オーケストラ・アンサンブル金沢21
モーツァルト:クラリネット協奏曲,ベートーヴェン:交響曲第2番
1)モーツァルト/クラリネット協奏曲イ長調,K.622
2)ベートーヴェン/交響曲第2番ニ長調op.36
●演奏
沼尻竜典指揮オーケストラ・アンサンブル金沢
ヴェンツェル・フックス(クラリネット*1)
●録音/2008年6月20日 石川県立音楽堂コンサートホール(ライヴ録音)
●発売/ワーナー・ミュージック・ジャパンWPCS-12135(2008年8月20日発売) \1500(税込) 

オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)21シリーズの2008年第5回発売は,2008年6月20日に行われた沼尻竜典指揮の定期公演の一部を収録したものである。この演奏会には,ソリストとしてベルリン・フィルの首席クラリネット奏者,ヴェンツェル・フックスが登場し,モーツァルトとウェーバーのクラリネット協奏曲を演奏したが,このCDには,モーツァルトのみが収録されている。ウェーバーの協奏曲第2番の方がCD録音の数は少ないので,こちらの方も聞きたかったが,ベートーヴェンの交響曲第2番と組み合わせるとすれば,時間的にモーツァルトのクラリネット協奏曲の方が好都合だったのかもしれない。ウェーバーの方は,別の機会でのリリースに期待したい。

最初に収録されているのは,このモーツァルトのクラリネット協奏曲である。フックスとOEKがこの曲で共演するのは2回だったが,非常に完成度の赤い演奏である。まず,クラリネットの音色が素晴らしい。自然な暖かみと親しみやすさがあり,この音に浸るだけで幸福感を味わえる。その一方,第1楽章などでは,協奏曲演奏に相応しい,堂々とした押しの強さや輝きもある。そして何もよりも,曲全体を通じてニュアンスが豊かである。あたかも高級なオーディオ装置のボリュームをすっと変化させるかのように,滑らかでくっきりとした変化が克明に付けられている。この変化は特に弱音部で素晴らしい。第2楽章などは,どこまでも深く深く曲の奥へと入り込んでいくような陰影を持っている。

フックスは,所々でアドリブ的な装飾音を加えているが,そのことによって,第3楽章などでは愉悦感がさらに強調されている。自由自在に羽ばたきながらも,全体としてオーケストラとのバランスが非常に良いのは,さすがベルリン・フィルの首席奏者と言える。高音から低音までどの音も自信に満ち,第3楽章など,かなり速いテンポを取りながらも演奏全体に落ち着きがある。

沼尻竜典指揮OEKの作る,虚飾の無い演奏も素晴らしい。モーツァルトの晩年の曲の持つ透明感と明るさの中の哀しみが自然に伝わって来る。その率直さと絶妙のバランスを取りながら,フックスの陰影豊かなクラリネットがドラマの主人公のように活躍する―そういう演奏である。

CD後半は,定期公演でも後半に演奏されたベートーヴェンの交響曲第2番である。OEKは,この曲を,2003年に金聖響とも録音しているが,この演奏といろいろな点で対照的なのが面白い。金も沼尻も若い世代の指揮者であるが,意外なほどアプローチが違っている。

金盤は,古楽奏法を取り入れた,かなり過激で冒険的でちょっと尖がった感じのする非常に面白い演奏である。これに比較すると沼尻盤からは,素直で自然な音楽が聞こえてくる。「いつものOEK」という点では,沼尻盤の方が,OEKらしい演奏という気がする。この辺は好みである。同じオーケストラでこれだけ変わるのだ,ということを実感できるのは,OEKファンにとっては大変贅沢な楽しみである。

今回の演奏だが,ヴィブラートを抑え気味にした非常に澄んだ弦楽器の音をベースにしている点では金盤と共通している。第1楽章の序奏部など大変じっくりと演奏されているが,圧迫感がなく非常に心地よい。若々しい息吹と同時に完成された均衡美を感じさせてくれる。続く主部はさらに軽やかでスピード感がある。このスマートな音楽の流れの良さは沼尻の作る音楽のいちばんの魅力である。ライブ録音でありながら,粗い部分が全然無い。呈示部の繰り返しの後,展開部に入るが,ここでも非常に良く音が整理されており,音楽のキレの良い勢いも留まるところがない。キリリと引き締まったコーダの充足感も素晴らしい。

第2楽章は,少しばかりの潤いと湿り気がある繊細な音楽である。テンポ感が絶妙であり,音楽の納まりが非常に良い。この交響曲全体に,”ルートヴィッヒの青春”といった雰囲気があるが,この演奏など,まさに穏やかな春の音楽となっていると思う。第3楽章もそんなに張り切っているわけではないのに,若いエネルギーがあふれ出てくるようである。管楽器と弦楽器がポンポンと会話をするように,個々の楽器の音が飛び交うのも爽快だが,強奏部分での音のまとまりも非常に良い。

第4楽章もこの勢いが続く。アクセントの付け方は不必要に暴力的ではないが,音の瞬発力が素晴らしいので,ハッとするような部分が随所に出てくる。室内オーケストラとしてのOEKの実力を楽しませてくれる演奏である。この楽章は,全曲の締めということで,コーダの部分の「鮮やかな爆発」が特に素晴らしい。ベートーヴェンの交響曲の中では地味に考えられがちなこの曲の立派さを存分に伝えてくれる。

沼尻の指揮には強引な部分はないが,OEKの作る音は非常によくまとまっている。無理することなく,明確さとキレの良さをしっかりと聞かせてくれるこの演奏は,この曲の理想的なフォームを伝えていると思う。若々しさを残したまま,円熟味を聞かせてくれるこの演奏は,OEKの演奏の一つの典型と言えるだろう。

●録音データ
2008年6月20日石川県立音楽堂コンサートホールで行われた定期公演のライブ録音。ただし,曲の前後に拍手は入っておらず,演奏中のノイズも聞こえないので,セッション録音と区別がつかない。なお,この日のコンサート・マスターは,客演の川崎洋介だった。

ヴェンツェル・フックスとOEKは,過去,R.シュトラウスのクラリネットとファゴットのための二重小協奏曲のCDを録音している。また,OEKのメンバーとモーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲のレコーディングを行っているので,OEKとはもっとも結びつきの多いソリストの一人と言える。

ベートーヴェンの交響曲第2番は上述のとおり,金聖響とも録音を残している。それ以外にも岩城宏之とのライブ盤もある。その演奏時間を比較すると次のとおりになる。なお,岩城盤は第1楽章の呈示部を行っていないの。
  第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章 合計
沼尻/OEK 13:02 11:00 3:39 6:21 34:02
金/OEK 12:15 10:18 3:40 6:08 32:21
岩城/OEK 10:06 11:28 3:39 6:36 31:49
(参考)オーケストラ・アンサンブル金沢第242回定期公演PH 2008/06/20
(2008/10/25)