ネコ禪ハウス
西洋館


C.オルフ「 カルミナ ブラーナ」より

24「Ave formosissima」を訳してみたらやっぱり大変でした。
カルミナの秘密がわかります。

最下段に演奏ファイルへのリンクがあります。(YouTube動画)↓

24 Ave formosissima を訳してみたら、やっぱり大変な秘密が隠れていた。
ここには聖母マリアが隠されている。いや、聖母マリアに行き着けない人間的欲望の悲劇が描かれているのだと思う。
前半で歌われる賛美の表現はほぼすべてマリアをたたえる言葉なのだ。
それにもかかわらず、それらは人間的な欲望に堕していくのだ。
それは、宗教的な理想が、人間的な欲望によって悲劇的に堕落していった歴史の姿を、人間というものの業の深さを思わせる。
あと一歩のところで、天から、聖母マリアの名を聞けなかった人間は、蜘蛛の糸が切れるが如くに、
地上の運命を支配するフォルトゥナの手に堕ちていくのである。
24 Ave formosissima
Ave formosissima, gemma pretiosa,
万歳・幸あれ
/
求めよ、渇望せよ
最も美しき女性よ 宝石よ 高価な、尊い
感動詞/
動詞・二単現・命令形
形容詞folmosaの最上級
呼格(名詞化)
名詞f・呼格 形容詞f・呼格
幸いなるかな、この上なく美しきひとよ、尊い宝石よ、

                    
(最高に美しい姿の女性を求めよ、 高価な宝石よ、)
ave decus virginum, virgo gloriosa,
万歳・幸あれ
/
求めよ、渇望せよ
光彩よ、輝きよ、
/
恵みを
乙女たちの、
処女たちの
乙女よ、処女よ 輝くばかりに美しい、
栄光に満ちた
感動詞
/
動詞・二単現・命令形
名詞n・呼格
/
対格
名詞f・属格・複 名詞f・呼格 形容詞f・呼格
幸いなるかな、乙女たちの光輝よ、輝く如く美しき乙女よ、

                      
(乙女たちの恵みを、輝くように美しい乙女を求めよ、)
ave mundi luminar ave mundi rosa,
万歳・幸あれ
/
求めよ、渇望せよ
世界の、人類の、天空の
/

飾りの、装飾の
光よ
/

人生を
万歳・幸あれ
/
求めよ、渇望せよ
世界の、人類の、天空の
/
人間たちよ
薔薇の花よ
/
蝕まれた、苦しめられた
感動詞
/
動詞・二単現・命令形
名詞m・属格 名詞n・呼格
/

対格
感動詞
/
動詞・二単現・命令形
名詞m・属格
/
呼格(複数形)
名詞f・呼格
/
動詞rodoの完了受動分詞
・呼格(複数形)
幸いなるかな、この世の光よ、幸いなるかな、この世のバラの花よ、

                  
 (飾られた人生を求めよ、 渇望せよ、蝕まれ、苦しめらた、人間たちよ、)
Blanziflor et Helena, Venus generosa. gene rosa
ブランツィフロールよ そして、と、 ヘレナよ ウェヌス・愛の女神
Roman goddess of sexual love and generation
高貴な 生み出せ 蝕まれた者達を、
苦しめられた者達を
名詞・呼格 接続詞 名詞・呼格 名詞m・呼格 形容詞f・呼格 動詞genoの命令形 動詞rodoの完了受動分詞
・対格(複数形)
ブランツィフロールよ、ヘレナよ、高貴なる愛の女神 ウェヌスよ。

                     
 (異教徒の妻となったブランツィフロールよ、トロイを滅亡させたヘレナよ、
                           性愛と生殖の女神 ウェヌスよ、蝕まれ、苦渋を負うもの達を生み出すがよい。)
AVE REGINA CAELORUM(アヴェ・レジーナ・チェロールム)という美しい賛歌がある。
修道院の「聖務日課」という日々のお勤めで、一日の最後に歌われる聖母マリア賛歌の内の一曲である。

「24 Ave formosissima」は、この賛歌を下敷きにしているのではないだろうか。

たとえば、virgo gloriosa(栄光に満ちた乙女)という表現はそのまま出てくる。
「光輝」、「地上の光」といった表現が似通った単語でなされている。
また、formosissima(最も美しい女性)という表現も、
super omnes speciosa(すべての人たちに優って美しい女性)とほぼ同じ意味ではないか。

カルミナ・ブラーナと呼ばれる一連の詩集が、修道院で発見されたものであることを考えれば、
この詩の作者も、読者も、この詩が日々のお勤めのパロディであることを、当然のように意識していたのではないだろうか。

あるいは、それは、ちょっとした悪戯だったのかもしれない。


ただ、そのイタズラ心は、背信的なものとは別のものなのではないか。

それは、むしろ、世俗的な営みに潜む、人間の地上的な欲、
理想から離れていく、日常の惰性といったものへの、皮肉だったのではないか。

何か、それらを戒めるような匂いが感じられる。

そして、それは世間に向けられたのものではなく、
作詩者本人への自戒だったのではないか。


作曲者のオルフも、この詩の二重構造を意識していたのではないだろうか。
この二重構造は文法的なカラクリとは別に、詩自身の表現するところでもあるのだが、
どちらにしても、そうでなければ、ラストの「25 O Fortuna」に、繋がらないではないか。

実際、この24曲目の Ave formosissimaが、25曲目で1曲と全く同じO Fortunaに展開するところは、この曲、最大の山場にして、最も恐ろしい箇所だと思う。

私も最初に聴いたときにホントに怖い思いをした。これは、ほとんど、”怪談”だな、と思う。
”漏れさす朝日に誘われて、雨戸を開けると、いまだ真夜中である”みたいな…。そして結局、”救済は無し”なのである。

この辺りに、作曲家オルフの、悪戯心に逃避する、大変に屈折したロマン主義が暴露されているようにも思う。

そして、この大曲は、
”彼の女神、運命をもて、如何なる幸運をも打ちのめす。
 われら皆、もろともに、声高に嘆かん!”
と、結ばれるのだ。


AVE REGINA CAELORUM
Ave Regina caelorum, Ave Domina Angelorum:
幸いなるかな 女王、王妃 天国、天、世界の 幸いなるかな 一族の女王、女主人 天使たちの
感動詞 名詞f・呼・単 名詞m・属・複 感動詞 名詞f・呼・単 名詞m・属・複
幸いなるかな、天界の王妃よ、 幸いなるかな、天使たちの女王よ。
Salve radix, salve porta, Ex qua mundo lux est orta:
永遠なれ、
万歳、幸あれ
根源・基盤よ 永遠なれ、万歳、幸あれ 門、入り口、大通り によって あなた 天界、世界、
人類の
光、生命、世界 生み出された
動詞・
一単現・能・命
名詞f・呼・単 動詞・
一単現・能・命
名詞f・呼・単 前置詞・奪支 代名詞f・奪・単 名詞m・属・単 名詞f・主・単 動詞sum・三単現 動詞・完分
永遠なれ、根源なるものよ、永遠なれ、大いなる道よ、 貴女によって、世界、人類の光が生み出されました。
Gaude Virgo gloriosa, Super omnes speciosa:
喜んでください 乙女よ 栄光に満ちた に優って、超えて、 すべての人たち 美形の、光り輝く、
美しい女性よ、
動詞・
二単現・能・命
名詞f・呼・単 形容詞・呼・単 前置詞・対支 名詞c・主・対・複 形容詞f・呼・単/名詞化
喜んでください、栄光に満ちた乙女よ、 すべての人たちに優って美しい御方よ。
Vale, o valde decora, Et pro nobis Christum exora.
健やかなれ、
勝利あれ
おお 大いに、激しく、力強く 光輝ある人よ 美しい、栄光の そして のために、について 私達 キリストに 懇願、嘆願してください
動詞・
二単現・能・命
感動詞 副詞 形容詞・呼
/名詞化
接続詞 前置詞・奪支 代名詞c・奪格・複 名詞m・対・単 動詞・
二単現・能・命
健勝なれ、おお、 力強く光輝ある御方よ、 どうか、私たちのために、主 イエス キリストに嘆願し、お祈りして下さい。


さて、上記 賛歌の”Ave Domina Angelorum(幸いなるかな、天使たちの女王)”という表現から何かを思い出さないだろうか。
私は、「10 Were diuwerlt alle min(世界すべてが私のものであったなら)」を思い出してしまった。

中世のドイツ語で歌われるこの10曲目は、カルミナブラーナ第一部のラストを飾る大変盛り上がる曲なのだが、どうも、何が言いたいのか詩の意味がよく分からない。
一般に、奔放な恋愛感情を歌い上げたものだと言われているようだが、そうも思えなかった。

ところが、ある日、この曲の詩にある”diu chünegin von Engellant”という表現が、「英国の女王」の他に「天使の国(天界)の女王」という意味を隠しているのだと気づいた。
そう解釈すると、この詩は、最後の四つの単語”lege an minen armen”が出てくるまでは、聖母マリアへの信仰宣言として読めるのである。

その”横たわっているなら”を意味する”lege”にしても、「原理、法、戒律」などの意味を持つラテン語の”lex”の活用形(奪格)と同じ綴りになるため、
もし、”腕”を意味する最後の言葉”armen”の”r”の一文字がなければ、これも祈りのことば”amen”になり、

なんと、この一節は、「神の法に依り、私の祈りの傍らにおわす、天使の国の女王よ」 と、いう意味になるのである。

”r”一文字の有無で、天界の理念に救済されるか、地上的な欲望に堕ちていくかが分かれるのだ。


そして、オルフ自身、どうも、このカラクリをしっかり意識して、曲を作っていたようなのだ。

たとえば、”lege”の”e”を馬鹿馬鹿しいぐらい大袈裟に伸ばして、
しかも、その次の”an”にこの大曲のコーラス最高音であるC(五線のはるか上のド!フツウ使いません(^_^;))を当てている。

それから、最後の”Hei!”の和音が変なのである。
ここは、女声のソプラノ1stとソプラノ2ndと、男声のテナーとベースとが、それぞれ空五度という、文字通り空虚な和音を歌い、
それに、女声低音のアルトだけが、取って付けたように、第三音(中間の音)を割り込ませて、無理やりCメジャーの三和音を作るのである。

実際、歌ってみても、なにか不自然で、どうも上手くいかない。CDなどでも、どうも、皆さんケッコウ適当にやっているようです。(^^ゞ

が、ここにもオルフの意図が隠れているのだ。
実は、これは、ソプラノとテナーがズッコケているのである。
どう、コケているかというと、ソプラノの1stと2ndとテナーが五度下がっている。
試しに、それらを五度上げてみればすぐに分かる。

男声ベースが下のC(ド)、
女声アルトが次がE(ミ)、
ソプラノ2ndが真ん中のG(ソ)、
そして、最高音のC(ド)を、ソプラノ1stとテナーが叫べは、
きれいなドミソドの和音になり、見事にカッコよく収まるはずなのである。

でも、オルフってホント捻くれ者だなあ。
友達になれそうですけど...(^^ゞ。

全く、
この10曲目こそ、
あの戦慄すべきフィナーレへの伏線だったのである。

10 Were diu werlt alle min
Were diu werlt alle min von deme mere unze an den Rin,
wäre(sein) die(der) welt all mein von dem(der) Meer unz =bis an den Rhein
であったなら (その) 世界が すべて わたしのもの から (その) まで 際へ (その) ライン川
sein動詞・接2 定冠詞 名詞f 定冠詞類 不定冠詞類・名詞化 前置詞・3支配 定冠詞 名詞n 副詞 前置詞・4支配 定冠詞 名詞m
海からライン川の際まで、世界すべてが私のものであったとしても、
des wolt ih mih darben, des wolt ih mih darben,
dessen(der) wollte(wollen) ich mich darben dessen(der) wollte(wollen) ich mich darben
それを したいものだ 私は 私を 窮乏する それを したいものだ 私は 私を 窮乏する
代名詞 動詞・接続法第2式 代名詞 再帰代名詞 動詞 代名詞 動詞・接2 代名詞 再帰代名詞 動詞
私はそれを捨て去ろう、 私はそれを捨て去ろう。
an
daz diu chünegin von Engellant von Engellant le-ge---eee---eeee
daß die(der) Königin von England von England läge(liegen) an
すること (その) 女王 イングランド イングランド 横たわっているなら 際へ
接続詞 定冠詞 名詞f 前置詞 名詞n 前置詞 名詞n 動詞・過去・接2 前置詞・4支
minen armen. Hei!
meinen(mein) Arm
私の 腕、袖 ハイッ!
所有冠詞・4格 名詞m
        Engel lantの、Engel lantの女王、、、、、、、、、、が私の腕の傍に横たわっているのであれば、、、、、、、、、、、、、、、、、ハイッ!?

 
(神の法に依り、私の祈りの傍らにおわす、天使の国の、天使の国の女王よ

でも、これ本当に中世に書かれたものなのかなあ。

エリザベス女王以降に書かれた擬古文体の詩だったりすると、さらに、もう一つウラの意味が出てくるんだけど... (^_^;)


バレーダンス付きの映像です。
「24 Ave formosissima」に引き続き
「25 O Fortuna」が演奏されます。

「10 Were diu werlt alle min」です。
怪しい人物が揺れてます。十字軍でしょうか