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2002/10/24 update

about KFC

1999/9/15 Koiwa Fusion Club (KFC)を旗揚げ。
これからのジャズ/フュージョンシーンを盛り上げるべく、我々の地元の音楽シーンの
活性化も含め小岩フュージョンクラブと命名、その頭文字を取ってKFCとする。
決してケンタッキーフライドチキンでは、ありませぬ(笑)。

クラブと言っても、参加資格や、条件等があるわけでもなく、その実態はナゾ?!
しかし実績としては、2000/3/24に布川俊樹GROUPを小岩「M7」に招聘。好評を博す。
2000/7/21には、あの、あこがれのプリズム のLIVEを行ない、これまた大盛況!
そして、2001/5/12には、布川俊樹VALISを行い、久々のVALISに大反響を呼ぶ。
2001/8/1の「マイク・スターン ギタークリニック in 小岩M7」も協力。2年越しにやっと実現!
その時に同行したベースのリンカーン・ゴーインズ氏とベースクリニック in M7を約束し、なんと
早くも2001/10/17(Wed)に実現。その時の模様は→コチラ
2002/6/7(Fri)には、WYSIWYG レコ発LIVE in eM SEVENも一体感のあるとても楽しいライブとなった。
その時の模様は→コチラ
そして、KFC協賛ライブは2002/8/8(Thu)、「Nervio」 のレコ発ツアーで大大盛況大合唱!!

直近では、2002/10/18(Fri) リンカーン・ゴーインズ(Bass)、キム・プレインフィールド(Drums)
with 矢堀孝一(Guitar)、大高清美(Org)
マイク・スターンバンドでお馴染み、昨年にはベースクリニックでもお世話になりましたリンカーンとキムの
CD発売記念ジャパンツアー in 小岩eM SEVENを開催!世界の壁は「厚い」・「熱い!!!」


今後も、プロアマ問わず、応援活動を行っていきたいと思っております。

ちなみに小岩eM SEVENでは、毎月第3火曜日にジャズ(結構なんでもあり)セッションを行なっています。
詳細はeM SEVENのホームページへGO!

KFC会長(名ばかりの)プロフィール

中島"KOH"睦巳(通称コー)水瓶座のB型
1965年1月25日、九州は、長崎市に中島家の長男として生れる。

音楽的な関わりをメインにヒストリーを少々・・・
幼稚園時代より、母親に無理やりバイオリンを習わせられ、それが音楽との最初の
意識の在る出会いとなる。しかし、自分の意思を無視された中でのレッスンが
そう長続きするわけがなく、たしか小学校3年生でドロップアウト。
その頃に、国体に向けて「金管バンド」となるものが、小学校に組まれ参加。
ちなみに担当楽器は、トランペット。
当たり前だが、マイルス・デイビスの存在すら当時は知らなかった。
そして小学校最後の6年生のまでは、幾多の困難を乗り越え「金管バンド」を卒業。
たしか当時は、ベイシティローラーズが女子の間でむちゃくちゃ盛り上がっていた。
その後中学時代は、その流れでブラスバンド部に入部。引き続き楽器は、トランペット。
その頃は、クィーン、ビリージョエル、キッス、などが流行っていた。
しかし当時チャキチャキのフォーク少年だった中島少年は、・・・・・
つづく・・・

副会長のプロフィール第一弾が届いたら、自分の続きをアップするつもりだったが、
なかなかこないので、続きを少々・・・

さだまさし、かぐや姫、アリス、甲斐バンド、浜田省吾、井上陽水等を経て高中正義に出会う。
高校1年生の冬に高中正義のコンサートに行き、あまりにものすごい盛り上がりに絶句。
同時期に山下達郎のコンサートにも行き、このライブにも脳天をかち割れれてしまった。
そして、 極めつけがカシオペア。なんだーこいつらはーもぉースゲーー!
それはらというものは、インスト系は高中、カシオペアを媒介にリトナー、カールートン方面へと行き、
フュージョンの世界へドップリ足を突っ込む事となり、唄物では達郎と角松敏生を追いかけるという
もうADLIB誌状態(笑)。
インスト系では、洋楽にもあっさり触手を伸ばしたが、唄物ではなかなか洋楽に行けなかった。
さてその後の中島少年は・・・・・
つづく・・・

副会長!プロフィールまだですかー待ってますよー!という訳でその後を少々・・・

さてさて、東京に出てきた18歳の中島少年は、カールトンがらみで、スティーリー・ダンのアルバムを
さかのぼって買い漁り、唄物でもこれはカッコイイなどど、ひとり悦に入りながら、一人暮しを満喫。
六本木の居酒屋でバイトしてせっせと貯めた30万を握りしめ、東京1年目の冬に自分にクリスマス
プレゼントだーとばかりに、秋葉原を目指しコンポを購入。
これが起爆剤となり、もう大人なんだからそろそろジャズを聞かなきゃなと、自分に言い聞かせながら、
たしか、マイルス・デイビスの「マイ・ファニー・バレンタイン」を購入。したまでは良かったが・・・
いまいち好きになれず、というより理解できずにジョージ・デュークやアースなんかを好んで聴いていた。
でも女の子なんかが家に遊びに来たりすると、さも普段JAZZを聴いているかのようなふりをして、
マイルスや、ビル・エバンスをかけちゃったりする、お茶目な十代後半でした。
つづく・・・

KFC副会長のプロフィール

中嶋"ひで"秀明 (通称:社長?) 魚座のA型,戌年
1970年3月10日、埼玉県八潮市に生まれる。

幼少時代から電気製品が好きだったようで分解しては壊すという日々を過ごし、
小学2年生のころには半田付けが出来るようになっていました。
小学5年生のころにはすっかり秋葉原少年になっていてアキバ行くのによくキセルしてました(笑)
そのころ、トランジスタラジオなんかを自作して、訳も分からずFENなんかを聞いてました。
小学6年生の時にラジカセを買ってもらい、FM東京のポップスベスト10のエアチェック(懐かしい)に
燃えてました。
当時良く聞いていたのは、ノーランズやアラベスク、ホール&オーツだったかなぁ。
日本人ではYMOにどっぷりハマッていました。
初めて買ったLPが細野さんのソロアルバムでしたが内容はマニアックでしたね。

中学生になると日本のポップスはほとんど聞かなくなり洋楽に傾倒していきました。
中学1年の冬に、たばこブラウンサンーバーストカラーのストラトを買い
ビートルズやカーペンターズなどをコピーなどをしてました。
また何故かピアノも弾けるようになりたくなり、バイエルに手を出したがあえなく挫折。
そのころ毎日のように貸しレコード屋に通っていたような。たぶん、100枚以上は借りていたと思う。
中学生にとってLPレコードの\2,800は高かったし。
合わせてエアチェックのほうもNHK FMの「軽音楽をあなたへ」や「クロスオーバーイレブン」が
中心になり、グローバーワシントンJr.の「Just the two ofus」を初めて聞きぶっとびました。
また、ハービーが来た時の「ライブアンダーザスカイ」をわくわくしながらエアチェックしたのを思い出しますね。
こうしてだんだんとフュージョンに染まっていきました。良く聞いていたのはスタッフ,シャカタク,メゾフォルテ,
LEVEL42,THEスクエア,カシオペアあたりでした。
中学時代のしめくくりとして卒業式のBGMの選曲を任されすべてフュージョンにしました。
自分ではいい選曲だったと自負していますが、誰も気にとめてなかったようです(笑)

高校に入ってからは、さらにフュージョンに傾倒していくとともに
オーディオの世界にも足を踏み入れてまいました。当時CDはすでに存在していましたが、
あくまでアナログにこだわっていました。
家の中にコンクリートのどぶ板が持ち込まれたのはこの頃です(今だにあります)
音の良さからGRPレーベルのアルバムを買うようになり、
デイブ・グルーシンとリーリトナーの「ハーレクン」,
ボブ・ジェームスとデビッド・サンボーンの「ダブルビジョン」に感激しておりました。
このころ買ったアルバムはのちにほとんどCDで買い直されたのはいうまでもありません。
チックコリアエレクトリックバンドのファーストもこのころ買いました。
リーリトナーのダイレクトカッティング盤も宝物ですね。
これを聞いた時は緊張感溢れる演奏に驚いたとともに譜面も買ってしまいました。(弾けませんが...)
ベースを始めたのもこのころですね。何故か(?)レベッカをコピーしてました。
でもどちらかと言えばギターでラウドネス(ちょっと意外ですが)のコピーに燃えていましたね。
かと思えばストラビンスキーやショスタコビッチといったシンフォニーも好きでした。
フュージョンものに戻るとデビッド・サンボーンの「ストレイト・トゥ・ザ・ハート」でのマーカス・ミラーの
ベースが超カッコ良くてファンになったのもこの頃です。
ジャコはAurexの広告では知っていましたが、実際に聞くようになったのはもう少し後になってからですか。
会長と同じくスティーリーダンにもハマりました。
つづく・・・

M7 ジャズ・セッションにて。

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