井上道義オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督就任記念アルバム
(Disc1)
1)モーツァルト/交響曲第39番変ホ長調K.543
2)モーツァルト/交響曲第40番ト短調K.550
(Disc 2)
3)モーツァルト/交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
4)モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」序曲 K.492
●演奏
井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢
●録音/2007年3月6-8日(1-3,セッション録音),2007年2月25日(5,ライブ録音)石川県立音楽堂コンサートホール
●発売/avex classics AVCL-25155〜6(2007年6月20日発売) \3,000(税込)

2007年1月,岩城宏之の後を継いで,オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の2代目の音楽監督に井上道義が就任した。この録音は,それを記念するアルバムである。収録されている曲は,モーツァルトの後期3大交響曲だが,この3曲はOEKにとってはもっとも基本的なレパートリーである。1988年のOEKの設立記念演奏会で演奏されたのがこの3曲だったし,その後も各曲とも定期公演で何回も繰り返し取り上げてきた。このアルバムは,古典的なレパートリーの重視を宣言している,井上氏の所信表明演説のような意味のある内容となっている。

演奏の基本的な特徴は,すっきりと引き締まったフォルムの中に,時折,キレ良くアクセントを打ち込む,というものである。音色は透明で,音の流れがスッと耳に入ってくる。近年,ウィーン・フィル,ベルリン・フィルといったメジャー・オーケストラの古典作品の演奏についても,古楽奏法を意識したこういう流れが当たり前になってきているので,「世界標準」を意識した演奏と言える。

極端な楽器の強調はないが,録音自体がすばらしいこともあり,オーケストラの楽器の音がしっかりと聞こえ,とても見通しの良い演奏になっているのが特徴である。井上の指揮の特徴は,ライブで聞いた(見た)感じでは,”舞踏性”と”粋”にあるが,このCDでは,そのことよりは,”就任記念として永久に残るような完全なCDを残したい”という意図があると思う。モーツァルトの後期3大交響曲を新譜として発売するというパターンは,ありそうで意外に少ない(全集録音を残した後,それを再編集して3大交響曲を出すという形が多い)。この”3”という数字にも完全性への意志を感じる。

そして,その意図は見事に達成されている。演奏全体にあふれる引き締まった密度の高さと音色の透明感は,現代楽器によるモーツァルト演奏の理想に近いと思う。岩城が残したモーツァルトの交響曲の演奏と比べると,より響きが室内楽的になっているのも特徴である。井上氏のいつもの印象からすると,少々優等生的過ぎる気がしないでもないが,その”いつもと違う”という感じもハレの気分となって伝わってくる。

最初に収録されている第39番は,序奏部のテンポに驚かされる。恐らくワルター,ベームそして岩城が演奏してきた”伝統的な”テンポの2倍ぐらいの速さだろう。この速さは最近のモーツァルト研究の成果に従ったものと考えられる。岩城時代とは違うOEKの新しいスタートに相応しい響きである。全曲に渡り各楽器のヴィブラートは控え目なので,この冒頭部分は,テンポ面でも音色面でも非常に新鮮に感じられる。

いわゆる古楽演奏風なのだが,例えば,アーノンクールなどのような荒々しさやどぎつい感じはなく,スマートな雰囲気になっているのが特徴である。ティンパニや低音部の響きもそれほど強くはなく,飛翔する軽さ持っている。主部も速いテンポで演奏されるが,こちらは従来と同じ基準での”速さ”である。ノンヴィブラートの滑らかで涼しげな響きがここではさらに前面に出てくる。井上らしい生気に満ちたテンポ感で勢いに乗って進んでいくが,その音の一つ一つがとても緻密なので充実感がある。突き抜けて聞こえるトランペットの音など祝祭的な気分にも不足しない。

第2楽章も共通した雰囲気を持っている。ベトついた感じになることはなく,静かで平静で滑らかな音楽で始まる。中間部に入るとキッパリとした鮮明な音楽に転じる。第3楽章はキビキビとしたメヌエットである。ノンヴィブラートの弦が新鮮味と典雅さを同時に感じさせる。クラリネットの活躍するトリオもストレートな音楽だが,この部分での各楽器のスムーズな受け渡しも大変気持ち良い。

第4楽章では,速く,軽く,スムーズな音楽が一気に駆け抜ける。音が大変明快であり,この楽章の理想形を示している。この39番の演奏では,井上さんの天衣無縫さが,OEKのフットワークの軽さとピタリと結びついている。今回の3曲の中では,もっとも井上らしさが現れた演奏ではないかと思う。

第40番は,第39番の雰囲気からすると意外なぐらい穏やかでメランコリックに始まる。ここでも音色の軽さと透明感は共通するが,すっきりした中に少し甘えるような雰囲気があるのが魅力的である。

第2楽章もレガートの美しさ,品のよさに満ちている。落ち着いた大人の音楽となっている。第3楽章のメヌエットは他の曲のメヌエット同様,軽快なものである。短調の楽章だが暗く沈むことはない。ノンビブラートの音ははかなげで,独特の透明な悲しさを伝える。

第4楽章は,走りすぎることはなく,すっきりと引き締まった美しさがある。全曲を通じて,極端に走ることがなく完成された美がある。大げさな表情がない分,透明な悲しみが伝わってくる。

第41番「ジュピター」は,堂々とした風格よりは,キビキビとした躍動感と密度の高さを感じさせてくれる。冒頭から音を短めに切って元気に始まるが,その後,ちょっと逡巡するような間が入る。間が多いのが「ジュピター」の第1楽章の特徴だが,そのたびに,表情が微妙に変わっていく。対話や対比を繰り返しながら曲が進んでいくので,生きた音楽となっている。

第2楽章には,他の2曲同様,暗くなりすぎず平静な気分を漂わせている。さり気なさを意味深さを同時に感じさせてくれる。第3楽章もすっきりとスムーズな音楽である。とても円満な音楽であり,トリオでの管楽器の響きなど微笑みがこぼれているように聞こえる。

第4楽章は,引き締まった雰囲気の中で,すべてをしっかりと立体的に聞かせてくれる。これは3曲を通じて言えることだが,奇をてらったところのない,正統的な気分が根本にあるのが,「就任記念アルバム」というコンセプトに相応しい。第39番の冒頭であっと驚かせた後,新鮮な気分を維持したまま,最後には品格の高さを感じさせるような構成になっている。

井上氏は,指揮姿や言動からすると,非常に自己顕示が強い指揮者のような印象を与えるが,実は井上の作る音楽にはいばったところは全くない。OEKの自主性を重んじながら,新鮮な古典美を追求した演奏となっている。その点が素晴らしい。

CDの最後には,2007年2月に行われた井上道義 オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督就任記念公演のアンコールで演奏された「フィガロの結婚」序曲が収録されている。この序曲は,OEKの十八番としてこれまで頻繁にアンコールで演奏されてきた曲だがそのキビキビとした運動性と爆発力がライブならではの熱気とともに伝わる。井上/OEKの相性の良さを瞬時に印象付ける演奏となっている。

このアルバムでもう一つ目立つのは,ジャケットの写真である。この写真は,2007年2月以降,石川県立音楽堂の建物の外側に貼られている巨大なポスターと同じものであるが,その後,井上/OEKのロゴマークのように,印象的な使われ方がされている。赤と黒と白をうまくレイアウトした,シンプルで強く洒落た印象を残すデザインとなっている。この写真は,井上と親交の深い,ベンジャミン・リーによるものだが,今後の演奏会のチラシ,CDジャケットにも大いに注目したい(ちなみにジャケットの裏面のユーモアあふれる写真も必見)。

この2枚組CDは,「古典的なレパートリーを金沢の地でお洒落に聞かせたい」という,そういう井上氏のメッセージと意気込みがしっかりと伝わってくるアルバムといえる。

●録音
OEKは,過去数回モーツァルトの3大交響曲のCD録音を残している。それらとの演奏時間の比較を行ってみた。
第39番 第40番 第41番
井上
(2007)
岩城
(2000)
井上
(2007)
岩城
(2000)
岩城
(1991)
井上
(2007)
安永
(2003)
岩城
(2000)
第1楽章 9:10* 8:11 7:53* 8:00* 8:01* 11:00* 8:43 8:37
第2楽章 7:56* 7:34 7:26 7:10 11:15* 6:46 8:07 7:42
第3楽章 3:28 4:06 3:57 4:25 4:36 4:25 4:53 4:57
第4楽章 5:21* 4:25 6:33* 5:01 6:55* 8:31* 6:13 6:34
合計 25:55 24:16 25:49 24:36 30:47 31:42 28:56 27:50
*繰り返しあり

ボーナス・トラックの「フィガロの結婚」序曲のみライブ録音でそれ以外は,2007年3月6-8日に石川県立音楽堂でセッション録音されている。コンサートミストレスは,マヤ・イワブチだった。彼女はフィルハーモニア管弦楽団のコンサート・ミストレスのようであるが,OEKにも頻繁に客演している。
http://www.philharmonia.co.uk/thephilharmoniaorchestra/membersoftheorchestra/firstviolin/mayaiwabuchi/(2007/08/5)