
恥ずかしいとは一度も思ったことはない。
むしろ誇りに思っている。
これからもGLAYを愛し続け、
今まで通り*GLAYバカ人生*を送っていこうと思う。

                   終わり。