『DIVE-JIVE/カンザスシティ・バンド』
【曲目解説 by 下田卓】



1. だいぶジャイヴ  作詞/作曲 下田卓
 この"だいぶジャイヴ"という駄洒落フレーズは2年ほど前に思いついて、自分が月一回発行している書き散らしエッセイ兼ライヴ・インフォ掲載の小冊子のタイトルに使い始めました。我ながら気に入ったフレーズだったので、いつかこのタイトルの曲も作ろうと思ってて今回実現したわけだけど、期せずしてアルバム・タイトルにもなってしまいました。
 とにかく簡単なコード進行で、アップテンポで、ジャム・セッションのようにできて、他愛ない詞でバンド・コーラスとの掛け合いがあって、という構想で作りました。よーく聴くとソロの背後で盛んに掛け声が飛んでるのが聴こえます。ライヴじゃないのに。

2. なんていい話  作詞/作曲 下田卓
 前作『バレルハウスで☆ヘイ!ヘイ!』に収録した「
俺ァわかってる」はサム・プライスの「I Know How To Do It」を日本語で演ったものでした。今回も同様の曲をやりたい、ついてはあの手の曲のルーツとも言えるタンパ・レッドの「It's Tight Like That」に、いよいよ手を付けようかと思って、改めてその詞を読んでみたところ、上手に訳せたとしても21世紀の東京に暮らす者としては時代的・地域的なズレがあって面白く感じられない内容もあり、それなら、今の自分なりの「It's Tight Like That」を!というつもりで作った曲です。
 で、出来上がったら牧伸二の「
あ〜、いやんなっちゃった」になってたときには驚きました。つまり牧伸二はタンパ・レッドだったということです。実にいい話です。

3. ミズーリ・バウンド  作詞/作曲 下田卓
 「国境の駅を舞台にした男女の別れ話」というベタな内容の歌は、"歌謡ジャズ"、"歌謡ブルース"とでもいうべき昔のアメリカ黒人大衆音楽にはありがちです。そんな感じのレコードを聴いてるうちに自分で作っちゃおうと思いました。詞なんかはあちこちの歌で、伝統的にというか、定番みたいに使い回されているフレーズを使いまくり、曲調も1940年代のバンドがやってたような大揺れダンス・ビートで、"いかにも"感を出しました。
 この曲をかけて踊って下さい。そして「♪痩っせった雄鶏ィがぁ〜」のところで合唱して盛り上って下さい。気分はすっかり"
ダークタウン・ストラッターズ・ボール(darktown strutters'ball=黒人街のダンスホール:こういう題名の曲もある)"です。

4. モーニング・グローリー Morning Glory 作詞/作曲 trad. /日本語詞 下田卓
 ビッグ・ジョー・ターナーの愛唱歌。どうやら"朝帰り"の歌っぽいんだけど、一番鶏の声で目が覚めて「ベイビー、もう帰る時間だで、おやすみ」とキスをするなんて、いい歌だなーと、ずっと好きだった曲です。で、このMorning Gloryには「アサガオ」以外のかなり際どいセクシャルなウラの意味があるはずだと直感的に思ったんだけど、調べた限りそういう意味は見つかりませんでした。
 「アメリカの田舎の朝帰り感」を出すべく、ストライド・ピアノの2ビートのリズムをベースに、ゲストの高木克君にドブロをスライドで弾いてもらいました。
 鶏の声に目を覚ましそうな、でもまだ眠たそうな彼女の声。いいよー、いい感じよー。

5. 黒い猫のブルース  作詞/作曲 下田卓
 バンバンバザールの『Gentleman』収録の帰り道、深夜の神田川沿いを自転車で走っていたら突然黒い猫が前を横切り、慌ててブレーキをかけました。無事猫を轢かずに済んで、そのまま自転車こいで帰宅する道すがら鼻歌交じりに歌っているうちにこの曲が出来上がってしまいました。詞にも曲にも、ダウンタウンブギウギバンド、憂歌団、カウント・ベイシー、ルイ・アームストロング等々、それまで僕が聴いてきて好きだったモノがこの歌に滲み出てしまっていると痛感しました。バンバンバザールのメンバーから、本アルバム中真っ先に好評を得た曲です。かなりディープ、彼ら。

6. プア・ジョン Poor John 作曲 Roy Eldridge-Buster Harding
 1940年代の"ビバップ(Be Bop)"の喧騒感と危うさが香る、ロイ・エルドリッジのこのインスト・ナンバーにトライしてみました。
 ビバップについては「モダンジャズの揺籃期」として語られることが一般的で、それはその通りなんだけど、50年代のモダンジャズから振り返った視点以外で語られることはほとんど無く、もっとその時代の音楽の流行や現象として捉えた見方があっていいんじゃないかなーと思ってます。40年代のいろんな音源を聴くとビバップはジャンプやジャイヴと表裏一体だったこともわかるし、激しいテナー・ブロウ・ブームも含めてかなりエキセントリックでクレイジーなムーブメントでした。
 実際この曲のメロディなんか、変です。でもそこに「あー、ビバップ&ジャンプだなー」と感じて気に入ってる曲です。

7. おーい、お医者さん  作詞/作曲 下田卓
 カウント・ベイシー楽団が演奏してジミー・ラッシングが歌うような"ビッグバンド・ブルース"の感じが堪らなく好きです。そのイメージでホーン・アンサンブルを書き、詞は「恋の病を医者に訴える」という、ブルースに限らず洋の東西に遍在する民謡の定番テーマで書きました。なんだけど、語呂で作っていくうちに全身ボロボロの歌になってしまい、これを初めてリハーサルにかけたときテナーの海ちゃんは笑いすぎて吹けなくなってしまったのでした。もちろん飽くまで言葉遊び上の大袈裟な表現であり、病気の人を笑いものにする意図は皆無でございます、はい。
 バンバンバザールの黒川君曰く「"先端医療の最新技術"などというフレーズは日本ブルース史上あり得ない」と。

8. Goin' To Kansas City  作詞/作曲 下田卓
 カンザスシティで買ってきた絵葉書を見ているうちに浮かんだ曲です。広大なアメリカ西部を、カウボーイの一団とジャズバンドが、仕事は違えど同じテキサスの地を出発して同じ目的地カンザスシティまで、別々のルートを通りながらも途中で出会ったり別れていったり、といった長い旅をする者同士の交流の物語みたいな歌です。
 バンジョーやドブロのスライド・ギターを交えて"ウェスタン・ディキシー"調といったらいいでしょうか、そんな感じを狙いました。

9. 26インチ・ブギ  作詞/作曲 下田卓
 自分の家から自転車で20分も走ると井の頭公園に着きますが、気候のいい頃は気持ちもよくてなかなか快適です。
 昔サディスティック・ミカ・バンドの「
サイクリング・ブギ」というのがあったけど、やっぱりチャリンコの歌は軽快でイカした感じのブギウギ。1940年代にスイング/ジャンプ・バンドの間でスチール・ギターを入れるのがちょっと流行したみたいで、その感じを狙って高木克君に弾いてもらったら実にいい効果!まさしくプレ・ロックンロール時代の雰囲気バッチリ!そう、ロックンロールのお父さんはスイングだったのさ!でもロックンロールのカッコいいイメージとは裏腹に、この男、始めは若くて身軽だったのがやがて所帯持ちになって、なお必死にこいでるというところに涙して下さい。男の人生はチャリンコをこぎ続けるようなものなんであります。

10. 雨雲の向こう側 Wrap Your Troubles In Dreams 日本語詞 下田卓/作曲 Harry Barris
 アメリカが空前の大不況だった1930年代前半に書かれた曲です。不景気を悪天候に例えるこの原詞の中に「一夜の王様だったことはわかってたはずだろ」という一節があって、当時も今みたいなバブル経済破綻型不況だったんだなーと思いました。
 タイトルのヒントになったのは「この雨だって絶対止む、そうしたら青空になる、今だってこの雨を降らせてる雲の向こうには、どこまでも青空が広がってる」というセリフで、これは子供と一緒に見ているうち自分がハマってしまった『仮面ライダークウガ』の最終章で主人公が言うセリフです。なんていい話だろう、ジーンとくるだろう。

オマケのシークレット・トラック
 そういうことです。特に解説することはありません。


 お気づきの方もいるでしょうが、このCDは全部モノラルです。2003年なのはわかってます。でもね、ミックスのときに「ステレオで左右に振る意味がないなー」と思って。
 お気づきの方もいるでしょうが、ギター、バンジョー、クラリネットを除くオケ(楽器演奏)の部分は全て一発録りです。歌まで含めて一発録りの曲も一曲あります。2003年なのはわかってます。でもね、録音のときに「みんなで音出さないと微妙な"揺れ"の感じは合わせるのが難しいなー」と思って。
 そんなわけで多くの皆さんがこのアルバムを末永く愛聴して下さることを心より願っております。

2003年12月 カンザスシティ・バンド リーダー 下田卓

ちなみに
 吾妻光良さん編集の名コンピCDに『だいぶJIVE』というのがあるのですが、2006年2月、BBS上に「だいぶJIVEって言葉自分で考えたみたいに書いてるけど吾妻光良さんの事もちろん知ってますよね?」との書き込みがあり、パクリ疑惑指摘なのだろうと思い、詳しくはBBS上にレスしましたが、吾妻さんのCDの存在を知ったのはCDリリース後なので、これはパクリではありません。事前に知ってたらパクリと思われると思って使わないだろうし、大体パクるにしたってそのまま過ぎますね。そんなわけでこれは自分で考えたフレーズです。タマタマ同じ発想をしたということです。