Let's Go!
Kaguyahime

南こうせつ・大島三平・森進一郎の3人で結成した、第一次「かぐや姫」
彼らの謎に包まれた約1年間の活動をマニアックに調査していきたいと思います。
記載内容に誤りや追加がありましたら、メールにてご連絡いただけると嬉しいです!

(タイトル画像提供:大感謝!>甲斐さん>森進一郎さん)


ソロ・シングル「最後の世界」(1970.4/1)が実売300枚という低セールスに終わった南高節は、悲嘆にくれる間もなく1970年6月に上京してきた大島三平(ベース担当、こうせつの隣家で幼なじみ)・森進一郎(こうせつと同窓)の両名と「南こうせつとかぐや姫」(第一次かぐや姫)を結成。クラウンの田中さんにこれを報告したところ、梅原音楽事務所という芸能プロダクションとの契約を勧められる。

「かぐや姫」というグループ名の由来には諸説あるが、これについてはかぐやまにあを参照のこと。

間もなく「酔いどれかぐや姫」などのオリジナル曲も完成したが、まだグループの知名度は皆無に等しい。そこで事務所の梅原さんが一計を案じ、TVの勝ち抜き歌番組「全日本歌謡選手権」への出演の手はずを整えた。

全日本歌謡選手権

いまや伝説として語り継がれる、第一次かぐや姫の「全日本歌謡選手権」(日本テレビ系列放映、大阪・豊中市立市民会館にて収録)におけるパフォーマンス内容は下記の通り。

第1週:花はどこへ行った

アマチュア時代にも演奏実績のある、有名なフォークソング。原題「Where Have All the Flowers Gone?」、オリジナル・シンガーは作者のピート・シーガーで、1955年発表。PPMなど多くの歌手にも歌われている。

第2週:うみ

この「うみ」という曲は、第二期かぐや姫の『かぐや姫 LIVE』にも収録された。作詞:水谷みゆき・作曲:神山純によるこの曲は、エマノンズというカレッジ・フォークのグループが歌っていたらしいが、元々はながいじゅんという人が歌った曲だそうな。

第3週:あわれジャクソン

番組で初めて演奏したオリジナル作品。彼らのLPにも収録された。本番でこうせつは意図的に ボーカルの音程を外し、「あ、音程くるいましたか?すいません」とやって、 淡谷のり子先生の逆鱗に触れる。

「わざとふざけて、自分達ではいいと思ってやっているのかもしれないけど、面白く もなんともないんだから。まずは、まともに歌うことをしっかりやりなさい!」

しかし実際には、彼ら(こうせつ)の歌唱力は抜群で、出場者の中でもトップクラスの実力を誇っていた。 しかもこのユーモア精神、出場者中もっとも人気があったというのも当然だろう。

第4週:酔いどれかぐや姫

かぐや姫の人気は上々で、知名度アップという当初の目的をほぼ達成したと実感したこうせつは、 それまでの路線から一転して問題作「酔いどれかぐや姫」の披露に踏み切った。 「全日本歌謡選手権」への出演が決まった時に歌わせてくれと志願したが、梅原さんから 却下された曲であった。

「かぐや姫の曲を歌うので、正装してきました」とおかしなステージ衣装(おそらく十二単)に 身を包んで登場した彼らは「酔いどれかぐや姫」を演奏。「全日本歌謡選手権」という権威ある舞台で、この場違いなパフォーマンスが全国のお茶の間に与えたインパクトは想像に難くない。またここで歌われた「酔いどれかぐや姫」はオリジナルの歌詞で、レコードとは異なる次の一節を含んでいた。

♪貴女はかぐや姫なのか、それともババアなのか〜

番組の最後には別の衣装(シングル「変調田原坂」のジャケット撮影に使用したユニフォーム)に着替え、再びステージに登場した彼らは「オリジナルが2曲だけしかないので、もう歌う曲がない」という理由で、この週を最後に番組出演を辞退した。 もちろん本音は(目的を果たした以上、もうこんな番組には出る理由がない!)である。

審査員の先生方は「なにもオリジナルにこだわらなくても…」と残念がり、司会の長沢純からも 「いいオリジナル曲ができたら、また来てくださいね」と言われたが、彼らの意志は固かった。 淡谷のり子先生だけが「オリジナルじゃない曲の方がずっといい」とのコメント。 「酔いどれかぐや姫」がよほど気に入らなかったのだろう。歌詞の「ババア」が淡谷先生に 向けられたものだったかどうかは定かではない。

なお、彼らが最後に出演した4週目に三谷謙という歌手が10週勝ち抜きを果たした。 歌手生命を賭けた最後のチャンスで見事な花を咲かせた彼は、翌年五木ひろしという 新しい芸名で「よこはま・たそがれ」を歌って演歌の新星となったのである。

かぐや姫のTVメディア攻略作戦は見事的中し、他のテレビ局からも次々と声がかかるようになった。 そして「夜のヒットスタジオ」や「ナイト・ショー」など、ほとんどの有名な歌番組に出演。 しかし間もなくテレビ出演の味気なさ(実入りの少なさ)を痛感した彼らは、今後いわゆる 芸能界の枠の中では活動しないことを決意した。

レッツ・ゴー!かぐや姫

第一期かぐや姫にとって唯一のアルバム。1971.6/25発売。CDではリリースされていない。
演奏:クラウン・ニュー・サウンズ・オーケストラ(A-2〜B-7)、南こうせつとかぐや姫(A-1)

Side A かぐや姫顛末記
作詞作曲編曲
その1. うるわしのかぐや姫1:51阿久悠南こうせつ南こうせつ
その2. 町のうわさのかぐや姫4:06阿久悠 南こうせつ高見弘
その3. 妻という名のかぐや姫 2:25阿久悠 南こうせつ大柿隆
その4. ひとり寝のかぐや姫 2:25阿久悠 南こうせつ大柿隆
その5. 酔いどれかぐや姫 3:31阿久悠 南こうせつ大柿隆
その6. たそがれのかぐや姫 2:21阿久悠 根一滴高見弘
その7. 天国のかぐや姫 3:38阿久悠 鏑木創高見弘
Side B かぐや姫リサイタル
作詞作曲編曲
1. マキシーのために3:31喜多条忠南こうせつ高橋五郎
2. 鳥と魚3:20一谷伸江大柿隆大柿隆
3. この海をこの山を3:24ともひろし松本弘幸高見弘
4. あわれジャクソン3:41南こうせつ南こうせつ小杉仁三
5. 涙を忘れずに2:50森進一郎森進一郎高橋五郎
6. びっこの少年3:06大島三平大島三平高橋五郎
7. 変調田原坂2:52中山大三郎熊本県民謡高橋五郎

南こうせつとかぐや姫後援会

当時、彼らの事務所により公式ファンクラブも運営されていた。会員番号71のスターフィールドさんによると、会員数は不明だが、会費は月200円。解散前の1971年8月にはファンの集いが箱根で開催され、観光バス1台で行ったそうな。貴重な会員証の画像も紹介します。

ラジオ出演

第一次かぐや姫は、当時TBSラジオなどでいくつかのレギュラー番組を持っていた。「フォークタウンYYY」は毎週日曜日、午前9:35-10:00に中野の丸井で公開録音。吉田拓郎、あがた森魚、ベッツィー&クリスなど、毎週いろんなフォークシンガーがゲスト出演していた。他にも「ヤングスタジオラブ」という番組にも公開録音で出演していたとのこと。

地元大分でも「フォークプラザ かぐや姫と歌おう!」というラジオ番組にレギュラー出演していた。番組の詳細は不明だが、一時期、大分放送のホームページで その番組の貴重な音源が紹介されていた。

そして解散

地元大分では1971年8月に大分文化会館で、東京では中野公会堂で解散コンサートが行われた模様。

第一次かぐや姫はいま

2000年、なんと大島三平さんご本人よりメールを頂いた。地元大分で放送関係の仕事をされているとのこと。「かぐや姫」というグループ名についても、ネーミングの由来について決定的なコメントを披露して頂いた。

森進一郎さんも、地元大分で金融機関の仕事に勤めるかたわら、「Dear Friends」という6人編成のバンドでボーカルとギターを担当し、現在でも音楽活動を続けておられる。Dear Friendsについては、The Palm of Hermit(大分在住のサボテンさん作)でも触れられている。

協力:さなえさん、甲斐さん、スターフィールドさん
参考文献:南こうせつ「愛の塩焼き」

Produced by TSUKITARO