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ベルリンへの誘い
 
 
                       (12)生還
 
 
 年が明けた。
 
   「元気でお帰りを待ってます」
 
樫田先生が帰ってしまった。相変わらずリハビリの日々が続く。チューブもわき腹に一本だけになった。
 
もう自由に病院内をウロウロしている。タバコを吸いに一階のロビーに降りるといろんな人種の人々が
 
いて楽しい。ゴミ処理をするおじさんには笑ってしまった。白衣を着て白髪混じりの髪の毛を伸ばし、
 
鼻メガネをかけてアインシュタインそっくり。きっとこの病院の名物おじさんなんだろう。
 
 
1994年 1月15日(金)
 
ノイハウス先生と阿曽先生が病室に入ってきた。
 
   「ミスターイソダ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
 
   「月曜日に退院して、日本に帰ってもいいって。ノイハウス先生は明日から出張だから
 
    今日でお別れだって、チューブは日本で樫田先生に抜いてもらいなさい、って言ってるよ」
 
   「わぁ〜、ありがとう、ほんとうにありがとう、ノイハウス先生、ありがとう」
 
あまりにも早く、急だったので言葉が出てこない、ノイハウスの手を力いっぱい両手で握り締めた。
 
言葉が出ない代わりに目から余計なものが出てきやがった。
 
   「先生、明日外出して旨いもの食べに行きましょ。いいですか」
 
   「いいでしょう」
 
 
阿曽先生は
 
   「ベルリン観光でもして、ゆっくりして帰ったら?」
 
と言うけれど、なにせベルリンの冬は寒い。風がないので外に出た瞬間はそうでもないが、30分もたつと
 
凍りつく。もちろん零下だ。しかもチューブがまだ残っている。
 
退院した日、その足で飛行機のチケットを手配しホテルで一泊。
 
翌日の夕刻、テーゲル空港に阿曽先生ご夫妻が見送りにきてくれた。
 
   「先生、奥さん、本当にお世話になりました。先生が日本に帰られたら東京だろうと
 
    どこだろうと会いに行きますので連絡ください、お願いします。一応スタッフの方々にも
 
    挨拶はしましたが、よろしくお伝えください。」
 
 
機上の人となりドイツを離れた。なにかワクワクして眠れず、長い旅だった。
 
 
伊丹空港が窓から見えたときは本当にうれしかった。
 
荷物を探すのももどかしくゲートを出た時、ざわめきとともに友人たちが駆け寄ってくれた。
 
   「お帰り、早かったなぁ、見捨てられて帰ってきたのと違うやろな」
 
相変わらず口の悪い野郎たちだ。
 
 
人垣の向こうに布施さん夫妻の顔が見える、近寄って言葉をかわせばドッっときそうで目と目で
 
挨拶した。瞳が異様に潤んでいる。
 
         
         みんな、みんな、みんな、あんたの策略だ、コノヤロ〜!
 
 
                −−−完ーーー
 
  
 
 


      
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