昭和日本人へもどる

軍歌否定論


少国民の歌は、悪質極まりないものである

 一般的に、最も悪質な軍歌としてあげられる歌は、なんといっても、「戦時少国民の歌」と呼ばれる部類のものです。
 これらの歌は、おもに昭和12年から昭和20年の日本において多く作られ、軍国少年の軍国精神を培う歌として、奨励されました。
 しかし、これらの歌には、到底小学生に歌わせる歌だなどとは思えなくくらい、血みどろに染まった恐ろしい歌や、一切が「お国のため」という理由で正当化されてしまうようなマインドコントロール的な歌が多数存在します。
 おそらく普通、中学生くらいになれば、これらの歌が、洗脳であることに気づくのですが、まだ何もわからない子供に対して、こんな歌を無理やり歌わせた当時の日本の教育は、たいへん間違っているということで、大変な非難にあっています。
 たとえば、有名なものでいえば「兵隊さんよありがとう」。これは、不気味なくらい、「兵隊さんよありがとう」という言葉を繰り返し、子供達の心を洗脳してしまいます。
 ほかにも、太平洋戦争末期に作られた、「勝ち抜く僕ら少国民」は、狂気の沙汰と思えるくらいな死相に満ちた歌です。これをまだ五つ六つの子供が本気で歌って、全く疑いを持たずにその精神を教育されているとしたら、これはなんとも恐ろしい話であります。


軍歌は涙がでて歌えない

 これは、昭和の日本人特有の理由なのですが、軍歌を歌っていると、あまりにもその歌の内容が生々しく、自分の戦争体験を思い出し、涙がでて歌えなくなるという症状です。
 ほかの世代の日本人は、理性から、軍歌を否定しますが、戦争体験者の場合、理屈がどうこうというよりも、感情がさきにでてしまい、どうしても軍歌が歌えなくなったというケースが多いようです。戦場で敵兵を殺して以来、軍歌は一切歌えなくなった、とか、戦友が特攻で戦死したため、「同期の桜」は、とてもとても歌うことができない、などなど・・・
 これらの理由が、どれほどの悲しさを伴うものであるかを、残念ながら管理人は、知ることができません。軍歌を歌うだけで、涙が止まらなくなる。それどころか、軍歌を聞いただけで、涙が止まらなくなる。
 うーむ、こうした場面に直面した話を、度々聞いたことがありますが、自分が、こうした場面に直面したら、どうしたらよいものでしょうか?理屈から軍歌を否定する人に対しては、なんとでも口論できますが、こうした、感情的なものであるとなると・・・
 うーむ、難しい。何しろ、これらの軍歌は、あの太平洋戦争に関わる歌なのです。あの戦争は、体験者でなければ、到底知ることのできない、はかりしれないものが存在します。それは軍歌を聞いていても一目瞭然です。軍歌に関わっていると、どうしても避けることのできない、これらのたいへんな悲痛に満ちた問題について真剣に考えねばなりません。


昭和の戦時歌謡は、軍国主義に染まっている

 だいたいにして、支那事変のおこった昭和12年を境に、昭和20年の敗戦までに作られた戦時歌謡は、軍国主義に染まっているとして非難にあっています。
 まず「軍国の母」が軍国歌謡の第一号と呼ばれ、それ以来「露営の歌」「海行かば」「愛国行進曲」「大東亜決戦の歌」「若鷲の歌」「嗚呼神風特別攻撃隊」などなど、みるみると、軍国一色に染まってしまっています。
 人によっては、戦時歌謡は一切、軍歌として認めないと主張されるかたも、多く存在するようです。


玉砕的鎮魂歌は、死を賛美する悪質な軍歌である

 玉砕的鎮魂歌とは、どのようなものをさすのかというと、おもに昭和18年、太平洋戦争の戦局が危うくなって以来、玉砕した部隊長や、特攻隊などを賛美した軍歌のことをさします。具体的にあげれば、「アッツ島血戦勇士国民顕彰歌」「山本元帥」「サイパンに誓う」「嗚呼神風特別攻撃隊」「軍神加藤少将」「海行かば」など。
 これらの歌は、軍神の死を賛美することによって、日本人を次々と自殺的な作戦に誘い込んだ悪質な歌だとして、非難の対象にあっています。
 「海行かば」は、本来、国歌に忠誠を誓う歌でしたが、鎮魂歌として歌われることが多かったため、死を賛美しているとしてこうした非難にあっています。


大戦末期の戦時歌謡は、殺気に狂っている

 太平洋戦争末期の戦時歌謡、「敵の炎」などが有名で、「米英撃滅の歌」「かくて神風は吹く」などといった、敵対心を煽り立てる戦時歌謡は、まったくもって、正気の沙汰ではない。死相と殺気にみなぎっている、として、非常に大きな顰蹙をかっています。
 ただ、日本軍歌は、たしかに多少、殺気に狂っているものがあるとはいえ、どこか、自己犠牲的な殺気といいましょうか、本当の本当に残虐じみた殺意賛美の歌はなく、やぶれかぶれになったやけくそな気分になる、殺気の歌が多いのです。
 ですので、本当の本当に、残虐性を賛美した歌ではない、と、フォローしたいところです。
 


軍歌界の問題児「比島決戦の歌」

 至上劣悪なる軍歌として、各方面で話題になった、と噂される軍歌に「比島決戦の歌」があげられます。
 この歌は、うたい文句の「いざこいリミッツマッカーサー でてくりゃ地獄へ逆落とし」という部分が、あまりにも品がなく、日本の武士道精神に反する軍歌であるとして、各方面からバッシングをうけました。

 ぜひとも、リアルタイムの「比島決戦の歌」をご存知の方は、連絡をください!
 と、書き込みましたところ、学童疎開児さまより貴重な思い出を聞くことができました。

徐州様並びに皆様
 「軍歌・戦時歌謡」に関わる所謂「否定論」の中で、表記「比島決戦 の歌」に関わるお尋ねがあったようですのでお答えします。
 この歌を私はあの昭和二十年・戦局も逼迫してきた年ですが、集団疎開先の長野で聴き、また口ずさんだ記憶があります。
 この歌はご承知かもしれませんが西条八十作詞、古関祐而作曲の著名な歌で、レコード原盤は保存されていません。
 この歌については、要は風雲急を告げる戦局に鑑み、当時日米両軍の
激戦地であった比島周辺での戦闘を主題にし、国民の戦意高揚を意図して作られた「国民合唱」の一曲です。この歌には敵将の名前、即ち、「ニミッツ将軍」、「マッカーサー将軍」の名前が織り込まれており、このくだりは当時の軍・情報局の担当中佐の意向を受けたものとされて
います。確かに「いざ来いニミッツ マッカサー 出てくりゃ地獄へ逆落とし」という終わりの2行のくだりはあるものの、当時の時局を考え
国民の戦意高揚という狙いを込めた曲としては、極めてむべなるかなという感がします。
 これを戦後、平和な時代になって「こんなひどい歌詞は?」という批判が当時の実情を知らない人から出るのは素朴な気持ちとしては分からないではありません。
 ただ一部の左翼系「反戦・平和論者」は「戦時下の全てを悪」として糾弾しますから、当時の歌に此の種の表現があると、「戦時下のファシストたちの悪行の証拠」として目の敵にするわけです。
 徐州殿がお読みになった本は多分、左翼系の反戦論者として知られる
Y.K氏ではないかと推察しています。このY.K氏はかなり偏った見方をする人で、ご当人はやはり少国民世代なのですが、とにかく戦時下のことについてはすべて徹底した否定で臨むという、考え方の持ち主です。
 以上のような次第ですが、戦時下の歌については、私共のように「素朴に言えば懐かしい」、素直に「良い曲は時代を超えて良い」。また「時代背景を踏まえ、当時の人々の熱情は素晴らしい」といった素直な受け止め方で良いのではあるまいかと私は考えております。
 以上お伝えまで。


軍歌が歌えない人とは、どんな人なのか?

 軍歌が歌えない人には2種類の人間が存在いたします。
 まずは、皆さんも、よくご存知の極左翼的人間でありまして、このタイプは、おもに、政治上の理由から、理性をもって軍歌を拒絶いたします。
 そして、もうひとつのタイプは、感情から軍歌を否定してしまう人たちです。
 このタイプは、戦争に関する今までのさまざまな体験がトラウマとなり、以後、まったく軍歌が歌えなくなってしまうという人たちです。
 私も、このタイプの人とは、知り合ったことがありますが、ある体験を境にまったく軍歌が歌えなくなってしまったと、語られました。
 なんでも、子供のころ、友達の前で「戦友」を歌いだしたら
「その歌だけはやめてくれ!!」
 と、泣いて叫ばれ、理由を聞いてみると
「父は戦争で死んだ・・・・」
 という話を聞かされ、その事件を境にまったく軍歌が歌えなくなってしまったというそうです。
 その人いわく、
「軍歌を歌える人と、歌えない人の差は、タバコをすう人と、すわない人の差によく似ている」
 のだそうです。
 理屈がどうこう、というよりも、体質というか、もう、本能的にうけつけないものがあって、軍歌が歌えなくなってしまうそうなのです。


(「父母のこゑ」KOUZUKE様よりダウンロード。)