指揮者桐田正章によるエッセイです。

第13回定期演奏会より 1995.12.17
第14回定期演奏会より 1996.7.7
第15回定期演奏会より 1997.6.14
第16回定期演奏会より 1997.6.14
第17回定期演奏会より 1997.12.13
第18回定期演奏会より 1998.6.13
第19回定期演奏会より 1998.12.20
第20回定期演奏会より 1999.6.20
第21回定期演奏会より 1999.12.19
第22回定期演奏会より 2000.6.18
第23回定期演奏会より 2001.1.13
第24回定期演奏会より 2001.6.9
第25回定期演奏会より 2002.1.12
第26回定期演奏会より 2002.6.22
第27回定期演奏会より 2003.6.15
第28回定期演奏会より 2004.6.13
第29回定期演奏会より 2005.6.26
第30回定期演奏会より 2006.2.11





















































退 屈 な 人 の た め に                 第13回定期演奏会より 1995.12.17

今回のコンサートは1部でオリジナル、2部ではアレンジ物としてブラームスの交響曲第1番を取り上げた。

第1曲目は”エル・カミーノ・レアル”。
作曲者のアルフレッド・リードは日本にもっとも馴染みのある作曲家の一人で、近年は洗足学園大学でも教鞭をとっており、数年前の名古屋での演奏も記憶に新しい。1985年に完成したこの曲は、アメリカの空軍バンドの委嘱を受けて作曲されたもので、同軍楽隊の手で初演されている。エルカミーノレアルとはスペイン語で「王道」。即ち、「王や皇帝が人徳によって国を治める」の意で、民族意識が強く、明るく熱情的なスペイン音楽の特徴濃い作品となっている。
曲は急・暖・急の三部形式で構成され、トランペットの短いファンファーレの後、スペイン舞踊からとった3/4拍子のリズムに乗って、アルトサックスとホルンによって主題が現れ、オーケストレーションを変えながら発展する。しばらくすると、トランペットによる次のテーマが現われ、木管楽器で反復される。そして、再びもとの主題が現われ第1部のクライマックスを迎えるが、ティンパニの同音連打と共にやがておさまり、深い静けさのうちに第2部へと受け継がれる。
オーボエによる第1テーマの反復の後、メランコリックなメロディーが7/8拍子と8/8拍子で提示され、木管楽器を中心として受け継がれていく。やがて、6/8拍子となり、ゆったりとしたのびやかな旋律は、広々とした大地に平和な世界が広がっているような感じがする。やがてユーホニューム、ホルンによって第2部のテーマが回想され、惜しむように静かに終わる。
第3部は再び3拍子に戻る。打楽器のリズムに乗り新しい主題がクラリネット、ホルンと受け継がれ、高音部の木管によるオブリガードが加わり、第1部のファンファーレや第1主題が繰り返されるうちに最高潮に達し華やかに終わる。

第2曲目は、これまで多くの作曲家が取り組んでいる”パガニーニの主題による変奏曲”で、今回はアメリカの作曲家ジェームズ・バーンズの作品を取り上げた。この曲はイギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンの”パーセルの主題と変奏”を思い起させるような曲で、ファンファーレの後、木管楽器で主題が提示され、次から次へと各パートのアンサンブルによって変奏が続き、全部で20の変奏で構成されている。変奏の数を数えたり、どんな編成で演奏しているのかを観察するのも楽しいかもしれない。参考までに、変奏とは何か。ひとつには、リズムを変える。拍子を変える。テンポ、速度、和音等など。モーツァルトをはじめ多くの作曲家が優れた作品を残している。
しかし、演奏者にとっては各パートの力が試されるわけで、個々の技術や感性が問われ我々にとっては大変怖い曲でもある。

1部の最後を飾るのは、これもアメリカの新進作曲家ロバートW・スミスの”昇天”である。この曲は”神曲”の全4楽章中の第3曲目で、ダンテの古典文学作品にもとずいて作曲されたものである。
罪を侵したダンテ自身が主人公になって地獄、煉獄からベアトリーチェ(ダンテの青年期の恋人)の案内で天国へと導かれ、神の顔を見るという内容である。
曲は、金管とピアノで静かに始まる。それは、ダンテとベアトリーチェが祈りを捧げているかのようでもある。やがて、打楽器とホルンのリズムに乗り、トロンボーンとチューバが力強くの第2テーマを演奏する。小気味良いリズムに乗った、シンコペーションのメロディーが加わり、前半のクライマックスをむかえ、やがて静かな中間部へ移る。
中間部はこの曲の神髄ともいえる部分で、ボーカルによって冒頭のテーマが歌われる。ここではダンテが自分の罪を認め、全ての欲望を捨て、神の前で懺悔しているように、私には思える。
やがて第1部が再現され、トランペットが高々と鳴り響き、次第に他の楽器も加わり、華やかに終わる。

いよいよ2部、ブラームスの”交響曲第1番ハ短調”だ。ブラームスのシンフォニーをバンドで演奏することが、はたしてできるのであろうか。個人的にはブラームスの交響曲は4曲とも大好きで、いつかやってみたいと思っていたのも事実だ。しかし、いざとなると躊躇してしまう。しばらく悩んでいたが容赦なく時は過ぎてしまい、決断を迫られたときには選択肢は一つしかなかった。
期待と不安で練習に取り組み始めたのが9月。ところが、第1楽章の序奏ができない。最初からつまずいてしまった。音楽が拍にきちんとはまっていないので振れない。振れないから吹けない。そんな初歩的な必要に迫られて、少しずつ勉強を始めた。不安は的中した。ブラームスはこの曲の着想から初演まで20年以上を費やしている。さらに、何度もオーケストレーションに手を加え、初演から楽譜の出版までに1年を費やし、やっと完成された。
もう、おわかりでしょう。オーケストラで完璧にまで完成された曲をバンドで演奏するなんてタブーなんです。でも、時すでに遅く、後戻りはできなかった。
先にも述べたが1855年、シューマンの”マンフレット序曲”をきいて感激し、第1交響曲の作曲に着手した。様々な過程を経て完成をしたのは1876年、ブラームス43才の時である。そして、出版されたのは1877年のことで着想から完成までに、実に22年を費やしているのである。

第1楽章は序奏をもつソナタ形式で、この序奏は多くの古典派の交響曲と違い、つづく主要部の主な動機を全て含んでいる。ティンパニとバスにのって、二つのセクションによる上行と下行の旋律の対位方で力強く始まり、アレグロの主要部にはいる。展開部では「元気を出せ、わが弱気心よ」といわれる古いコラールの旋律が現われる。そして再現部・コーダと続き、静かに終わる。
第2楽章は3部形式で、長調の曲としては渋くて哀愁をおびている。ゆったりとした主題にオーボエが哀愁のあるあまい旋律をからませる。最初の主題が形を変え、色々な楽器で繰り返され、一つの頂点を築いた後、再び静けさを取り戻す。ホルンがオーボエの旋律を反復し、最後は静かに消えいるようにして終わる。
本来はスケルツォかメヌエットが第3楽章におかれるが、ブラームスは素朴でロマンスふうな3部形式に仕上げている。クラリネットの親しみやすい穏やかな旋律と、相対するリズミックに下行するフレーズで始まる。中間部ではブラームスが生涯好んで愛好したといわれる運命の動機と死の動機が現われる。そして、変化された1部が繰り返され、トランクイロで中間部を思い起しながら穏やかに終わる。
1楽章と同じように序奏とソナタ形式の主要部で構成されているのが第4楽章である。当然序奏の動機はほとんど全て主要部で活用されている。序奏の後半のピウ・アンダンテで現われる朗々としたホルンの旋律(アルプホルンともいわれている)は、ブラームスが1868年クララ・シューマンの誕生日にプレゼントした歌の旋律が使われている。彼自身が付けた歌詞は「山高く、谷深く、私は1000回もあなたにお祝いの言葉を述べます」という意味のものである。それに続くトロンボーンは、古いコラール(聖歌)によるものだという。
主要部は、展開部のないソナタ形式をとるが、この第1主題はベートーベンの交響曲第9番の、歓喜の旋律に似ている。これは、テレビのコマーシャルでもたびたび耳にし、多くの人が知っているはずである。長い再現部では主題がかなり展開され、対位方が繰り広げられてコーダへと続く。クライマックスは管楽器によるコラールを経て激しさを増し、歓喜のうちに華々しく終わる。

ああしんどかった。やっとここまでたどりついた。読んだ人も多少きつかったかな。でも、書くよりうんと楽でしょ。
                                                     桐田正章