JUST IN TIME の断末魔

                 <T>

              遅れて来たピアニスト

 

 白状してしまうと、私は音楽理論とかジャズ理論など全く知らないし、勉強する気もな

い。聴くだけの素人である。理論とかテクニックがどれほど素晴らしくても素人が感激し

ない音楽は意味がないと思っている。習字の莫山先生が言っている、

“読めなければ意味がない”。

先日津軽三味線の日本一になった若い女性も言っていた、

“テクニックはもういいです、心に響く三味線が弾きたい“

 

渋谷でジャズバーをやってる、ご夫婦が来たことがあった。同じく渋谷に住んでいる娘

宅に行ったとき訪ねてみた。

カウンターで隣に座った、同年輩の常連の人が、喋りかけてきた。

「関西ですか?」  

「はい、神戸です」

名刺を出しながら。

「この近くにスタジオがありベースを教えています。

川上と言いますよろしく、藤井貞泰ってピアノご存知?」

「いえ存知ません」

「いいピアノだよ・・・」

聞いたことのない名前だったので一応、川上氏の名刺の裏に藤井貞泰って書いておいた。

当時はもう、300回以上ライブをこなしていたので、関西の主だったジャズミュージシャン

は知ったような気になっていた。

音楽の好みなんて、人それぞれで、初対面の人に“あれはいいよ”と言われても信用しに

くい。ジャズ評論家にさえ裏切られることも多い。

 

 そんなことはあったが、気にしていなかった。それが今年になって、東京からのボーカ

ルで、バックが寺井豊、蓑輪裕之、藤井貞泰、というブッキングがあった。全員が当店初

出演だが、寺井さん蓑輪さんの名前は以前から知っていた。藤井さんの名前を聞いて東京

の一件思い出した。

名刺を取り出し、川上 修というベーシストを検索してみた。以前は渡辺貞夫や世良譲の

バンドメンバーだったようだ。

大変失礼してしまった。

それで楽しみにしていたが。ボーカルのバックであり、御大ギターの寺井さんもいるギタ

ーとピアノはカブルことが多いので藤井さんの本性はわからない。しかし聴こえてくるピ

アノの音はいい感じだ。

再び、先日カルテットで藤井さんが来てくれた。

客が少なかったので、後ろの席で感激しながら、歯ぎしりしながら聴いた。

オー、これがジャズだ、本物のジャズだ!遅かった、あまりにも遅かった!

さして大きな音でもないのにジャズの匂いを振りまきながら心に響いてくる、体が自然に

スイングする。“燈台もと暗し”とはこのことだ。関西では誰も教えてくれなかった。

 

 “遅かった!”というのは、突然だが、当店は平成26年5月末に閉店することになっ

た。別に経営に行き詰ったわけではないし、健康上の問題でもない。理由は家主との兼ね

合いである。

家主の息子さんが和食の料理人で、只今修行中でこの場所で開業することになっていて、

当初から、最低10年は貸してもらえる約束だった。来年が丁度10年である。でも去年の

話ではもう3〜4年修行するつもりということだったので油断していた。急に結婚が決ま

り独立することになってしまった。

私としては約束であるし、若い人の門出の邪魔はしたくない。ただあまりにも急な話だっ

たので少々落ち込んでいる。

 

おかげさまで、当店はミュージシャン側からのブッキングで回ってきた。しかしそんなこ

と言ってる場合ではない。藤井さんをトリオで聴きたい、この人を聴き逃して閉店するわ

けにはいかない。来年1月に来てもらうことになっている。

 

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