綱領なき革命・経典なき密教 - 現在進行形としての寺山修司-3

                                     塚原 勝美

寺山修司を読む-3

 1月2日。午後2時から夕方6時半まで藤沢駅北口に立つ。ひとりで十三(とさ)の砂山のビラまきである。

風は冷たかった。予想していたとおり通行する人々は多かった。鎌倉から帰る人、デパ−トに福袋を求めて

買いに行く人、遊行寺に行く人。家族連れの人々。ビラをまきながら私が確信したことは寺山修司の歌は、

第2次世界大戦からやがて到来するであろう第3次世界大戦の時間における代表的な歌として1000年残

るだろうという予感である。寺山さんはこの過去となる空間の代表的歌人となるはずである。石川啄木に継

ぐ歌人として。

 言うまでもなく、演劇人口よりも短歌人口の分野が圧倒的に多い。そして現在、寺山修司の文庫本を購入

している人々は演劇人ではなく歌を愛する人々であり、若者たちである。そう寺山修司はいまの現在進行形

としての言葉をめぐる文学なのだ。とくに歌人から寺山さんが圧倒的に受け入れられている現象を見逃すこ

とはできない。それは歌人であり獄中にも入った角川春樹の力であるかもしれない。獄中から角川春樹は寺

山さんにささげる歌をつくっている。

 何度でも言うが日本の哲学は万葉集から出発した文学のなかに胎動している。それは近代でも同様だ。

寺山さんの演劇と映像は歌論集・能楽論集として位置を示していくだろうという予感がある。

 

 日本文学評論のうちで、歌論は最初に成立し、それ以後も近世までは歌論がその中心的位置を占めている。

それは和歌が長く生命を支えてきたのと一致している。

                                歌論集 能楽論集 日本古典文学大系

                           

 年配の女性が聞いてきた。藤沢グランドホテルはどこですか? 私は方向を説明する。ビラをみて、その婦

人は寺山修司さんですか? わたし、短歌をやっているのですが好きです。そう言葉をかけて去って行った。

街頭に立つということは演劇公演に向けた市場調査でもある。今日だけで950枚を配布した。若者を中心に

あらゆる世代が寺山修司の名前に興味を示しビラを受け取っていく。そのような体での実感はやはり街頭に

立つしかない。舞台とはすでに企画した段階から始まっている。舞台とは観客によって幕はきって落とされる

のだが、春に向けて準備をしている重たい雪をかぶった土中の名もない草々のように、観客にはけして見え

ない仕事の是非こそが舞台を成功させる。

 今日は昨年の秋に遊行寺で公演した『小栗判官と照手姫』の関係者にも出会った。ひとりは丹後の局を演

じた浅井さん。今日は仕事の帰りです。そう言って息をはずましていた。彼女の出演を私は願っている。

もうひとりは観客誘導をしてくれた渡辺さん。彼は父と鎌倉へ行った帰りだった。人がいっぱいで途中で帰って

きてしまいました。私は彼のお父さんと握手をした。そして彼とも握手して別れた。街頭に立つということは、気

概を公演を打つのだという情熱のあり方をみせることでもある。動かなければ誰も動いてはくれない。

 天井桟敷が圧倒的な観客を動員した事実は制作であった九条今日子さんの力による。それまでの演劇人口

とは俳優座・文学座・民芸の芝居などを定例会で鑑賞するという全国観劇運動が組織していた。労働運動と文

化運動の蜜月である。音楽ではコ−ラスの全国うたごえ運動である。これも労働運動における文化運動であっ

た。60年代の労働者運動とは多彩であり実にエネルギッシュだったのである。しかし寺山さんは労働運動の活

動家よりも短歌をつくる人口の方が多いのを知っていた。ゆえに観客動員のメディアを拡張することができたの

である。大組織に頼らないためには間口を広げたところで観客を動員しなくてはならない、それが宣伝戦におけ

る革命をなしとげたのである。徹底したポスタ−はりとビラ配り。天井桟敷と唐十郎・紅テントの宣伝の基本は、

劇場おりこみではない。ひとりひとりに劇団員が配布するビラ配りであり、東京中の喫茶店にポスタ−を貼りの

お願いいく選挙戦スタイルだったのである。

 寺山さんの映画『書を捨て街に出よ』は全国高校生詩人たちを結集して作った映画であると言われている。

後期天上桟敷には続々と高校生詩人たちが結集してくる。つまりその根拠地とは圧倒的人口を擁した詩歌の

少年・少女たちであった事実。この圧倒的エネルギ−は当時の高校生政治活動家よりも勝っていた。寺山さん

は饒舌な論理を展開しおのれのアジテ−ションに陶酔する政治少年・少女より詩歌によってしか自己を外に表

現することしか知らぬ高校生詩人の方に持久としてのエネルギ−が胎動していることを、当時、鋭い嗅覚で感

知していた。なぜならそこに万葉集以来の大河が流れていたからであったと思う。

 私は無知であったが過去の時間は現在より豊かさが流れていたのだ。未来とはこの豊かさの喪失として進む。

未来とは貧困でもある。現在とは豊かさの消滅でもあり、死と一緒に同伴する道行きのことでもある。文明とは

また喪失。ゆえに寺山さんは泉鏡花から説教節に向かっていくのは、万葉集の血をもった歌人であったから。

全国の歌人の結社は劇団よりも多い。そして無名の歌人は無名の俳優よりも多い。この事実こそ綱領なき革命

経典なき密教の山岳である。

 エレベ−タの扉が開くとそこは恐山だった。寺山修司哲学とは山岳の風土がある。そして街頭に立つとは山岳

からの風に吹かれることかもしれない。藤沢駅頭は太平洋からの風でもあった。私はその風に吹かれビラをまき

ながら、寺山修司は1000年残るだろうと確信していた。シ−ザ−さんは、寺山さんは自分の神だと言った、そし

て、シ−ザ−さんは寺山修司の言葉を100年残す気概で奮闘している。おそらく、シ−ザ−さんは経典なき密教

の呪術的言語の秘密を知覚しているに違いない。それが、シ−ザ−さんの全体演劇の内容である。

 私は綱領なき革命の秘密に向かっているのだと感知した。秘密とは迷宮でもある。そこではおのれの体で習得

した経験を全体化することである。それこそが今日的な情報の共有化でもある。おそらく宣伝・扇動とはここにあ

る。天井桟敷の黒子だった舞台監督の藤原さんに言われたことがある。劇場おりこみなど誰もみないぞ、そんな

の公演が終了してから帰宅途中の駅のゴミ箱に捨てられるだけだ!それより手渡しだ! それ以来、私はビラ配

りに宣伝のあり方を転移させた。つまりビラ配りとは現状に分岐を生み出す。舞台の俳優とは観客のものである。

ゆえに演出家は存在する。黒子とは宣伝・扇動においてあるモ−メントを形成していく。

 運動とは何か? 万葉集の読み人知らずである。読むとは同時に言葉をつくる人でもある。

寺山修司を読むとは現在進行形の寺山修司の言葉をつくる行為に他ならない。それが寺山修司演劇の全体像

でもある。 そして寺山修司演劇運動の実践的要素とは、 迫る第3次世界大戦の史的前夜において、 この過

渡期世界の宿命からおのれの想像力の自由塁をつくることでもある。 歌人たちはその必要を演劇人以上に、

感知している。ゆえに寺山修司に向かっている。

 やがて登場する高校生歌人・詩人たちといかなるアクセスができるのか? そして、できないのか?

制度が戦争徴兵制度を準備している現在、いま再び政治の季節になることは間違いない。30日31日と街頭宣

伝で出会った中核派情宣隊は今日登場していなかったが、 日本共産党の宣伝カ−がうなりをあげて街を疾走

していた。 市場経済という資本主義経済システムは終わりを永遠に先送りする経済システムである。その再生

として世界戦争があることは、過渡期世界の宿命だ。 この制度を選択してきた民衆の宿命こそ世界戦争体制

への編入としてもある。 おのれが戦場に行くのか? をめぐって、 若者たちの世界意識は起動する。おのれ

の生命にかかわる事態を前にして人は動き出す。 

 この世界と自己の命のあり方を問う葛藤こそが、これまで青春文学と呼ばれてきた。政治の季節は同時に文

学の季節でもある。 60年代後半に類似した熱い季節がやってくる。 

寺山修司文学に内在する寺山修司哲学とは何か? その全体像は、やがて来る季節によって刻印されるはず

である。 現在進行形としての寺山修司の前夜、私は藤沢駅頭を離れ、東京のどこかの駅頭に立っている準備

をする。それが無名の草々の動物的本能でもある。 徳川幕藩体制300年にもおよぶ商人たちの不屈の執念

と情念そしてモラルによって、第2次世界大戦敗戦後の日本は世界資本主義経済大国のアメリカUSAに継ぐ

2番手にまで踊り出た。しかしユ−ロ経済圏の出現と東アジア経済圏からの孤立は、いよいよ日本「商」の光芒

が喪失するときを迎えた。

 そこで現出するのが恐山の風である。風は海から山岳にも吹く。江ノ島に恐山が空にそびえている白昼夢。

ソビエトは消滅したが恐山は消滅しなかった。それが山岳であり民衆芸能でもある。

綱領なき革命・経典なき密教それをソビエト運動ならぬ恐山運動とも言う。 

十三の砂山は総力をあげた公演となるだろう。

寺山修司1000年の出発こそこの過渡期世界における限定された現在進行形としての行為は、

つねに限界の危機から次なる寺山修司哲学にアクセスする想像力を起動する。それが行動の反復でもある。

96年から6年を費やし遊行寺で毎年公演を結実させてきた苦闘は、次なる苦闘を呼び出すためにあった。

2002.1.2